「峠三吉の時期の運動をめざす二〇〇二年原水爆禁止広島集会」が六日午後一時から広島市中区のアステールプラザで開かれ、山口、広島、岡山など中国地方を中心に、東京から沖縄まで全国各地から六〇〇人が参加した。集会は、とくにこの一年、全国数百カ所でとりくまれてきた原爆展運動や、この一カ月のあいだ広島をはじめ各地で発展してきたアピール署名運動の成果や平和教育の発展をいきいきと反映し、広島、長崎のほんとうの声を代表する確信に満ちた雰囲気のもとに進行。アメリカが広島、長崎への原爆投下を正当化し、核兵器の先制使用攻撃を公言するなかで、「和解」「加害責任の反省」論などによる抑圧をはねのけて、原水爆戦争を阻止する新しい生命力ある運動が前面に登場していることを浮き彫りにした。集会は一致して、「アメリカ政府に謝罪を要求し、原水爆の製造、貯蔵、使用を禁止する全国民的規模の国民運動を訴える」広島アピール【全文別掲】を決議、この一年間でアピール署名運動を全国的に広げる方針を決めた。
●全国から600人結集 原爆展運動の発展を基礎に
はじめに、原爆死没者に黙祷をささげたあと、主催者を代表して、原水爆禁止全国実行委員会の倉崎繁実行委員長(九州国際大学教授)があいさつ【別掲】に立ち、五七年まえのアメリカの蛮行とそれを美化する論調をきびしく批判。アメリカの原爆投下の目的がソ連の影響力を排除し、日本を単独占領することにあったこと、アメリカと日本の政府がいま新たな原水爆戦争の危険な道をすすんでいることを暴露し、「アメリカ政府に謝罪を要求し、国民的規模の運動をまき起こす署名運動を全国津津浦浦に広げるなら、アメリカの原水爆戦争の手足を縛ることができる」と訴えた。
基調報告に立った平野照美・実行委員会事務局長は冒頭、この集会が「ふたたび原水爆の使用を阻止する世界的な力を結集する大きな出発点」となることを強調、この一年の運動をつうじて「既成の原水禁運動の瓦解のなかから原爆の使用を再び許さぬ確かな力が、広島、日本から起こりはじめたこと」への確信をのべ、原爆反対の運動の様相が一変していることを明らかにし、一九五〇年の峠三吉の時期の運動の原点に返ることの意義を強調した。
基調報告は、とくに、この一カ月間の広島におけるチラシ戸別配布とアメリカ政府に謝罪を求める署名運動が広島市民から歓迎感謝され、アピールの内容が広島市民のほんとうの要求であることを証明したこと、「被爆体験の風化などというものは市民のなかにはまったくなく、偏見に満ちたデマであることを証明した」ことを明らかにするとともに、「原爆を受けた側に反省をせよという本末転倒した風潮が意図的につくられてきた」と指摘、平和運動の内部から運動を破壊する潮流との違いを鮮明にすること、世界の平和愛好者との連帯を強化し広島市民の心を代表した私心のない運動の原点に立ち返ること、労働者の運動を強めることが重要になっていることをあげている。
ついでフィリピンの新愛国同盟(バヤン)と戦闘的労働組合センターの五月一日運動(KMU)から寄せられた「原爆展パネルに衝撃をうけた。私たちも日本の人人と団結してアメリカの支配と斗う」というメッセージも紹介された。
●広がる峠の原爆展運動 広島・東京の特別報告
つづいて、東京、広島での「原爆と峠三吉の詩」のパネルを使った原爆展運動の発展とその影響についての特別報告を、東京原爆展スタッフと長周新聞社記者がおこなった。とくに広島の被爆者が歴史的に蓄積された胸底の深い思いを語りはじめていること、峠三吉の時期の運動路線こそが被爆市民のほんとうの声を代表するものであることがいきいきした報告をつうじて明らかにされ、参加者に確信を与えた。
●32校100人の子ども達が構成詩発表 小中高生平和の旅
意見発表の最初は、「小中高生平和の旅」の報告。下関の高校生が「平和の担い手となるために団結」して、旅を成功させたことを喜びをもって報告したあと、小学生から高校生まで総勢三二校九七人の子どもたちがこの旅で学んだことを構成詩で発表した。構成詩は峠三吉の詩「小さい子」の群読からはじまり、広島の被爆者から学んだことを報告するもので、次代を担う子どもたちの奮斗は、参加者の感動の涙を誘った。
つづいて下関原爆被害者の会副会長伊東秀夫氏が意見発表に立ち、下関の運動の発展から、アピール署名への確信をのべたあと、広島の被爆者・重力敬三氏(「原爆と峠三吉の詩」広島原爆展を成功させる会代表世話人)が発言、「昨年の旧日銀支店での原爆展の成功とその後の市内各地の原爆展で、広島の面目を一新した。アピール署名を全国に広げることが無念のなかで亡くなられた方方への供養だ」とのべた。
●広島の被爆者や東京の学生も発言
会場から広島の被爆者・竹村伸生、加藤浩の両氏が発言。竹村氏は、「こういう運動は年間をつうじて根気よくやっていかなければならない。このようなイデオロギー的偏見のない運動がいつまでもつづいていくことを願っている」とのべ、加藤氏は、「山口県の修学旅行生に語ったが、小・中・高生の発表に心から感動した。被爆者としてお礼申しあげる」と熱い気持ちを伝えた。
山口県の教師・佐藤公治氏は、修学旅行で被爆体験を学んだ子どもたちの内面の変化と教育的な重要性について報告。子どもたちが家庭や学校の生活のなかで急速に成長し、みずから平和の担い手になるために積極的に自己中心の言動をあらためているようすを感動的に紹介した。
東京の大学生・穴田那智さんは、東京での原爆展に協力するなかで真実を知り、若い世代が戦争犠牲者の苦しみのうえに生きていることをつかんだ衝撃を語り、「被爆者の思いを後世に伝えていきたい」と決意をのべた。
つづいて、沖縄から参加した屋宜恒一氏が、沖縄県原爆被爆者協議会の金城文栄理事長のメッセージを伝えたあと、沖縄の被爆者のおかれてきた状況と五十数回におよぶ原爆展をつうじてアメリカの原爆投下の目的とかかわって沖縄戦争の真実について認識が発展していること、労働者のなかで署名活動がはじまっていることを報告。「沖縄もアジアにたいして加害者だった」というアメリカの側からの論調を批判し、反米愛国の路線こそ展望があることを強調した。
下関の吉山宏氏は、アピール署名への各界市民の歓迎ぶりを報告、これまでの運動の蓄積のうえに「大多数の市民が安心して協力している」状況を紹介した。
このあと、劇団はぐるま座の青年五人が登壇し、峠三吉の詩「八月六日」「よびかけ」と「原子雲の下より」のなかから子どもの詩三編を高らかに朗読、参加者の共有する思いをさらに束ねた。
集会は最後に、広島アピール「アメリカ政府に謝罪を要求し、原水爆の製造、貯蔵、使用を禁止する全国民的規模の運動を訴える」を杉山真一氏が読みあげ、今後一年間このアピール署名を広げることを訴えるスローガンもふくめて採択、全員でシュプレヒコールをおこない閉会した。
●沿道から熱い期待 声かける被爆市民も
デモ行進では、平和大通りから八丁堀交差点の繁華街を経由する約三㌔の道のりを、「アメリカ政府は謝罪せよ」などのシュプレヒコールをおこないながら、集会の成果を広島市民に報告した。先頭を行く街宣車は、年間をつうじて全国、全世界で原爆展をおこなってきたことを伝え、「アメリカとの和解が一部で叫ばれています。悪いことをした側が、相手に謝りもしないのに和解してくれと頼むのは、屈服にほかなりません」と広島市民に訴えた。
「広島に学ぶ小中高生平和の旅」の青少年の一団が、ひときわ目を引いた。班旗やハンドマイクを持つ中・高生に引率された子どもら約一〇〇人が、横断幕や平和宣言のパネルをかかげて峠三吉の「八月六日」を群読しながら行進した。被爆者のおばあちゃんたちを思いやり、のぼりなどすすんで持つなど、たくましくすすむ平和の担い手たちの姿に、沿道の市民から熱い期待の目が注がれていた。
バス停で立ち止まっていた八〇代の被爆者婦人は、「アメリカに協力する有事法制反対」のプラカードを指し、「いいですね」と語りかけ「がんばってください」と頭を下げた。旧日銀原爆展など年間をつうじた全国的な運動が、市民のあいだで信頼されており、デモ行進と同時に配布された広島アピールのビラが親しみをもって受けとめられていた。「山口県の人ですね」「広島の者がやらなければならないことをありがたい」など、広島市民の願いに合致したデモ隊であることを示した。