ブッシュ政府は世界各国人民の圧倒的な反対に逆らい、アフガンにつづいてイラクへの乱暴きわまる戦争をはじめようとしている。この戦争は、はじめは「テロ撲滅のため」といっていたが、のちに「大量破壊兵器を持っているから」となり、結局のところそれらはみな口実で、いまではフセイン政府を崩壊させ、イラクだけでなく中東を「民主化」するためだといってはばからない。
要するに、社会主義国も認めないが民族独立国家も認めないし、いいなりにならない国家は大量の破壊兵器を投げつけて転覆し、アメリカにとって都合のいい国家をつくる、そのためには数十万人の非戦斗員を無差別に殺すというのである。そのような戦争を、イラクだけでなく、朝鮮やイランなどに拡大する意図をかくさない。文明が発達したという今日の世界は、人殺し道具の発達となり、有史以来最悪の野蛮時代を迎えているといわなければならない。
アメリカはそのために原水爆使用を公言し、戦後の日本占領と「民主化」と称する戦後改革をモデルにするといっている。かつての戦争でアメリカは、日本の都市という都市を空襲で焼き払い、広島、長崎に原爆を投下し幾十万の無辜(こ)の非戦斗員を焼き殺して日本を単独占領した。そして戦後改革と称する一連の「民主化」をやった。
五八年たったその結果は、巨大な経済規模をもった植民地従属国であり、外交上のなんの自主性もなく、アメリカのいいなりとなって、アメリカの国益のための戦争に日本の若者の命を捨てさせ、日本全土を戦場として廃虚にすることにまで賛同するありさまである。アメリカはこの日本の姿がいちばんの成功例とみなしており、世界各国を日本のような従属国にしたいというのである。
日本の対米従属は、この戦争加担に戦争体験者をはじめ人民の怒りはうっ積しているのに、表にあらわれた平和運動があまりにもひ弱いことに深刻に作用している。アメリカは第二次大戦で、好戦的なファシズムとたたかった平和と民主主義の勢力という格好をした。原爆投下も、日本の好戦的な軍閥をして戦争を終結させ、幾百万人の命を救うためにやむをえないものであったという宣伝をしてきた。それはまったくのペテンで、日本を単独占領し、戦後の世界を支配するためであった。その影響が深刻に尾を引いているのである。
戦後やってきたことは、日本を攻撃拠点とした朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東湾岸戦争など戦争につぐ戦争であった。敗戦後日本の帝国軍隊は解体されたが、アメリカの下請軍隊として再編成されたいまでは世界有数の米軍指揮下の近代軍隊となった。財閥解体は家族的な前近代的要素をとり除いただけで独占資本はすぐに戦前以上に肥え太り、いまでは外資に乗っとられる羽目となった。農地改革は地主から農地を分けたが、結果は工業資本の市場となり、アメリカ余剰農産物の輸入で日本の農業は有史以来の壊滅状況となった。政治は議会制民主主義の形をとったが、議員は徳川時代と同じような世襲制となり、体のいい専制政治となった。
さらに、発達した学校教育、商業マスメディアを支配し、知識人や文化人、また労働組合幹部や革新政党幹部などをアメリカに呼んで買収し、日本人民の民族精神を骨ぬきにすることが入念にやられてきた。近年では「グローバル化」「市場経済原理」さらに「自由、民主、人権」を侵すべからざる神聖なものであるかのようにふれ回って、アメリカ崇拝をあおるシカケをつくってきた。
そのようなアメリカ支配がもっとも典型的につくられたのが日本であった。その力が日本の平和運動を瓦解させてきた力であり、逆にその力を突破するならば世界の平和に重要な貢献をすることになる。
敗戦後五年たった1950年、はじめて原爆投下の犯罪をあばき、朝鮮での使用に反対して、戒厳令のような厳戒態勢の広島で中国地方の労働者によって平和大会が開かれた。この原水爆禁止の平和運動はたちまち全国的に広がり、5年後には世界大会となって、原水爆の製造、貯蔵、使用を禁止する巨大な力となった。1960年には戦後最大の政治斗争となった「安保」斗争に発展し、世界的な平和の力を示した経験がある。そしてその後、その破壊が入念にやられたという経過をたどっている。
いまや日本は、軍事も政治も経済も対米従属がはなはだしい植民地状況となった。それがアメリカの国益のために、日本全土が原水爆戦争の戦場となって廃虚となりかねないところまできた。ここまできて、戦後のアメリカ支配について根本から検討し、独立、平和、民主、繁栄の道を切り開くことと結びつけて、イラク戦争と日本の参戦を押しとどめる力を結集することが日本民族の死活の問題となっている。