「平和な未来のために子どもたちに語りつぐ」を合言葉に、第5回下関原爆展が6日、下関市田中町の福田正義記念館の3階ホールで開幕した。市内の各界約250人にのぼるかつてない賛同者による支援と協力、学校、自治会、工場などをつうじたポスターやチラシによる大量の宣伝が浸透し、とくに次代を担う若い世代に原爆投下をめぐる真実を直視させ伝えたいという機運が高まるなかで、3年ぶりに20日間の会期で開催される全市的規模の原爆展への熱い期待が寄せられている。学校、職場、地域から、家族、友人が誘いあって参観し、3世代交流の場として大きく成功させることが期待される。
原爆展キャラバンのパネルも
第5回原爆展の開会式が午前10時から、会場の福田記念館3階企画展示室で主催者の下関原爆被害者の会と共催する第5回下関原爆展を成功させる会のメンバー約30人が出席しておこなわれた。
あいさつに立った下関原爆被害者の会会長の伊東秀夫氏は、「全国キャラバン隊や全国数千カ所に広がる原爆展が反響を呼んでいるなかで、多くの賛同者の協力を得て開催することになった。アメリカが新たな核開発をすすめ、日本をめぐる原水爆戦争の危険が迫り、イラクへの自衛隊派遣、親が子を殺し、子が親を殺す事件が起こるという状況のなかで、下関原爆展は大きな共感と支持を得て反響が広がっている」ことを報告。さらに、「人の命の尊さ、平和のたいせつさ、人を思いやる心のたいせつさを学び、勇気を持ってやっている小中高生平和の会とともに、1人でも多くの人人に参加を呼びかけよう」と訴えた。
つづいて、原爆展を成功させる会の権藤博志氏が「原爆展を大成功させることだ。イラク戦争でも劣化ウラン弾が使われている。“原水爆の製造、貯蔵、使用の禁止”は、唯一の被爆国日本のわれわれの責任だ。展覧会に声をかけあって連れて来て、見てもらうことだ」とあいさつ。今後とも宣伝と働きかけを強め、大きな世論にしていくことを確認しあった。
参観者は熱心にアンケートに記入し、「胸が押さえつけられる思いだった」「皆さまのご苦労に感謝します」「広島修学旅行で資料館で写真を見たことがあるが、母親になっていま一度原爆について、平和について、真剣に考えなおさねばならないと思った」などの意見をあらわしていた。また、平和の会の展示について、「日本人の1人としてたのもしく思った」「子どもたちの作品には脱帽した」「毎回参加者がふえているのをうれしく思った」など感動が多く語られていたことも特徴的であった。
被爆体験聞く会も企画
会期中は、被爆者の体験が随時要望に応じて聞けるようになっている。また、10日午後2時から、婦人グループの求めにこたえて被爆体験を語る会が催されるほか、土日、祝日と夏休み期間には連日、午後2時から被爆体験を語る会が開かれることになっている。
全市に広がる取り組み 賛同者に234人
第5回原爆展はこれまでの小・中学校への原爆展パネル寄贈運動、市内各地で開催されてきた地域原爆展、街頭原爆展をつうじて蓄積されてきた市民の厚い信頼のうえに、7月4日現在で各界から――戦争体験者、地域の自治会関係者や母親など青少年が平和の担い手として成長することを願う人人、小・中学校教師、PTA役員などの教育関係者、童話作家、子ども文庫をはじめとする文化関係者、大学教授、文化人、労働者、商店主、平和運動の活動家など――234人が賛同者として名を連ねている。
こうした人人の支援と協力のもとに、市内の小・中学校、高校、幼・保育園の子どもをつうじて、また各自治会掲示板のポスターやチラシの各戸配布をつうじて、原爆展の宣伝がかつてなく浸透している。いくつかの自治会から「配布するチラシの数が足りない」などの問いあわせもあいついでいる。さらに新聞販売店がチラシの各家庭への折りこみに協力している。
また、平和運動の活動家による工場、職場へのチラシや原爆展パネルによる宣伝活動も活発になされている。
どこでも共通して、「佐世保の少女殺害事件」とかかわって原爆展を子どもたちや若い世代に見せることのたいせつさが論議になり、PTA役員のあいだでも生徒たちを原爆展に参加させるように、学校に働きかける状況も生まれている。
また、大学での宣伝にこたえた学生から、「大学祭でやりたい」という申し出や、「ボランティアとして原爆展スタッフに応募したい」との連絡があるなど若い世代の意欲的な協力も寄せられている。
こうした機運を一つに束ねて平和を願う全市民の運動として発展させ、参観者がさらに多くの人人の原爆展への参加を呼びかけ、平和の世論を大きくまき起こすことが期待される。
第5回下関原爆展は夏休み期間の7月25日まで開催される。