日本とアジアをふたたび原水爆戦争の戦場にさせない平和勢力の全国的な大結集を訴える
原水爆禁止全国実行委員会は、以下のアピールを発し、広島市内で宣伝を開始した。
わたしたちは、峠三吉の時期の1950年8・6平和斗争の原点に立ち返り、力ある原水爆禁止運動の再建をめざして、この4年間「原爆と峠三吉の詩」の原爆展を全国数千カ所で展示し、毎年8月6日に広島で全国集会を開催してきました。わたしたちは今年の広島集会にむけて、「日本とアジアをふたたび原水爆戦争の戦場にさせない、平和勢力の全国的な大結集を訴える」アピールを採択しました。その内容は、宣伝カーとチラシで広島全市に訴え、広島市民の深い共感を得たものです。
59年まえの8月6日と9日、アメリカは広島と長崎に原爆を投下しました。「瞬時に街頭の三万は消え/圧しつぶされた暗闇の底で/五万の悲鳴は絶え/渦巻くきいろい煙がうすれると/ビルディングは裂け、橋は崩れ/満員電車はそのまま焦げ/涯(はて)しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島」と表現された惨状は、すべての日本民族が忘れようにも忘れることのできないものです。この人類史上もっとも凶悪な無差別殺人兵器である原爆を人間の頭上に投げつけたのはアメリカだけであり、それをまともに受けたのは日本人だけです。
原爆投下から60年を迎えようとしていますが、自民党政府は原爆で亡くなった40万、戦争で亡くなった300万の霊を冒涜(とく)して、アメリカのいうがままになり、自衛隊を戦地であるイラクに派遣し、憲法九条の改定をはかり、朝鮮、中国、ロシアにたいする核ミサイル戦争に日本全土を総動員する準備をすすめています。原爆を受けた日本をふたたび原水爆の戦場にするという恐るべきたくらみであります。これに、全国的に怒りが渦巻いているのに、表にあらわれた既存の原水禁運動は、なによりも被爆地広島、長崎の市民の信頼を失い、すっかり形骸化して無力なものとなっています。わたしたちはこのような状況を黙って見ていることはできません。
わたしたちはこの4年来、「原爆と峠三吉の詩」と題する原爆パネルを作成し、広島をはじめ全国数千カ所の地域、学校、職場、街頭で展示してきました。広島では、原爆展の開催を支援するとともに、数年来戸別訪問をくり返し、広島の被爆市民のほんとうの声を学び、それを押さえつけている障害をとり除くために努力してきました。今年年頭からは九州から北海道まで全国キャラバン隊を派遣して各地の街頭で展示し、衝撃的な反響を呼んできました。日本全国の大多数が、原爆と重ねて各地の空襲のむごたらしい殺し方への怒りを語り、いまでは原爆投下者が日本を植民地のようにし、またも戦争にかり出すことに激しい怒りを燃やしています。さらに、人人の純粋な平和の願いを食いものにし、無力なものにしてきた勢力への激しい怒りが、広島でも全国でも共通していることを知ることができました。
全国の人人が、目からウロコが落ちたような印象を語っているのは、「原爆を落とす必要はなかった」という問題であり、原爆で残酷な行為をしたアメリカが、謝罪するどころか正当化して、いまもイラクで同じような犯罪をつづけ、それに日本をかりたてていることであり、日本民族の屈辱がますます強まっているという問題であります。
原爆を投下したアメリカは「広島、長崎への原爆投下は戦争を終結させ、幾百万の命を救う慈悲深い行為であり、無謀な戦争をした日本人は反省しなければならない」と宣伝してきました。近年では、「広島は軍都だったから落とされた。被害をいうまえに侵略戦争に加担したことを反省しなければならない」という宣伝や、「広島、長崎のじいちゃん、ばあちゃんは悪いことをしたから原爆を落とされた」というインチキな平和教育は、疑いなく原爆投下者を擁護し、むごたらしく殺された人人を押さえつける側から仕組まれたものです。しかもそれを「平和と民主主義の進歩派」と称する部分からもふりまいてきています。原爆に反対といいながら、自分の名を売り、地位を得るために利用するというのは、実際には原爆に感謝するというものであり、それでは平和運動がつぶれるのは当然のことです。
かつての日本の戦争が犯罪的な侵略戦争であったことは明らかですが、日本にたいして原爆を使用したアメリカの側も、日本を上回る強盗侵略の目的であったことをあいまいにするわけにはいきません。アメリカが原爆を投下したのは、平和のためではなく、八月八日と決まっていたソ連の参戦に焦り、日本を単独で占領・侵略し、日本を拠点にして戦後の世界で強盗戦争をつづけていくという利己的な目的のためであり、そのために罪のない老若市民をむごたらしく殺したというのがあるがままの事実です。アメリカは戦争終結から五年後には朝鮮戦争をはじめ、つづくベトナム戦争、いまではイラク戦争と、休むことなく戦争をつづけ、残酷な無差別殺人をくり返してきましたが、それは原爆使用を自慢する殺人狂の姿といえます。
われわれはいまこそ、世界で唯一原爆を受けた国民として、いっさいの原水爆兵器の廃絶のために力を結集し、日本と世界の平和のために役割をはたさなければなりません。そのためには、占領軍弾圧下の広島で、はじめて原爆反対の運動を切り開いた1950年代の峠三吉の時期の、私心のない運動の原点に立ち返らなければなりません。それは、大多数の大衆を代表し、原爆投下者を正面から糾弾して、労働者を中心にした各層の団結をつくり、世界の平和愛好勢力との連帯をすすめて、朝鮮戦争での原爆使用を押しとどめ、世界中で「原爆の使用が正しい」などといわせない力をつくりました。
わたしたちは、原水爆戦争の危機が深まり、平和運動がつぶれているからといって、「しかたがない」とあきらめて、気づいたときには戦場に立たされ、原水爆の火の海に投げこまれていた、というわけにはいきません。つぶれているのは表面にあらわれた上層部分であって、大多数の国民の平和と独立への意志はきわめて強いものとなっています。このような全国の大衆を束ね、大きな力にするための平和勢力を結集するならば、これまで原爆の使用を押しとどめたような、現在のたくらみを阻止する力を発揮するのは不可能ではないといえます。
わたしたちは、2004年広島集会を期して、新鮮な平和勢力の全国的な結集を訴えるものです。
スローガン
★広島、長崎の被爆市民の
声を若い世代に、全国、世界に広げよう。
★アメリカ政府にたいして
原爆投下の犯罪を謝罪することを要求する。
★アメリカ政府が率先し
て、すべての原水爆兵器の製造、貯蔵、使用を禁止せよ。
★日本とアジアを原水爆戦
争の戦場にする日本全土の核攻撃基地化を許すな。
★自衛隊のイラクからの撤
退、有事法の撤廃、憲法九条の改定を許すな。
★朝鮮、中国、アジアの近
隣諸国との敵対でなく友好を、世界の平和愛好勢力との友好・団結を。
★原水爆禁止運動を、一党
一派の利益のために利用することに反対し、峠三吉の時期の平和斗争の原点に返り、政党政派、思想信条、職業をこえた力ある国民的大平和運動を起こそう。
2004年8月6日