小泉政府は、アメリカの「テロ撲滅」「永遠の正義」などと称するアフガン戦争に自衛隊を派遣したのにつづいて、今国会では戦前の国家総動員法にあたる有事法制関連法をとおそうとしている。かつての戦争では、1000万人が徴用され300万人以上が無惨に殺され、日本全土は空襲で焼き払われ、筆舌につくしがたい苦難を受けた。人人は戦争の荒廃のなかから立ち上がり、平和で豊かな社会をつくるために努力してきたが、戦後57年たった現在、気がついたときには戦場に立たされ殺されていたという現実にさらされているのである。しかも今度の戦争は、アメリカがかれらの国益のためにひき起こす戦争に下請軍隊となって参戦し、日本の若者を肉弾にするとともに日本本土は原水爆戦争をともなう戦場にするというばかなものである。こうしたなかで、戦後の「平和、民主、自由」といった欺まんをふり払いつつ、戦争阻止、有事法制に反対する世論が全国でほうはいとしてまき起こっている。それを形にし、ひとつに結びつけ、日本を動かす力にすることが重大な任務になっている。まさに「死を待つわけにはいかない、そのまえに死なないためのたたかいを生死をかけてやらねばならない」という戦前体験者の痛切な思いを実現するときになっている。
世界平和の根本的要求
港湾、航空、海運、運輸などの陸海空交通関係の労働組合が、関西、東京、福岡などで下から共同して有事法阻止の運動をとりくんでいる。組織された労働者が戦争阻止の行動を起こすことはきわめて重要な意義をもっている。アメリカが戦争をやろうにも、日本を総動員しなければできないし、戦争は軍隊だけでできるものではなく労働者を動員できなければ継続することはできない。日本の労働者がそれに反対してたたかうならば、アメリカといえども好き勝手に戦争を起こすことはできないし、労働者が戦争を阻止し平和な社会を建設する決定的な力をもっているからである。
小泉政府は、周辺事態法につづく有事法制によって、米軍と自衛隊の支援のために、労働者を徴用として戦争にかり出そうとしている。民間航空機は、人殺しの兵隊などを運ぶ輸送機となり、標的としてさらされる。海運は軍事物資、兵員などの輸送にかり出されるが、かつての戦争でも無防備な輸送船はことごとく撃沈され船員は兵隊以上の戦死率となった。そしてトラック、列車などの運輸、医療や土木、建設、通信などの労働者も戦場にかり出され、命を的にすることを強いられる。会社の業務命令が昔の「赤紙」を意味するのである。
労働者は、わずかな賃金で1日8時間の労働力を売って生活しているはずだが、その安月給で命までも売り渡す羽目になるというのである。ものを生産して豊かな社会を建設するはずの労働が、戦争という破壊のために使われ、命まで的にせよというのである。労働運動にとっては、命をいくらで売り渡すかなどではなく、このような生死がかかった戦争に反対する課題が第一義の任務であることは疑いない。それは労働者だけではなく、すべての日本人民の死活問題であり、日本とアジア、世界の平和愛好者の根本的な要求を代表するものである。
世界中敵に回すか 米国の為の有事法制
小泉内閣が国会に提出し、来月をめどに成立をはかっている有事法制の関連法案は、政府が武力攻撃事態と判断したならば、国、地方の行政機関に指示して対処措置を実施させるというものである。このさい米軍や自衛隊が円滑に行動できるように、私有地の無断通行、土地、家屋、施設の強制的な撤去や使用などができ、物資の収用、保管命令ができ、それを拒んだならば罰則を加えるとしている。
小泉首相は「備えあれば憂えなし」などといって戦時体制をつくろうとしているが、やろうとしている戦争で、いったいだれを守って、だれとたたかうのか。人民にとってはだれが友で、だれが敵であるか、この問題をあいまいにすることはできない。
この有事法制関連法は、昨年末のアメリカのテロ事件にさいして、アメリカの「ショウザフラッグ」(日の丸の旗を見せよ)の命令に飛び上がって、テロ対策特措法を決め、在日米軍の防衛体制をとり、自衛隊を戦後はじめて戦地に派遣したことにつづくものである。派遣した自衛艦も、アメリカに要求されて延長し、イラクへの戦争にズルズルと参戦しようとするありさまである。
ブッシュは「テロ撲滅」戦争は長期につづくといい、「今年は戦争の年」だと断言した。そしてアフガンにさんざん爆弾を落としたあげく、イラク、イラン、北朝鮮を第二次大戦の日独伊枢軸国になぞらえた「悪の枢軸」といって、むきだしの敵意をあおっている。
だれが見ても、これらのイラク、イラン、北朝鮮が、日本にたいしてはもちろんアメリカにたいしても、攻めていって占領するなどという脅威はまったくない。もっぱらアメリカの側が大軍を派遣して爆弾の雨を降らせ、子ども、女、老人にいたるまで無差別な殺人をくり返す関係である。そればかりか、アメリカは核軍事力をテコにしたグローバル化戦略によって日本をふくむ世界各国の国民経済をなぎ倒し、世界中の富を独占して、おびただしい失業と貧困、十数億にのぼる飢餓人口をつくりだし、世界中の人民から憎まれる関係である。
小泉政府の戦時体制づくりは、世界の人民を敵に回してこの犯罪的なアメリカの戦争の下働きをするというものであり、アメリカの国益のために勝手にひき起こす戦争に自動的に参戦して、日本の若者の命を差し出し、国を破滅にさらすというものである。とくにアメリカのミサイル防衛構想のお先棒をかつごうとしており、アメリカ本土へのミサイル攻撃の玉よけに日本をしようとしている。
かつての戦争で、広島、長崎に原爆を投げつけられ、沖縄は鉄の暴風といわれる大殺りくをされ、東京をはじめ全国の都市が空襲で罪のない非戦斗員が無惨に殺されたが、それでは足りずに今度はアメリカの戦争のために命を投げ出せというのである。それは日本国民の生命財産を守るどころか、反対に原爆が飛んでくるような戦火にさらして、アメリカ本土を守るというもので度はずれた民族的な屈辱以外のなにものでもない。アメリカが「憂え」ないように「備える」のが小泉のいう中身にほかならない。
有事法なる国家総動員法は、米ソ二極構造が崩壊したもとでのアメリカの世界戦略にもとづいた1996年の「安保再定義」による日米安保共同宣言、1997年の新日米防衛協力指針、その具体化である1999年の周辺事態法につづくものである。
これは日米安保条約の改定に匹敵し、戦後の歴史を画する重大な内容であるが、国会にはかることも、国民の信を問うこともなく、一片の宣言と官僚どものとり決めで強行している。憲法でいう戦争放棄と主権在民は公然と無視されている。小泉は憲法に反するといいながら、それをやるという。国の最高の決まりである憲法を守らないという男が総理大臣をやっており、まるで無法国家になっているのである。現在の戦争策動は、日本の対米従属構造に根拠があり、日米安保条約の破棄を基本要求としなければ力にすることはできない。
無政府状態の日本 米国グローバル戦術で 社会全体が荒廃
1990年代に入ると、戦後世界を構成してきた米ソ二極構造が崩壊した。アメリカは「自由、民主、人権」を叫んでソ連・東欧の社会主義国を転覆し、湾岸戦争をひき起こした。そして「社会主義の終焉」「資本主義の永遠の勝利」をさけんだが、そこからあらわれてきたのは、世界の独裁者としてのアメリカのふるまいであり、戦争狂、殺人狂の姿であった。まさに動物世界も震え上がるような弱肉強食の資本主義世界であった。
アメリカの戦争政策は、アメリカが金融・通信の優位をテコとした金融投機を中心としたグローバル戦略、つまり自由化、規制緩和の要求で、アメリカ資本が各国の市場をこじあけて力ずくで支配し収奪することと対応している。
労働者はおびただしい倒産と失業にさらされ、殺人的な労働にかりたてられ、自殺なる間接殺人は3万人をこえて戦争がはじまっているのと同じである。規制緩和・自由化によって金融、財政の根幹がアメリカに握られ、アメリカ資本による大企業の乗っ取りと大再編をすすめているからである。
農漁業は歴史上なかった破壊を強いられ、国内自給ができないようにして、輸入自由化による毒入り食物を食わされる羽目になっている。福祉や医療は「自助努力」「受益者負担」などといって切り捨て、教育は機会均等の原則を破壊して植民地的な愚民教育をやり、文化は意図的に腐敗政策をやり、政党政治は人心から無縁な世界で腐敗をきわめ、外交は独立国の自主性のかけらもない。そして社会全体は無政府状態をきわめている。
このような日本社会全般の状況は、戦争動員とともにアメリカのグローバル化戦略による安保再定義の実行にほかならない。戦後57年たった日本の現状は、海外にぼう大な権益をもつ帝国主義に発達しながら、内実はアメリカの植民地的な支配におかれていることをあらわしている。
停滞を破り大斗争へ 何を転換すればよいか
このようななかで、真に力をもった戦争を阻止するたたかいを切望する声は全国に充満している。人人のなかでは「60年安保改定阻止のような大斗争がなぜ起きないか」と語られている。また、1950年の朝鮮戦争のもとで切り開かれ、たちまちにして全国的、世界的に発展した原爆に反対する8・6平和斗争のような運動の権威が高い。そしてそのような運動がその後どうしてつぶれていったのか、その転換が切実に求められている。
戦後日本において、50年代の原水爆禁止運動から60年の安保改定阻止の大斗争など、平和運動が力をもち、憲法改定ができず、容易に参戦ができなかったのは、日本人民のなかに被爆体験をはじめ戦争における痛切な体験が基本にあったからである。そのような大多数の人民の平和への願いを代表して、戦後日本を支配し戦争にかりたてるアメリカおよびその目下の同盟者となった独占資本集団と正面からたたかうときに、真に広大な大衆的基盤をもった力のある平和斗争が発展した。その後、目前の経済的な要求を第一にしてアメリカの支配とたたかわないという潮流がはびこって、運動は大衆的な基盤を失い、停滞してきたというのが歴史的な事実である。
平和運動抑える米美化潮流
第二次大戦の終結はアメリカにとっては戦争のはじまりであった。ただちに中国革命への干渉からはじまり、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東湾岸戦争、アフガン戦争と戦争につぐ戦争をくり返してきたのはアメリカである。そのスローガンは「共産主義の脅威から自由、民主社会を守る」というものであり、中国の天安門事件、ソ連・東欧の社会主義崩壊のときは「自由、民主、人権」がスローガンであり、湾岸戦争では「ならず者、独裁者フセイン」といい、いまでは「悪の枢軸・テロ国家」から「自由と民主社会を守る」というのがこれらの戦争に人人を動員するおもなスローガンとなっている。
そして、戦後「平和と民主主義」勢力と称し、「進歩派」と称した多くの政治勢力が、平和勢力としての役割をはたさない。むしろアメリカのいう「自由、民主、人権」の旗振り役となり、湾岸戦争におけるイラク攻撃でも、また北朝鮮敵視攻撃でもアメリカに同調してそれらの国に悪態をつき、昨年のテロ事件ではアメリカを擁護し、平和運動どころか戦争協力者の姿をあらわしているのである。
ちなみに、いまや憲法を踏みにじって、戦争に踏み出そうという戦後の歴史を画する重大な局面で、天皇の姿がなく、たいした役割をもっていない。聞こえるのはアメリカの「民主社会を守れ」「永遠の正義」への拍手喝采(かっさい)である。戦争にかりたてるスローガンが、昔は「愛国」、いまは「自由と民主」となっており、昔は天皇、いまはアメリカが権力をふるっているというのが現実である。天皇には戦前のような軍隊を指揮する権力はなく、アメリカの下請戦争でないように見せかける役目しかない。
アメリカを民主主義で平和の勢力とみなす潮流は第二次大戦と戦後改革の評価に源流がある。広島、長崎の原爆投下、沖縄や東京をはじめとする大空襲で、アメリカは女、子ども、老人、勤め人といった無辜(こ)の非戦斗員を無惨に殺した。戦後朝鮮戦争からアフガン戦争まで、1000万人もの人人を殺してきた。人民のなかではこれは絶対に許すことのできないものである。
アメリカは東京で大空襲をやり十数万人を残酷に焼き殺したが、戦争の最高指導者である天皇が住む皇居には一発の爆弾も落とさなかった。また最大の戦犯であるのに極東裁判にもかけなかった。天皇とその側近は、国民には徹底抗戦を叫んで甚大な犠牲を強いながら、裏では天皇の地位を温存するためだけの敗戦処理を願い、アメリカに命乞いをしていたし、アメリカは天皇を利用できるとして保護したのである。
米軍による日本本土での大殺りくは天皇制打倒に立ち上がるであろう日本人民を脅しつけ、単独占領するためのものであった。だがそれを、好戦的な日本人を懲らしめ平和と民主主義のためにやむをえないものであり、反省をして慈悲深いアメリカに感謝せよと宣伝されてきた。多くの人人のなかで現在語られていることは、戦後は民主化で、自由で豊かになったというのがまったくのインチキであったという問題である。それが「平和ボケ」であったという思いとあわさって語られている。
今日、文科省が学校現場に「日の丸」「君が代」を強要し、小泉が靖国参拝をやるが、それはアメリカの支配を隠ぺいし、日本の支配勢力の独立の見せかけをする道具となっている。「日の丸」「君が代」に反対するが、アメリカの「自由、民主、人権」の方向を擁護するというのでは、戦争反対の力にはならないのである。
「個人の自由」「個人の人権」の主張を進歩のようにふれまわるが、それは米日支配階級による全人民の自由、民族の自由を投げ出して戦争に対抗する力を奪うだけか、自己防衛のために残酷に他人を攻撃するイデオロギーにほかならない。
日本に上陸したアメリカは、「民主化」と称して、天皇や軍閥、特権官僚らから権力をとりあげて絶対主義天皇制を解体し、ブルジョア議会主義の国家形態に再編。地主制を解体して農民を直接の収奪下におき、独占資本集団の反米の牙をぬき、前時代的な同族支配を排除して近代的な経営形態にして目下の同盟者として保護育成した。この戦後改革は民主化のみせかけで、アメリカの支配に都合がいいように再編するものであった。
加えて、ソ連指導部を中心とする共産党指導部のなかで、米英仏は日独伊ファシズムとたたかった平和と民主主義勢力という評価があり、日本ではアメリカ占領軍を解放軍と規定する誤りがあった。これが戦後今日まで尾を引いているのである。
経済主義の克服へ
1950年に突破した原爆反対の斗争から、60年安保斗争へと発展した運動は真に力をもったものであった。それは「戦争を終結させるためにやむをえない原爆投下」といった欺まんをあばき、真正面からアメリカの原爆投下の犯罪を暴露し、大多数の広島市民の願いを代表して突破したものであった。それが全国的な運動となり、世界的な運動となったのである。そして世界中で原水爆使用が正しいなどとはだれもいえなくなった。
この斗争の中心は中国地方の労働者が担った。ここで白熱的に論議されたことは、日常斗争主義、経済主義は誤りであり、反帝反戦斗争と国際連帯が労働運動の第一義的な任務であるということであった。ここで突破した流れが安保斗争まで発展したのである。それは独立、民主、平和、繁栄、民族文化の発展をめざす、反米愛国の人民の統一戦線の立場に立った斗争であった。
だが安保を推進した敵は、入念な情勢の転換をはかった。労働者の政治斗争を弾圧し、また労働組合の幹部どもをアメリカに呼んで手なずけ、労働運動の内部から「高度経済成長」のおこぼれを求める経済主義をふりまいて、アメリカの支配に目がいかないようにさせた。別の面からは自分たちの権利ばかりの要求で、労働者全体の共通利益、他の人民との共通利益を切り捨て対立するものとしてあらわれ、必然的に孤立させていった。
安保斗争と同時にたたかわれた三井三池斗争は戦後を代表する労働者のたたかいであった。この炭坑合理化は、「石炭から石油」への産業構造転換という安保の具体化として、またその推進のために労働運動全体を破壊するという米日支配階級の統一した攻撃であった。だが労働者の生死をかけた戦斗的なたたかいにもかかわらず、運動の指導勢力は、安保斗争と切り離し、全国的な生産点を基礎とした安保の具体化としての産業構造転換政策に反対する共同斗争を組織するのでなく、結局は敗北させた。そして企業主義、経済主義がまんえんするものとなった。この流れが今日、敵をそらすとともに大衆的な基盤を失い、運動をまったく停滞させているのである。
今日労働者を困難にさせている根源は、アメリカのグローバル戦略であり、それを忠実に実行する日本の独占資本集団の規制緩和・自由化の構造改革路線である。その方向が軍事面では、有事法制化である。個々の企業の労働者は、企業の枠内ではなんの展望も見出すことはできず、米日支配階級の日米安保条約による統一的な攻撃にたいして、全産業的全国的な労働者の共通利益に立って、共同の斗争を発展させることによって展望を見出すことができるのは当然である。
現在、戦争体験者がもっとも敏感に戦争への危惧(ぐ)を抱き、戦争の犯罪を語っている。青少年がきわめて敏感に戦争体験者の思いを受けついで平和のために行動しようとしている。また教師や若い母親たちが子どもの将来とかかわって真剣になっている。こうしたなかで、もっとも戦争反対の力をもっている労働者が、下から共同斗争を発展させ、人民各層の共同斗争を発展させることの意義はきわめて大きい。