いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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アメリカ原理時代の終焉と「脱西洋」の新しい世界――グローバル化による破壊と混迷を立て直す力 東京外国語大学名誉教授・西谷修

イスラエルの2カ月にわたる無差別爆撃で廃墟と化すパレスチナ自治区ガザ地区(15日)

 2022年2月から本格的に勃発したロシア・ウクライナ戦争も収束しないうちに、今年10月からイスラエルによるガザ侵攻が始まり、第二次大戦後のアメリカを中心にした「世界秩序」の威信が大きく揺らいでいる。この秩序の不安定化を理由に、日本でも政府やメディアによって隣国の脅威が煽られ、戦時を前提とした軍事拡大路線が進められる事態に対して全国で憤激が強まっている。戦後史を画すような変化が世界規模で起きるなかで、日本社会を含む世界の変化をどう捉えるか――本紙は、『戦争論』などの著書で知られ、ウクライナ戦争の即時停戦を早くから提唱してきた東京外国語大学名誉教授の西谷修氏にインタビューし、その考察をまとめた。

 

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西谷修氏

 ウクライナとガザ――世界を巻き込む二つの戦争が錯綜して進行する今、私たちはどんな世界を生きているのか、日本に生きる私たちはそれをどう把握し、新しい時代を展望するか。地理歴史的な世界の展開の現在地における自分と世界の認識を、私なりの観点で照らし出してみたい。

 

 結論的にいうと、20世紀はアメリカの世紀であり、戦争の世紀あるいは戦争と革命の世紀といわれた。それは世界中に戦争が広がったからだが、それは常に欧州から始まり、それによって世界は一つになった。これには二段階あったが、まずは欧州諸国による世界の植民地化、それが破綻すると次いで起こったのがアメリカ統治原理によるグローバル化だ。いまはその二度目の「西洋化」が破綻する時代になっているといえよう。

 

 西洋諸国の世界展開で、世界の多くの場所は植民地化された。そうでないところも、もともとの生活や習俗を捨てて近代化=西洋化し、近代の諸価値、とりわけ、豊かさや富を生産する産業経済システムを支える諸価値が旧来の社会を大きく変えるようになった。植民地化されたところは、西洋諸国の繁栄や発展のために、人も資源も社会的資産も獲り尽くされ、荒廃した砂漠、世界の貧困地帯として残った。

 

 近代以降の日本は、西洋化の圧力のなかでみずから西洋化を試み、西洋的世界システムの中でのプレーヤーたらんとしてきた。西洋化の波に呑み込まれるのはまずいが、この流れに乗っていくしかないということで、中央集権国家を作り、殖産興業や富国強兵をやり、食いつくされる中国などを尻目に、「脱亜入欧」に突き進む。遅れたアジアを脱し、西洋に合流するということだ。そして事実、無理をして二度の対外戦争をやり、開国半世紀後には二つの植民地を得て「アジアで初の植民地帝国」となる。アジアは西洋諸国と争って食い尽くすべき素材なのだ。

 

 だがその頃、欧州では、それとは知らずして始めた戦争が欧州全体を呑み込む第一次世界大戦になってしまい、それが4年間も続くなかで混乱を極めた。そこから、これまでのように力の論理で奪い合う戦争をやっていては、世界に冠たる文明を誇る西洋そのものが自壊し、没落してしまうという反省が生まれる。だから戦後初めて、戦争が罪悪視されるようになり、不戦条約の試みや軍縮交渉を始めるが、日本は「そんなことは知らない。自分たちはこれからだ」とばかりに征服や拡大の方針を突っ走ることになる。

 

 米国もそれまでの欧州の世界進出にともなう植民地戦争に深くは関わっていない(むしろ「解放」してきた)。欧州混乱の体たらくを見て、調停機関である国際連盟をつくるが、米国自身は入らなかった。「古いヨーロッパはこれでやれ。俺は知らない」とばかりに。

 

 そして1922年、社会主義ソ連が誕生。そして欧州諸国の抗争で一番打撃を受けたところから、恨みの怪物のようにしてナチズムが出てくる。そこから始まった世界戦争(第二次世界大戦)は、アジア・アフリカの植民地も全部ひっくるめておこなわれた。その最後に登場した核兵器は、それまでの戦争を不可能にした。戦争は相手を負かして、言うことを聞かせてものを奪うものだったが、原爆を落せば何も残らなくなる。原爆は、戦争を不可能にさせる事実上の「最終兵器」となった。

 

「西側」とは何か? 新・旧2つの「西洋」

 

 第二次世界大戦を終わらせたのは、一度も戦争に懲りていないアメリカだった。アメリカはただちにソ連と核を掲げての冷戦に突入する。ここからはイデオロギー戦争の時代だ。

 

 建国以来アメリカは、私的所有の上に「自由」をつくる国だった。欧州のように、住民を奴隷にして自分が主人になるというような面倒なことはしない。先住民(インディアン)を追い出し殲滅して、それによって「誰もいない土地」を作り出し、そこに不可侵の私的所有権を設定し、それを基盤に「持てる者の自由の国」(J・ロック)をつくるのだ。

 

 一方のソ連は、私的所有の廃止を掲げる。それが現実的にどのような社会制度を生み出したかは関係なく、私的所有を考え方として否定する。この「不倶戴天の敵」同士による冷戦は、世界に拡大し、植民地独立闘争も巻き込んで「所有の自由vs社会統制」のイデオロギー戦争となる。

 

 この東西の冷戦は、ソ連の自己解体によって終わる。いわゆる「自由・民主主義」を掲げた「西側」が、壁の向こうの強権と専制の「東側」(社会主義圏)を解体し、その諸要素(人・モノ・組織)を自由市場に「解放」して、1990年以降のグローバル化と呼ばれる時代を開いた。解体された東欧・ソ連では、西側の市場原理が導入され(IMFや世銀の構造調整が入り)、旧体制の特権層が国有財産を私物化して富裕化する一方、一般の人々は泥沼のなかに打ち捨てられる形で塗炭の苦しみを強いられた。

 

 これにより世界は「西側の原理」でグローバル化する。だが、対抗勢力がいないのだから、それがそのまま世界のスタンダードとして浸透し溶け込んでいくかといえば、そうはならなかった。

 

 そもそも「西側」とは何か? 米英語では「ウエスト」といわれるのが常だが、元はラテン語由来の「オクシデント」だ。日本語では西洋と訳されるもので、ここには米国も含まれる。米ソ冷戦の東西区分は、ヤルタ会談で決められた欧米とソ連との影響圏の分割によるものだが、実は歴史宗教的にみれば、キリスト教世界を東西に分けたローマ・カトリックと東方正教との境界とほぼ重なっており、さらに遡ればローマ帝国の東西分裂が元になっている。

 

 欧州は20世紀前半までは、世界史の一つの「主体」領域だったが、世界戦争以降は「新しい西洋」としてアメリカが台頭し、アメリカはソ連とのイデオロギー戦争も「西洋(西側)」の名の下におこなった。そのため欧州はそこに組み込まれざるをえない。冷戦後も米国は、欧州とロシアとの関係修復を阻むため、ワルシャワ条約機構の解体で存在意義がなくなったはずのNATO(北大西洋条約機構)を維持し、欧州を米国に繋ぎ止めるための鎹(かすがい)とした。だからその後、NATOを東方拡大して対ロシアの圧力として使うのである。それは実は欧州をも困らせている(ロシアと協力できない)が、ウクライナ戦争の淵源も明らかにここにある。

 

イスラーム世界の復権 イラン革命が転機に

 

1978年のイラン革命。シャー体制打倒のデモでホメイニー師の肖像画を掲げる男性(テヘラン)

 アメリカ的体制、世界統治を拡大していくためには常に敵が必要となる。「敵の殲滅」を掲げることで軍事力も経済力も維持でき、それによって世界を制することができる。社会主義崩壊の後に、アメリカが次なる敵として名指ししたのがイスラームだった。

 

 90年代以降、世界のグローバル化において、それに異を唱えるものは全部「テロリスト」とされ、抹消の対象となった。その発端となったのがイラン革命(1978年)だ。

 

 イラン革命とは、単にイスラームが政治化して神権政治をつくったというような話ではない。この200年来の「西洋の支配」とは、一つは資本主義、もう一つは社会主義だ。双方とも西洋から持ち込まれ、社会を西洋的に世俗化し、合理的な人間統治をするという考え方だ。それが植民地化とか信託統治領という形でアラブ・イスラーム世界をずっと圧迫していた。

 

 当時のイランは、皇帝の血筋であるレザー・シャーが、アメリカの全面サポートで強引な近代化を進めていた。アメリカにとっては中東の石油地帯を掌握するためだ。だが、それは徹底的な独裁近代化路線であり、都市部が近代化して華やかになる一方で、取り残された農村地域では飢餓や貧困が蔓延する。そのとき、誰からのサポートも受けることのない彼らの生活や日常生活の意識を支えてきたのが、イスラームの共同体だった。

 

 イスラームには、キリスト教のように政教分離という考え方はない。政教分離とはキリスト教独自のもので、プロテスタントが生まれて宗派対立が激しさを増したときに、宗教はそれぞれの心の中で信じればよいのだから、そこに相違があっても「公共領域」である政治に持ち出してはいけないという考え方としてつくられた。それを世俗化という。つまり、政治は世俗の欲と原理で動けばよく、合理的に考えても上手くいかないときには教会で懺悔すればよいというものだ。

 

 それはイエスが神と人間との「仲介」であるという仕組みとも重なっている。アウグスティヌスが「神の国」「地上の国」と説いた両世界論がキリスト教の根幹だ。「地上の国」は欲や罪にまみれた世界だが、そこに啓示の光が蜘蛛の糸のように垂れると「神の国」に目覚めて信仰するようになる。その恩寵の光にあずかったときにこそ人は悔い改めて天国に行ける。あらゆる人間がこの神の啓示に目覚め、恩寵の光に照らされて信者になれば、地上に「神の国」が生まれたのと同じだという考え方だ。

 

 だが、イスラームはそうではない。神は隔絶しているから、この世(世俗)のことは人間が責任を持つ。世俗のことを神の責任にするのは罰当たりであり、世俗のことは人間がやるという考え方だ。「アッラーフ・アクバル(アッラーは最も偉大なり)」というのは、神に助けを乞うというものではなく、神が自分たちを罰しようが見捨てようが、それは偉大な神の力であって仕方がない。そういう世界の下にわれわれは生きているのだから、すべては神に委ねている。そして世俗で生きることが、神の掟に従って生きることなのだ。だから世俗のことは人間が共生しておこない、日々そのように生活することが神への奉仕となる。だから貧者には喜捨しなければならないし、富める者は貧者を助ける。お互いに助け合わなくてはいけない。

 

 そもそも苦しいときに助け合う共助精神がなかったら、貧しい地域で人は生きていけない。そのように生活し、助かった人たちは「神は偉大だ」といって生活する。だから、彼らにとってムスリム(神に帰依した人)であるということは、十字架を掲げるとかそんなことではなく、毎日お茶を飲むようにみんなと共同して生きるという生活様態そのものなのだ。だからイスラームは習俗化するのである。

 

 そこに近代化と称して西洋から資本主義や社会主義がやってきて、どーっと一元的な体制を敷かれると共助のしくみも壊れてみんな生きていけなくなる。そういう目に散々あって来ているから、アメリカ傀儡のシャー体制に立ち向かったイラン革命では、人々は米国製の戦車から撃たれても撃たれても立ち向かっていく。1回のデモで20人殺されると、次には倍する人数が出てきて、200人死ぬとまた倍する人数が田舎からも続々と出てくる。そして、ついにシャー体制は崩れる。

 

 そのときの指導層には、マルクス主義者やトロツキスト、欧州的民主主義者もいたが、国外追放されていたアーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニー(イスラーム・シーア派指導者)がフランスから帰ってくると大衆は熱狂し、結局イスラーム集団が権力をとった。それがイラン・イスラーム革命だ。

 

 イラン革命は、資本主義か、社会主義かという話ではなく、150年間の西洋的近代化(西洋の支配)によって生活やモラルの基盤まで全部が崩され、きわめてポルノグラフィックな消費的文化にとって替えられるなかで、生活を崩されてきたこの地域全体の人たちが、壊されてきた自分たちの生活、つまりイスラームこそが「俺たちの生活だ」ということを表明し始める転機となる出来事だった。

 

米国発の対テロ戦争へ 国際法逸脱の殲滅戦

 

イラク戦争で「テロリスト掃討」を名目に民家に押し入る米軍(2008年、バグダッド近郊)

 先述したように、イスラームは本来、政治運動でもイデオロギーでもないが、西側からの弾圧、抹消の対象となる。典型的なのがエジプトだ。

 

 エジプトは4度にわたる中東戦争の結果、イスラエルと和解する代償として軍事政権になった。だが、それを実行したサダト大統領はイスラーム過激派青年に暗殺される。そこから権力を継承したムバラクは、サダト暗殺直後から2013年の「アラブの春」まで30年間戒厳令を敷いた。そのもとでおこなわれてきたのは、イスラーム意識をもって生きていた民衆、そこから生まれた政治勢力(イスラーム同胞団)の徹底的な弾圧だった。

 

 この時代の弾圧によって、この地域の生活様態にすぎなかったイスラームは「イスラミズム(イスラーム主義)」と呼ばれる政治運動を生み出す。そこから出てきたのが、後にアルカイーダの指導者となるアイマン・ザワヒリだ。エジプトの牢獄に入れられていた彼は、エジプトのこの現状を生んだ元凶はアメリカであり、アラブ世界でイスラーム勢力を徹底的に潰したのもアメリカであるとして、国際旅団(ジハード団)を組織し、その後ウサマ・ビン・ラディンらと繋がっていく。

 

 この時期、中東全域のイスラーム化が起きる。それは過激化したテロリストたちが登場したということではなく、イスラームを基盤に生きてきた民衆が、自分たちの意思や好みを堂々と表明するようになり、選挙では必ずイスラーム勢力が勝つほどそれが席巻していたからだ。だが西側は、その選挙を「無効」として認めず、軍隊まで送り込んで弾圧する。

 

 そして2001年、日本では「同時多発テロ」と呼ばれる「9・11」が起きる。その直後からアメリカは「テロとの戦争」を宣言し、アフガニスタンやイラクを一挙猛爆撃で潰しにかかる。これまでの戦争は少なくとも国と国がやるため、お互いの言い分が言い合えるし、国家の軍事力に直接関与しない市民は守らなければならないなどの約束事(戦時国際法や国際人道法)があった。これは欧州の近代がつくってきた戦争のルールだ。

 

 だが、アメリカは「そんなものは古い」とし、相手はもはや国ではなく、テロリスト=見えない敵であり、われわれが「テロリスト」と認めたものは徹底的に爆撃して殺してよいという新しいレジームをつくった。しかも相手には当事者能力を認めないから、交渉などしない。こんな「戦争」は近代以降かつてなかった。

 

 つまり、最先端の武器やテクノロジーを持つ力のある国が、敵と名指しした者を虫ケラのように踏み潰していく――ただそれだけだ。こんなものは戦争とはいえないが、それがあたかも新しい時代の戦争であるかのように喧伝され、「非対称戦争」などと概念化までされるようになった。それ自体、壮大なフェイクである。

 

ガザ「最終戦争」と米国 先住民根絶の歴史

 

 アメリカがグローバル・レジームとして打ち出した「テロとの戦争」を真っ先に歓迎したのが、他でもないイスラエルだ。当時、第二次インティファーダ(パレスチナ民衆蜂起)の真っ最中で、ガザだけでなく、ヨルダン川西岸でも、イスラエル占領軍に対して石を投げて抵抗するパレスチナの民衆をイスラエルは軍事弾圧していた。

 

 ブッシュの「対テロ戦争」宣言に意を強くした当時のシャロン首相は「まさにわれわれがやってきたのがテロとの戦争だ」として、パレスチナ民衆の軍事制圧を正当化した。自分の安寧秩序を脅かすものは「絶対悪」であり、抹消する権利があるという論理だ。これでムスリム団体出自のハマスを堂々と駆除できるようになり、ハマスの戦闘員を生み出すガザの住民たちは「テロの温床」として壁に閉じ込められ、いつでも爆撃されるようになった。

 

 この「テロとの戦争」から、アメリカ軍中央司令部による日々の戦果発表は「テロリスト〇〇人殺害」と報じられるようになる。それによる一般民衆の被害すらも「コラテラル・ダメージ(副次的被害)」として、やむを得ないものと規定される。テロリストを匿ったりする者は「人間の盾」であり、ぶっ飛ばして当然というのが「テロとの戦争」だ。そしてこの戦争は、目標が「敵の殺害」であることを隠さない。

 

 今まさにイスラエルはそれを対ハマス「最終戦争」、ガザ最終戦争としてやっている。戦争犯罪の代名詞である「ジェノサイド(大量虐殺、集団殺戮)」とは、ラテン語の「人種」と「殺害」を意味する言葉を組み合わせて生まれた用語だが、語源の「ジェノス」には「生まれてくる者」「生まれをともにする者」という意味がある。つまり、放っておくと大きくなってテロリストになるから、サナギのうちに全部焼いておくというのがジェノサイドだ。それが病院攻撃である。

 

 「ハマスの殲滅」とは、ガザの全滅を意味する。それは国家同士が衝突する「戦争」などでなく、国家なき難民居留地の殲滅作戦でしかない。実際、イスラエル軍は米軍関係者との非公式協議で「アメリカは日本を降伏させるために広島と長崎に原爆を落としたではないか」といってガザ完全破壊を正当化し、それを実行に移している。

 

 そして、アメリカはあくまでイスラエルを擁護し、支持し続ける。今でこそ抑制的にはなっているが、それでもイスラエルの戦争を止めることなく、国連安保理の停戦決議にも一貫して反対し、拒否権を行使する。

 

 それはなぜか? メディアの解説ではいろいろ取り沙汰される。アメリカのユダヤ人コミュニティの圧力とか、ナチスから守って作らせた国だからとか…。確かに冷戦下でイスラエルは石油地帯であるアラブ諸国に対する抑えとして、西側の橋頭堡でもあった。だが、今回のように、イスラエルの「戦争」が、国際社会の大半の支持を失っても、アメリカはイスラエルの「自衛戦争権」を支持し続けている。それはアメリカの基本外交姿勢だと受け入れる前に、それはなぜなのかを問うてみる必要がある。

 

 一つは、先述したように、イスラエルが遂行しているものが、アメリカ自身が「新世紀」のレジームとして打ち出した「テロとの戦争」だからである。相手は「テロリスト」であり人間ではないのだから、秩序の保持者がなんとしてでも殲滅する。相手は国家ではない不法な武装集団だから、国際法など意味がない。地の果てまでも追い詰めて抹消する――それを文明の名においておこなうのがアメリカの唱える「テロとの戦争」だ。(これが20年かけて最終的に失敗し、アメリカはアフガニスタンから撤退するが、敵をテロリストと名指しする習慣はとどめ、法的保護の外に置いて、他の国々がそれに追従している)。だからアメリカは今さらイスラエルのやり方を批判できない。

 

 だが問題の根はもっと深い。実はイスラエル国家の成り立ちは、アメリカ合衆国とまったく同型なのだ。イスラエルは、欧州で迫害されたユダヤ人たちが旧約聖書を根拠にしてパレスチナの地につくったものだが、アメリカの場合は、イギリス本国で迫害されたピューリタン(清教徒)が、信仰の自由な地を求めて大西洋を横断し、「新大陸」(現在のアメリカ大陸)に入植してできた国だ。彼らにとってキリスト教徒がいないということは、誰もいないのと同じだった。「自由の地」とは彼らにとってのフリー・ゾーンであり、土地所有の観念のない先住民を塀を作って追い出し、弓しかもっていない彼らを撃ち殺し、「在ったものを無かったこと」にして創った「新世界」だ。

 

 これを21世紀の現在、再現しているのがイスラエルだ。イスラエルはホロコーストの犠牲者であることを誇示するが、反ユダヤ主義やユダヤ人差別というのは、欧州のキリスト教世界の宿痾である。だが、アラブの地にイスラエルという国をつくったために、かつてのユダヤ人のような「国なき民」を膨大に生み出し、今度は彼らを「テロリスト」と名指しして根絶する。「二度と潰されないユダヤの国」をつくると主張し、それをイスラエルの根拠にしたことによって、ユダヤ人=流浪の民であるということを徹底的に否定する。これは自分自身への敵対にほかならない。これを世界史上最大の倒錯と言わずしてなんだろうか。

 

 今、世界中のZ世代が、ガザの状況を目撃して「イスラエルはジェノサイドやめろ!」「パレスチナのために!」とデモをしている。各国の為政者たちはあたふたし、フランス政府はこれらのデモを反ユダヤ主義だといって禁止した。だがこれこそが倒錯である。反ユダヤ主義というのは欧州がやったことであり、パレスチナ人の抵抗はまったく別のレジスタンスだ。そのことがZ世代にはよくわかるようだ。

 

 だがアメリカは絶対にイスラエルを擁護する。なぜなら、パレスチナ人(先住民)を抹消して更地にし、そのうえに「自分たちの自由」の領野をつくろうとするイスラエルを否定することは、アメリカ国家自体の存在の根拠を否定することになるからだ。アメリカの「原罪」を語るなら、それは奴隷制や黒人差別の歴史ではなく、先住民の抹消である。広島・長崎の原爆を落とし、その後もそれを誇示して世界に君臨しようとするアメリカは、この先住民殲滅を認めざるを得ない。

 

供給路を封鎖されて食料が枯渇し、慈善団体の食糧配給に列をつくるガザ地区の子どもたち(パレスチナ自治区ガザ地区ラファ)

西洋化拒む「第三世界」 植民地化の経験から

 

 ヨーロッパの世界史展開における植民地征服のやり方は、自分の力を誇示し、戦えば死ぬことを相手(植民地)に悟らせ、いうことを聞かせて奴隷にする。そして、主人(欧州)は働かずして奴隷に働かせてもうけるというものだ。これをヘーゲルは「主人と奴隷の弁証法」といった。主人は富をつくるための労働をせず、奴隷に依存しているが、奴隷は労働によって自立する。それによって権力は空洞化されるというパラドックスを説いた。そのような欧州諸国の世界進出は、主人同士が競合し、常に争い、新興国との間でも矛盾が起きて欧州全体の戦争を招いた。これが「西洋の没落」といわれ、そこから反省が始まる。

 

 だが、「老害たち(欧州)のような面倒なことはやらない。我々のように根絶やしにすれば自由は盤石なのだ」というアメリカがグローバル化の盟主として登場した。それを現代に象徴しているのがイスラエルであり、その最終段階として、「先住民」の根絶を堂々とやろうとしている。これまで欧州が避けてきたこと、覆い隠してきたことを身も蓋もなく演じるイスラエルにアメリカは慌てている。

 

 だが、多くの国は気がつき始めた。このレジームは、「先住民」を根絶することで自分たちの文明を押し出してゆくというものだ、と。だから「第三世界」と呼ばれる国々、欧州の植民地化を受け、アメリカの裏庭にされて、破壊と収奪をし尽くされてきた地域の人々は、このレジームを礼賛できない。その手の内が見えるからだ。現在のいわゆる国際法や国連体制は、欧州による世界戦争の反省と自覚からでてきたものだが、第三世界の国々はこれが自分たちを守ってくれるものだとわかっている。欧州の自己制約から生まれたものだからだ。だがアメリカは、それを古いものとして「テロとの戦争」を先導する。しかし、自分たちはまさにそのような破壊を生き延びてきたのだという自覚のある地域の人々は、それにはついていかない。さまざまな意味でのサバイバーたちが、それを今はっきり表明し始めている(地球温暖化についても同じだ)。

 

 対ハマス最終戦争は、この転換を画す世界史上の出来事だ。在ったものを無かったこと(更地)にして新世界を創る――これをアメリカ原理というとすれば、アメリカ原理の終わりの時代だ。アメリカという「新世界」ができて以来、その「新世界」とは人類の歴史にとって何だったのかということが問われる事態を呼び出している。

 

米欧の統治からの自立へ グローバル・サウス

 

 一般的な国際関係の議論のなかでは近年、アメリカ単独主義が多極化によってそうはいかなくなっているという言い方がされたり、中国との関係も同じ文脈で語られ、「米中対立」などと言われる。だが、明治日本の「脱亜入欧」の時期から、中国は日本と欧米に徹底的に食い尽くされ、それをはね除けたら今度は共産主義だからといって封鎖され、封鎖が効かなくなってアメリカが中国を承認した後も、ずっと敵視と封じ込めの対象だ。

 

 しかし、グローバル経済のなかで、中国のGDPが数年後にはアメリカを超えることがほぼ確実なものになった。アメリカはこれが許せない。なんとしてでもこれを妨げ、遅らせることがアメリカのその後の国家戦略になる。だから、50年前に台湾国民党政府を捨ててでもやった中国との「国交正常化」などなかったかのように、常に中国を悪者にし、ふたたび台湾を足場に挑発している。それはかえってアメリカの危機感を露呈させている。

 

 ウクライナとロシアの戦争についても、欧米はロシアをグローバル経済から切り離して封じ込めようとしたが、経済制裁とは「持つ者」が「持たざる者」を絞め上げるもので、経済や資源が「敵]に依存していれば、制裁する方の首が絞まる。

 

 アメリカには余裕があっても、欧州や日本などは完全に首が絞まる側であり、エネルギー危機、物価高、経済変動という混乱に陥っている。すべて対ロシア制裁の結果だ。アメリカはついにノルドストリーム(ロシアの天然ガスを欧州に供給する海底パイプライン)の破壊までやったが、ロシアはもう「助けてくれ」とはいわない。

 

 付言すれば、日本でもウクライナ戦争について「小国に対する専制主義国家の侵略」というアメリカとメディアが作ったフェイクに乗る風潮が吹き荒れた。だが、すでに明らかなように、係争地である東ウクライナはもともとロシア語話者が多く、マイダン革命以降に政権をとった西ウクライナにとってはお荷物であり、そこですでに「エスニック・クレンジング(民族浄化)」が起きていた。2014年からいわゆるアゾフ大隊(ウクライナの極右民兵団)がひどい住民殺戮をやってきたし、その記録は国連報告にも残っている。そんなことまで無視し、口を拭って、ロシアの一方的な侵略と言い募り、「ゼレンスキー頑張れ」というが、そのゼレンスキーは今回真っ先に「ネタニヤフ頑張れ」とイスラエルの蛮行を支持している。これがすべてだ。

 

 トルコやインドなどこれまで欧米から散々好きなようにやられてきた国々はむしろロシアを守る。中国は大国の自覚から表に出ないようにしているが、上海条約機構や「一帯一路」などで着実にそれぞれの国々を繋げていく。その結果、ウクライナ戦争でロシアを孤立させようとした米欧側が孤立してしまった。

 

 だから、米欧(G7)は「グローバルサウスを味方に付けなければいけない」などと今ごろになって言い始めたが、もはやこの地域はついていかない。アメリカの統治・ヘゲモニーからの、それぞれの地域の自立を目指しているからだ。国と言わず地域と言うのは、これらの国は、欧州が机上で線(国境)を引いて分割したことによって独立させられたのであり、国になる自然根拠はない。それでも受け入れて、内部にさまざまな問題を抱えながらやってきたが、米欧が一度でも助けてくれたのか、ということだ。そういうこともウクライナ戦争で炙り出された。

 

先住民文化で社会再編 歴史と生活を基盤に

 

ボリビアでモラレス元大統領の再選を求める先住民族によるデモ(2017年11月、ラパス)

 第二次大戦から80年、何千万もの犠牲を出して作り出してきた人類の「遺産」をご破算にするアメリカの「歴史修正主義」は、この二つの戦争の失敗によって崩壊しかけている。欧州、アメリカによって二重に起きた「西洋の世界化」が破綻しているわけだが、それを何が破綻させているかといえば、世界各地で起きている先住民族の復権だ。

 

 200年来、西洋の圧倒的な力で上から覆われ、ブルドーザーで生活形態を刈られながらも生き延びてきた人たちこそが、「瓦礫の中に残った世界で人はどう生きるか」ということを体現している。それがイスラーム地域であり、パレスチナであり、インドやトルコで起きていることだ。

 

 それが近年もっとも典型的に表れているのが、「アメリカの裏庭」にされてきたラテンアメリカだ。キューバにせよ、ベネズエラにせよ、世界史的な状況の中でマルクス系の社会主義理念を掲げざるをえなかったという事情はあるが、結局キューバを守ってきたものが何かといえば、あそこに残ったクレオール世界(徹底した植民地化を経験したカリブ海諸社会で異なる民族や文化が混合して生まれた社会形態)の自足的な自立なのだ。封鎖されていなかったらもっと外にと開いていけたはずだが、アメリカによって事実上70年間、経済封鎖を受けている。

 

 だが近年、アメリカのキューバへの経済制裁解除を要請する国連決議が圧倒的多数で成立するほど、欧米諸国の植民地支配を受け、独立してからもその軛(くびき)を負わされてきた国や地域は米欧の独善を受け入れなくなっている。

 

 またボリビアは、インディオスの先住民系住民の割合が多く、近年は国の主要な役職に女性が多く就き(国会議員の約半分が女性)、新しい国の方針や精神的な検証を出している。その中心はインディオ(先住民族)の復興だ。欧米の植民地化によって殲滅されたが、この200年の世界史の波を被り、なおこの先どうしていくかを考えたとき、やはりインディオの生き方で現代社会を再編していくことではないか――そういう長期を見据えた方向性を国が示している。それを求める広範な土壌がある。

 

 西側から「左翼」のレッテルを貼られるモラレス元大統領も先住民系であり、新自由主義に対するたたかいにおいて先住民復権を掲げた。それでもアメリカはCIAを使って何度も潰そうとしてきた。今回のガザ侵攻に関してボリビア政府は、イスラエルとの断交を表明している。この動きは、南アフリカでも共通しており、グローバルサウスと呼ばれる世界の半分以上を占める地域で同様の変動が今後さらに加速していくだろう。

 

 アメリカ原理の時代の終わり――世界はようやくそれを告げようとしている。だが、それを受け入れないアメリカはさらに攻撃的な自壊へと突き進もうとする。これが現代世界の混迷の由来である。

 

 日本人のわれわれとしては、長らくの「脱亜入欧」の悪癖を捨てて、サバイバーたちが編成し直す「脱西洋」の新たな世界に参画すべく努めないといけないのではないか。

 

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 にしたに・おさむ 1950年、愛知県生まれ。東京大学法学部を卒業後、東京都立大学大学院(人文科学研究科)、パリ第8大学などで学ぶ。哲学者。明治学院大学文学部教授、東京外国語大学大学院教授(グローバル・スタディーズ)、立教大学大学院文学研究科(比較文明学)特任教授等を歴任。東京外国語大学教授名誉教授。著書に『不死のワンダーランド』(青土社)、『戦争論』(講談社学術文庫)、『世界史の臨界』(岩波書店)、『「テロとの戦争」とは何か――9・11以後の世界』(以文社)、『アメリカ 異形の制度空間』(講談社選書メチエ)、『私たちはどんな世界を生きているか』(講談社現代新書)など、訳書にブランショ『明かしえぬ共同体』、レヴィナス『実存から実存者へ』、ボエシ『自発的隷従論』(ちくま学芸文庫)など多数。

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この記事へのコメント

  1. 世界が混迷する淵源が解ったような気がしました。
    イスラームのこと、先住民族のことなどからこの世界を視ると世界が変えられそうに思え、希望が沸いてきました。
    つくづくこの国のおぞましさが際立つ感じがします。

  2. 箒川 兵庫助 says:

     インタ-ネット情報で「ボリビアがイスラエルと断交」とあったので目を惹きました。どうして南米のボリビアが?他の南米諸国は?と疑問に思ったものでした。しかし西谷修教授の「今回のガザ侵攻に関してボリビア政府は、イスラエルとの断交を表明している。」という指摘によって,小生の疑問が氷解しました。
     また西谷先生のご論考はアメリカ・ネオコンのやってきたことを余すことなく描いていて大変参考になりました。故加藤周一の論考を久しぶりに味わったようで大変感激しました。西谷論文に注目するようになったのは最近のことで,長周新聞には今回の分を含めてご紹介有難うございます。

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