「原爆と峠三吉の詩」広島市民原爆展(主催=原爆展を成功させる広島の会、下関原爆被害者の会)が27日午前10時から、広島市中区基町のメルパルク・郵便貯金会館3階で8月8日までの13日間の会期で開幕した。初日には250人が参観し、会場は被爆者と若い世代、全国各地からの参観者との熱い交流の場となった。3年まえの旧日銀広島支店、昨年の福屋八丁堀本店での開催につづく全市民的規模での今回の原爆展は、各界各層510人の賛同協力者に見られるように、だれにも押しとどめることのできない被爆地の強固な平和の力が動きはじめていることをいきいきと示している。会期をつうじて、その力がさらに強まり、全国、世界に影響を与えることが期待される。
核廃絶の巨大な力を結集
27日午前10時から開会式がおこなわれ、広島の会の被爆者を中心に下関の被爆者の会、下関の原爆展事務局など約30人が参加した。
はじめに、広島の会の重力敬三代表世話人が「今年は昨年にも増して資料の提出があり、盛大な原爆展になると思う」と確信をのべたあと、「キャラバン隊も日本列島を東西かけめぐり平和運動を展開しているが、わたしたちの運動を無視するかのように日本政府は憲法を改正して戦争に参加する状況となっている。1人1人の力を集めて大きな力にして、広島の声が世界に広がって、戦争のない平和な時代が来ることを期待している。力を合わせてがんばろう」と力強く呼びかけた。
つづいて下関原爆被害者の会の杉山真一事務局長が、伊東秀夫会長のメッセージを代読。「広島市民が峠三吉をとりもどし、峠三吉たちが米軍占領下の1950年に広島からはじめた原水爆禁止運動の源流をよみがえらせる場として、広島市民原爆展がこれまでにまさる盛大なとりくみとなるよう、力を合わせて成功させよう」と訴えた。
秋葉忠利・広島市長の「地球上には大量の核兵器が存在し、核兵器が使用される可能性さえ高まっているなか」での開催への期待を伝えるメッセージにつづいて、広島の会の真木淳治氏、石津ユキエ氏があいさつした。
真木氏は、「福屋原爆展に行き、自分のなすべきことをハッキリと胸に刻みつけ、会場で体験を語った」ことを契機に、地元の原爆展や小学校でも語ることになったこと、「地道に語りついでいく熱意が原爆展の発展を導いていくのではないかと思う」とのべ、これまで語ってこなかった家族にこの会場で体験を語りたいとのべた。
主婦の石津氏は、被爆当時、爆心地であった会場周辺の様子を想起し、「広島の街は火の海、焼け野原となったが、原爆を体験した方方の心にはいまだに青い草木は生えていないと思う」とのべ、そのような地下に眠る人たちをはじめ被爆者たちを代弁して、被爆者とともに、原爆展成功のために尽力することを明らかにした。
被爆市民の歴史的な深い思い凝縮 市民が写真や資料提供
会場には、「広島の心を若い世代に、全国、全世界へ」「原水爆の製造、貯蔵、使用の禁止」「峠三吉が活動した時期の市民的運動を取り戻そう」のスローガンが大書され、「原爆と峠三吉の詩――原子雲の下よりすべての声は訴える」のパネルを中心に展示されている。今回は新しく「原爆はなぜ投下されたのか――非戦斗員の密集する都市への計画的奇襲」と題して峠三吉の「原子雲の下より」序文や「詩集『原子雲の下より』編纂――広島の人人の平和のうたごえ」、「原爆の子の像」建立運動、「2004年全国キャラバン隊を展開/日本列島に渦巻く平和の力を喚起」などのパネルを追加。さらに、全国原爆展キャラバン隊の反響を各都市ごとに分けた冊子も置かれてい
また峠三吉の詩業を紹介するパネルと50年8・6斗争当時の文化運動の息吹を伝える資料、「礒永秀雄の世界」のパネルも設置されている。
今回はとくに、市民から多くの資料が提供され、被爆市民の実体験と深い思いがこめられた展示の様相となった。
「市民提供の写真・地図コーナー/戦前・戦後の広島」の展示は戦前の革屋町下駄屋、広島城、相生橋をわたる人人の風景、広島駅構内、本通りより新天地町入口を写したものなど、渡辺襄の写真を中心に10枚以上を展示。さらに原爆爆心地復元地図、被爆まえの十日市町地図、大手町小学校・国民学校学区の地図、松重美人氏や林重男氏らが撮影した被爆当時やそれ以後の写真、呉市の佐々木忠孝氏のケロイドの写真など多数を展示し、原爆で破壊された郷土の記憶を被爆当時の生活とあわせて語りあう場ともなっている。
また、被爆資料15点をふくめ、学徒にまつわる被爆体験集、体験記など50点以上が展示されるなど被爆市民の歴史的な深い思いを凝縮している。
会場玄関正面の壁には広島の子どもたちが原爆展や被爆者の話を聞いて書いた感想文、下関の小中高生平和の会の活動をまとめたパネルが展示されている。
市内の子ども達や母親が多数参観
初日の会場では、主催する広島の会の十数人の被爆者がスタッフの高校生、大学生や、訪れる被爆市民、県外からの参観者と活発に交流、とくに、若い世代の求めに応じて体験を語り、戦前、戦後の写真・地図の前で当時の状況を熱をこめて語りあう光景がつづいた。
また、学校で配られたチラシを見て参観する市内の子どもたち、母親の姿もめだった。
子どもの感想文が展示されていた翠町小学校の母親は、小学校で被爆体験を聞いたときのことと重ねて、「原爆といえば、“原爆反対、戦争反対”ということをイメージしていた。しかし峠三吉さんの詩のなかにはそういう言葉はいっさい出てこないが、被爆のことがものすごく静かな感じで訴えてくる。語ってくれた被爆者の方方も語るなかに静かなパワーがある。峠三吉さんの詩と被爆者の話が同じように感じた」と感動をこめて語った。また、そのことが母親同士で語りあわれ、平和を願う共通の思いが1つになっていること、そして「あしたも仲間が見に来ますから」とその輪を横に広げていることもつけ加えた。
広島に帰省中の東京の大学生は、「平和サークルの友人たちが今夏広島を訪れるので被爆者の体験を聞きたい」と要望、承諾を受けて喜びをあらわしていた。
また、ある70代の婦人は、ロビーに展示されている、小中高生平和の会の展示と広島の子どもたちの作文の前に足を止め、「ひ孫を平和の旅に参加させたい」と申し出た。被爆者、戦争体験者が、「孫、ひ孫たちに…」とパネル冊子や詩集を買い求める状況もつづいた。
東京、大阪、愛知、石川、沖縄など全国からの参観者はパネルの内容と、被爆者が中心になった原爆展に衝撃を語り、この状況を仲間や知人に伝えたいと語り、チラシを多数受けとるなどの状況があいついだ。
全国キャラバン隊のメンバーとの交流も随所でおこなわれ、柏市の駅でやっていたのを知っているという婦人が、「下関がやっていると思ったが、広島でもやっているんですね」と再会を感動的に語り、東京の若い婦人やキャラバン隊がまだ出むいていない石川県の男性が、今後の協力を承諾するなど活発な論議が発展している。
また、アメリカ、フランスなど海外からの参観者も深刻な面持ちで展示に見入り、アメリカの原爆投下の惨状への衝撃とその凶悪な犯罪への怒りをあらわにしていた。
初日だけで、パネル冊子50冊のほか『峠三吉原爆詩集』など、書籍多数が購入された。
この日、回収されたアンケートは50枚で、参観者の深い思いがつづられている。