安全保障や停戦実務の専門家でつくる「自衛隊を活かす会」(柳澤協二代表)は2月29日、新刊書『戦争はどうすれば終わるか? ウクライナ、ガザと非戦の安全保障論』(集英社新書)の出版記念イベントを衆議院第一議員会館で開催した。そのなかから伊勢崎賢治氏(東京外国語大学名誉教授・元国連PKO武装解除部長)の発言を紹介する。
◇◇ ◇◇
本日は、この本を書いた時より、ガザの状況が激変しているので、それについて話したい。
昨年10月7日の「ガザ戦争」の開戦、これを「10・7」と呼ぶことにする。
ここに至る経緯は、本当に大雑把に言うと、半世紀以上をかけて拡大してきたイスラエルによる軍事占領と土地収奪の中で、苦痛に耐えかねた被占領者の一部が過激化し“テロ事件”を引き起こした、ということになる。
10・7のハマスの行為は、こういう積年の抑圧の時間軸の中で起きたものであるが、ガザ・イスラエル戦争は「“いきなり”悪魔が降臨」して始まったという印象操作によるハマスの絶対悪魔化――これこそが、人質の安否を憂い「停戦」を求めるイスラエル国内世論の高まりを制して戦争を継続したいネタニヤフ政権、そして「停戦」を謳う安保理決議案にかたくなに拒否権を行使するバイデン政権にとって、その正義の根拠となっている。
確かに、10・7におけるイスラエル側の犠牲者1139人のうち、695人は36人の未成年者を含む一般市民であり、大変に痛ましい“事件”だ。しかし、373人は、イスラエル兵士・治安部隊の要員であり、このときイスラエル国軍のガザ軍区本部への急襲と占拠など、国際法上、正当な軍事行動があったことを無視すべきではない。痛ましいイスラエル市民の犠牲は、本来、軍事行動の中で発生する「第二次被害=コラテラル・ダメージ」における「比例原則」の議論で語るべき問題だ。
「比例原則」とは、自衛権行使の要件が満たされ反撃が正当化されたときに、その反撃の「烈度」を戒めるものだ。反撃に伴う市民への「第二次被害」は、“許容範囲”でなければならない。それを超えた結果は、戦争犯罪となる。国際慣習法としての国際人道法が、戦う双方の自衛権行使における「倍返し」を戒める「戦争のルール」の最も根本的なものだ。
加えて、10・7のハマスの行為は、それ以前から連綿と続いている戦争(*)の中で起きた戦闘の一つとして認識されるべきだ。連綿と続いている戦争とは、2007年にイスラエルが陸海空を封鎖し、ガザが「天井のない監獄」になって以降、大きな軍事侵攻が8つあり(そのうちイスラエル側の勇ましい作戦名がついたものは3つ)、去年10月7日までに、すでに、少なく見積もっても3000名以上のパレスチナ市民が死んでいたのだ。
10・7以降はというと、ご存知のように、今日まで、パレスチナ市民の死者は3万人に及んでおり、その多くは子ども、女性だ。
10・7のイスラエル市民の犠牲は痛ましく、パレスチナ側の犠牲と同様に涙する。しかし、ハマスの行為は、“テロ”ではない。連綿と続く戦争の中で起きた一つの「奇襲攻撃」、いや「奇襲反撃」として認識されるべきだ。
そして、国際法の「比例原則」に基づいて、イスラエル側、ハマス側、双方が犯した第二次被害として、平等に、その違法性が査定されるべきものだ。
この視点は、「悪魔化」が席巻する一般社会の感情とかけ離れたものであることは承知している。しかし、それは、例えば、日本国内で凶悪事件が起きた時に、被害者とその家族たちの苦しみに深く共感し、涙するとともに、「法の正義」を持続させるために「推定無罪の原則」を説く視座と共通するものだ。
この冷静な視座に基づく言説を広めることは、国際司法裁判所が(認定には至らなかったが)「ジェノサイド」と関連付けた、ガザにおけるイスラエルの行為を一刻も早く止めさせるために重要である。なぜなら、「10・7はテロであり、ハマスはテロリストであり、だから殲滅するしかない」という言説空間こそが、無辜なパレスチナ市民を殺し続けるイスラエルと、それを擁護し続けるアメリカの原動力になっているからだ。
ガザ戦争の終結とは何か
ネタニヤフがいう「ハマスの殲滅」。同じ連立政権の極右勢力が喧伝する「ガザへの入植(つまり民族浄化)」。そしてアメリカは、紛争当事者の片方(イスラエル)に多大な軍事支援をしながらも「Two-state solution:二国家共存」を言い続けている。
こういう言説が飛び交う中での、戦争の終結とは何なのだろうか?
そのアメリカだが、ガザ戦争が、周辺国が介入する地域紛争へ発展する恐れを明確に表明している。すでにヒズボラを擁するレバノンとの国境上の戦闘は激化している。そして、ハマス支持を掲げ、紅海でイスラエルと関係のある船籍を攻撃しているイエメンの親イラン武装組織フーシ派に対して、「航行の自由」を掲げるアメリカは、多国籍軍を主導せざるをえなくなっている。
一方で、アメリカの本音は、本土から遠く離れた「敵の懐」で戦ったアフガニスタンやイラクでの悪夢の再現を、極力回避したいのであろうと思われる。
周辺のアラブ諸国は当然のことながら、グローバルサウスでも、広くイスラエルを包囲する世論が高まっている。アメリカ国内の世論も、イスラエルへの軍事供与の是非が、次の選挙に向けて大きく政局化している。
僕の中には、イスラエルに対する国際的な包囲網が拡大するのをほくそ笑む気持ちがある。だが、その結果としてイスラエルが軍事的に窮地に陥るシナリオの先には、イスラエルが核を使用する悪夢も想定しなければならない。
だからこそ、「ガザ戦争」の一日も早い停戦を実現しなければならないのだが、現在も続く停戦交渉は、人質・捕虜交換をベースとしているので、いつか“種切れ”になる。戦闘終結後のガザの統治をどうするか――というビジョンの下で交渉を可能にする基盤を構築しなければならない。
そのビジョンとは、一部アメリカが示唆し始めたように、まずイスラエル軍のガザからの全面撤退を目指すものであるべきだが、それは同時にハマスにも“譲歩”を求めるものであるべきだ。その譲歩とは、武装解除だ。ハマスがみずからを整然と武装解除し、国際社会が認める「政体:Polity」になることだ。
加えて、武装解除後の武器・弾薬のガザへの流入の防止を、隣国を含め国際社会が保障する措置も必要だ。
最低限、それなしに、イスラエルがガザ撤退に応じるとは、とても考えられない。
これは、現在のネタニヤフ政権が発する好戦的な言説からは非現実的に見えるだろう。しかし、交渉の最終的な帰着点は、これになるはずだ。そして、それを説得できるのはアメリカ以外にない。
その際、武装解除をやる主体を、どのような構成にするかが説得の鍵になる。武装解除に中立な目を確保し、停戦違反を監視し、そして仲裁する権限を与えられた国際監視団の創設だ。想定するのは、国連平和維持活動で定番となっている軍事監視団Military Observers Group――多国籍の非武装の軍人で構成されるそれだ。
ハマスの方は、イスラエルやその支援国がこれに参加することは拒絶するだろう。これまでの休戦交渉を仲介してきたカタールを中心に、アラブ諸国が主導し、それを国連が承認する国際監視団なら、ハマスが納得する可能性は十分ある。
問題はイスラエルだ。アラブ諸国、特に周辺国の参加に難色を示すだろう。その場合、グローバルサウスに主導させ、地域政治からより独立した国々で構成する手がある。
その際、日本の自衛隊には、ネパールなどで武装解除の監視の実績もあり、イスラエル対策という点で、信頼醸成の核になれる素質があると思う。
ガザの行政機構の将来
武装解除とともに、ガザの行政機構をどう構築するかは、喫緊の課題だ。国際社会からの復興支援の受け皿となれる行政機構の構築だ。
国際社会の支援を得るためには、すでに国連でオブザーバーの地位を得ているパレスチナ自治政府を前に立てなくてはならないだろう。アメリカも、その方向で考えているようだ。
しかし、その際、ハマスとパレスチナ自治政府の関係が問題になる。
ハマスは、2006年のパレスチナ国政選挙で、ヨルダン川西岸・ガザ両地区で民主的に第一党に選ばれた、れっきとした「政体」だ。パレスチナ自治政府の汚職や腐敗への批判という土壌の中から生まれたのがハマスだ。
10・7直前にも、ある事件があった。
日本ではあまり報道されなかったが、歴史的に複数の巨大なパレスチナ難民キャンプを抱えるレバノンで、昨年の7月から8月にかけて、パレスチナ難民の派閥同士の激しい武力衝突があった。単なる武力衝突ではなく、『アルジャジーラ』など国際メディアは“内戦”と報道し、国外においては今までにはない規模の仲間割れだった。
主流のファタハ勢力と、いわゆる過激派の間の対立が発展したもので、ハマスはこの紛争の直接の当事者ではないということだった。しかし、これが起きる直前に、パレスチナ自治政府の諜報局のトップがレバノンを訪問し、ハマスの影響力を難民キャンプから排除するようヒズボラ側に打診した政治工作があり、これがパレスチナ難民同士の内戦の引き金になったという分析があった。
10月7日、何がハマスをあの奇襲攻撃に踏み切らせたのか?
これから、史実としての解明が進むだろうが、ハマスとパレスチナ自治政府の関係性も、それを誘発させた原因の一つとして、平和構築の作業の中に位置付ける必要がある。西岸地区のパレスチナ人社会でも、パレスチナ自治政府への不信感に反比例して、ハマスへの支持の激増が報道されている。
COIN:Counter-Insurgency アフガニスタンからの教訓
ガザには、ハマスを“背教者・反イスラム”と見下す、より過激な武装グループが複数存在する。より過激な勢力の拡大は、次の世代をターゲットに、周辺国を含めて、これから一層深刻化すると思う。
こういう過激化を抑制するためにも、パレスチナ自治政府とハマスの連立に向けての信頼醸成は不可欠なのだ。これは、アフガニスタンにおける対テロ戦において、アメリカ自身が多大な犠牲の下に学んだ教訓なのだ。
2001年、9・11テロ事件を契機に、日本を含む欧米社会のわれわれは、タリバンをアルカイダとともにテロリストとして徹底的に「非人間化」し、戦争に突入した。しかし、20年間をかけてわれわれは敗北し、現在タリバンは、アフガニスタンが、ISISなどの、より過激なテロ組織の巣窟とならないように、われわれの側に引きつけておくために交渉しなければならない政体になった。
「こっちの戦争計画は大統領の一任期に縛られるが、あっちはそうじゃない。最初から勝負にならないんだよね」――そう語った、僕のアフガン時代のカウンターパートだったアメリカ陸軍中将の言葉を思い出す。
そして、2001年に一度タリバンを倒した当時、アフガン暫定政府の創設において国連を代表したラクダール・ブラヒミ特使が、後に述懐した言葉も思い出す。
「2001年当時は不可能と思われたが、今考えると、あのときタリバンの代表を新政権に参加させるべきであった…」。そうすれば戦争のシナリオは違うものになったであろうという後悔だ。
民主選挙によって選ばれた経験を持つハマスは、その経験がないタリバンより“政体度”が高いと言える。
ハマスは殲滅できない。断言する。逆に利用しなければならない。
「テロリストとは交渉するな」は自滅的言説
2001年の9・11。この時も、首謀者のビンラディン、それを匿うタリバン政権は「“いきなり”降臨した悪魔」として喧伝され、イスラム恐怖症がアメリカ社会を支配した。
私の知人のリベラル系の研究者やジャーナリストたちも、見事に「愛国者」になっていった。しかし、時間が経つにつれ、それは“醒(さ)め”ていった。そもそもビンラディンを生んだのは何か?と。
いわずもがな、ビンラディンは、冷戦時代にアフガニスタンに侵攻したソ連に対抗するためにアメリカが軍事支援した「イスラム戦士」の1人だった。アメリカの典型的な「代理戦争」として位置付けられている、東西冷戦時のアフガン戦争(1978年~1989年)だ。
9・11後、アルカイダを擁するタリバン政権への報復攻撃で始まったアフガン戦争は、アメリカが当事者として、本土から遠い敵の「懐」で戦った、アメリカ建国史上最長の戦争だ。しかし、決定的な軍事的勝利を得られず、ブッシュ政権の末期には、ビンラディンのアルカイダとタリバンを戦略上区別することを余儀なくされる。国際テロ組織アルカイダとは無理でも、一政権であったタリバンとはアフガニスタンの施政をどうするかについて対話可能である、と。
このタリバンとの停戦交渉は、オバマ、トランプに持ち越され、そしてバイデン政権においてアメリカの敗走で終わることにはなったが。
そして2023年の10・7「ガザ戦争」だ。
今回アメリカは、この新たな“対テロ戦”の直接の被害者ではないのだから、みずからの教訓をイスラエルに諭せるはずだ。とはいっても、停戦の一言を安保理決議案に入れることにさえ、頑なに拒むアメリカだ。それが難しいことであることは、十分承知している。
だからこそ、他の親米国家、特に日本の役割があるはずだと思うのだ。かつて、アラファトPLO議長が西側先進諸国からテロリスト扱いされていた時期、彼を日本に招聘したように。
また、緒方貞子さんの功績だが、日本が、ハマスと同じくテロリスト扱いされていたモロ・イスラム解放戦線(フィリピンの過激派)との和平工作を牽引したように。
日本にはそのような平和外交の実績がある。今となっては、それは息絶えているが、日本にはその素質があるのだ。
----------------------
(*)
2008年12日“カストレッド”作戦、別名「ガザの虐殺」。死者900名以上。
2012年11月“雲の柱”作戦。死者一100名以上。
2010よ年7月“防衛の刃”作戦。死者1600名以上。
2018年3月パレスチナ側の命名“復帰への大行進”。死者200名以上。
その他、2018年11月、2019年5月と11月、2021年5月での戦闘。死者300名以上。