62年目の敗戦記念日8月15日がやってくる。小泉政府につづいて安倍政府が登場し、戦争をはじめようというなかで、あの戦争で人人はどんな目にあったのか、あの戦争は何であったのか、大論議を起こすことはきわめて重要な意味を持っている。
第2次大戦は長期にわたるものであった。1931年の満州事変から、37年の盧溝橋事件にはじまる日中全面戦争、そして1941年からの米英仏蘭との戦争、そして45年の敗戦と、15年つづいた。この戦争で中国やアジアの人民を1000万人とも2000万人ともいわれるほど犠牲にした。だが日本の人民もこの戦争で1000万人が徴用され、320万人が戦死した。戦地に送られた兵士は無惨で、武器も食料も与えられずに送り出され、そのほとんどが餓死か病死で死んでいった。全国の都市は空襲で焼き払われ、沖縄は地上戦となり、そして広島、長崎に原爆が投下され年寄り、女、子ども、学生、勤め人という無辜(こ)の非戦斗員がむごたらしく殺され、家財道具は焼き払われた。日本人のなかで、身内のなかに戦死者がいないものはないほどの犠牲であった。これはいかに忘れようとしても忘れることのできないものである。
この戦争について、一方では日本の中国・アジアへの侵略戦争を正当化する流れがあり、もう一方で「横暴な日本」と戦争したアメリカは平和で民主主義の勢力だと見なす流れがあった。この流れはいまや合流して、アメリカの戦争のために自衛隊が下請で参戦し、日本を総動員する流れとなっている。第2次大戦はいかなる戦争であったのかをはっきりさせることは、現代につづく日本社会の本質を明らかにすること、また日本の進路とかかわって大きな分かれ目となる問題である。
中国、アジアに対する日本の戦争は、「白人帝国主義からの解放」とか「王道楽土」とか「大東亜共栄圏」などと叫んだが、それは日本の帝国主義支配階級による植民地略奪のための侵略戦争であった。米英仏蘭との戦争は、ファシズム日本を懲らしめるための平和勢力の戦争などというものではなく、どちらの側から見ても、これら中国・アジアを誰が植民地として奪い取るかをめぐる強盗同士の戦争であった。
アメリカはこの戦争を、日独伊ファシズムとたたかった民主主義と平和の戦いと宣伝してきた。さらにソ連指導部を中心に国際共産主義運動の勢力のなかで、アメリカをともに日独伊ファシズムとたたかったとして、平和と民主主義勢力とみなす見方が戦後の世界を覆った。それは日本人民はもちろん世界の人民が戦争放火者アメリカとたたかうのを妨害し、アメリカへの屈服を強いる修正主義裏切り者の潮流を形づくり、戦後世界に深刻な影響を与えてきた。戦後の日本共産党指導部がアメリカ占領軍を解放軍と見なしたのは、その一環であった。
さらにあの戦争で、日本帝国主義を打ち破った主な力は、アメリカではなく中国人民の民族解放の抗日戦争であった。それは敗戦時でも陸軍の主力百数十万人が中国に釘付けになっていたことからも明らかであった。アメリカは日本帝国主義が中国で敗北した条件を利用して、成果をかすめ取る形で日本を単独占領した関係であった。
日本軍は中国全土に侵攻したが、点と線を確保するだけで、進めば進むほど武装斗争に立ち上がった中国人民に包囲され、打ち負かされていった。すでに日米開戦までに戦死者は18万人を数えるほどになり、撤退するほかないところへ追いつめられていた。しかし撤退せずに日米開戦に進んだ大きな要因は、天皇を頭とする支配勢力の権威が失墜するのを恐れたからであり、日本国内の反乱・革命に進むことを恐れたからである。
アメリカは日露戦争後に、「オレンジプラン」と称する対日戦争計画をつくっていた。日本との戦争は必至との判断で、ハワイ攻撃を仕掛けさせ、それを待って総力を挙げて日本をたたきつぶし、占領するというものであった。日米戦争が始まると、すべての責任は軍部に負わせて、天皇を傀儡(かいらい)として利用して日本を占領するという計画を持っていた。そして天皇・皇居への攻撃は厳重に禁止させた。また三菱や八幡製鉄などの大企業の工場も攻撃されなかった。
まともな戦争ではなかった日米戦争
日米戦争はまともな戦争とはいえないものであった。開戦に当たって、日米戦争の主力となる海軍は「半年しか戦えない」と見なしていたが、負けると見なしていた戦争に突き進んだ。すでに半年後のミッドウェー海戦で大敗北し、43年のガダルカナル島陥落で敗戦は決定的となっていた。44年のサイパン陥落で日本本土は空襲攻撃の圏内に入り、東条内閣は倒壊した。それでも天皇をはじめとする戦争指導者は戦争をやめようとしなかった。武器も燃料も持たせず、米潜水艦に沈められることが分かっている輸送船に乗せて、次次に海の藻屑とさせた。南の島に取り残された兵隊は、武器も食料もなく、そのほとんどが餓死か病死で死んでいった。日本の若者から40代の家庭持ちまで、わざと殺すために送り出したようなものであった。
そして国内では、45年に入って都市空襲が始まった。敗戦までには焼くところがなくなるほど日本中が焼き払われた。四月には沖縄に1500隻、55万の大軍が押し寄せ、鉄の暴風といわれる艦砲攻撃、機銃掃射、そして火炎放射、毒ガス使用など、20万の住民と兵士が無惨に殺された。そして8月6日の広島、9日の長崎と原子爆弾が投下され無辜の非戦斗員20数万が焼き殺された。
原爆投下は8月9日に決まっていたソ連参戦に焦って投下したものであり、天皇やソ連を脅しつけ、ソ連の影響を排除して日本を単独占領するためであった。戦争終結には何の必要もないものであり、それはアメリカの戦後世界を支配する野望のために、この上ないむごたらしいやり方で罪のない非戦斗員を殺したのである。
天皇をはじめとする戦争指導者たちは、戦火にさらされる国民の生命財産を守る気などまったくなかった。かれらが考えていたことは、自分たちの支配の地位を維持することだけであった。45年の2月、吉田茂などが関わった近衛文麿の天皇への上奏文では、米英は国体の変革を考えていない、恐るべきは日本の人民が革命を起こすことだというものであった。米英が天皇を利用して日本支配をするということを知った上で、彼らに投降することを願ったのである。そのためには日本の人民が立ち上がれないほどに打ちのめされた方がよいと願っていた。国民を戦火にさらし痛めつけることは、日本占領を願うアメリカと自分たちの支配の地位を守りたい彼らの利害が一致していたのである。
そして日本はアメリカに単独占領された。敗戦になると、天皇をはじめ財閥、政治家、官僚、マスコミなど、それまで「鬼畜米英」「1億玉砕」などと駆り立ててきた戦争指導者たちは、アメリカに命乞いをし、戦争責任は軍部だけであり、自分たちは元元から平和主義者だったような顔をしてあらわれた。日本の独占資本集団が、反米の牙を抜かれ、アメリカに日本民族のすべてを売り飛ばして目下の同盟者として延命を図る。それが戦後の日本社会の基本的な構造となり、現在につづいている。
62年へて米国防衛の盾にされる日本
敗戦につづいて62年たった日本社会は、無惨な植民地的荒廃にまみれ、アメリカの国益のための戦争に日本を総動員するという許し難い事態に立ち至っている。ブッシュ政府の登場とあわせた小泉政府から安倍政府に至る政治は、アメリカに付き従った市場原理・すなわち金儲け一本槍主義であった。そのために社会の活力の原動力である労働者は子どもをつくることもできないような状態にし、農水産物の自給ができないように農漁業をつぶし、教育や医療といった社会的に保障すべきものは露骨な商売道具にして切って捨て、市町村合併をして地方自治はないようにし、民意などへのカッパの独裁政治が横行する。
そして米軍再編なる在日米軍の大増強に加担し、防衛庁を防衛省に格上げして自衛隊の海外派兵を本来任務にし、憲法を改定し戦争ができる国にする。しかもこの戦争は、アメリカの下請戦争である。兵員不足であえぐアメリカのために肉弾を差し出すものであり、アメリカの核戦争の盾にするという許し難いものである。第2次大戦で筆舌に尽くしがたい犠牲を払った日本人民が、もう1度今度はアメリカの国益のために、日本本土を核戦争の戦場にするというような戦争を繰り返すというのは、この上ない民族的な屈辱である。
売国、戦争、反動、貧困の道を許さず、独立、平和、民主、繁栄の日本を実現するために、第2次大戦はいかなる戦争であったか、体験者が本当の思いを語ること、若い世代がその新鮮な怒りを共有することはきわめて重要である。
また敗戦記念日を迎えるに当たっては、なぜかつての戦争を押しとどめることができなかったか、今度はどうすれば阻止できるかという教訓を引き出すことが重要である。現在さまざまにはびこってきた平和勢力といわれる部分が今日まったく腐敗堕落しきっている。その根源として、第2次世界大戦の評価について、ソ連指導部を先頭にアメリカを平和と民主主義勢力と見なす修正主義裏切り者潮流があらわれたことが深刻に作用している。戦争が迫るなかで、ソ連指導部のなかで、ソ連一国を守るために世界の人民の斗争を利用するという、国際主義精神に対立した民族利己主義から、アメリカに幻想を持ち屈服していくという流れがあらわれた。そしてその流れが戦後、人民運動の内部から戦争放火者アメリカとたたかうことを妨害する流れをつくってきた。
戦争を押しとどめ平和で豊かな社会を建設する力は生産を担う人民大衆のなかにある。大衆が全国的に団結するには、その先頭に立ってたたかい大衆を団結させていく新鮮な政治勢力が不可欠である。そのような勢力は、あらゆる私心を捨て、歴史を創造する原動力としての人民大衆に奉仕する思想に徹し、大衆の意見を集中し、正しい歴史の発展方向に沿って導いていく、大衆の先頭に立って戦争を引き起こす敵と正面からたたかう勢力である。