実は昨日、中国から新華社通信の記者が取材に来ていた。今日の様子も含めて中国で発信されるだろう。そのさい、私から彼らに質問した。「中国で台湾有事は議論になっているのか?」と。「そんなことはない。なぜ日本が騒いでいるのかよくわからない」という話だった。では誰が「台湾有事」を仕掛け、そして今沖縄、南西諸島にこれだけの軍備を強化しようとしているのか。
「台湾有事は日本有事」と発言した元首相がいた。際限のない軍拡はここから始まっている。先述の新華社通信の記者には、「中国の政権や代表者に聞いてほしい。もし沖縄が戦場になるとするなら、それはなぜか。何があるから沖縄と南西諸島が戦場になるのか? もし米軍基地や自衛隊基地があるから有事に沖縄を攻めるというのなら、われわれはその基地の撤去に動く。それが私たちの命を守る術だというのなら、県民はそういう行動をとることを選択するかもしれない」という話もした。
アメリカの歴史政治学者G・H・カーは、「琉球は日本にとってエクスペンタブルだ」と書いた。「消耗品」という意味だ。「だが日本は琉球のために犠牲になることは好まない」――これがアメリカの、日本と琉球の関係性についての認識だ。このような分断によって、日本のなかで琉球は犠牲にされ、そして今ふたたび日本が戦場となることを避けるための材料として使われていないか。
台湾有事を誰が言い始めたのかを遡って考えてほしい。最初に発言したのは米軍人(前米インド太平洋軍司令官フィリップ・デービッドソン)だ。「6年以内に中国が台湾を軍事侵攻する可能性がある」。この言葉を受けて、ペロシ米下院議長が台湾を訪問した。こういう動きのなかで、なぜか台湾有事が起きることが当たり前のような印象を持たされてしまっている。
そして今メディアがやっているのが、台湾有事、沖縄有事をまるで期待するかのような報道だ。「平和も民主主義もメディアから腐る」といわれる。われわれは自分たちがしっかりとしたメディアを持っているかを検証する必要がある。今テレビを見れば、防衛研究所の人たちだけが出る。「リベラルは有事に弱い」という厳しい言葉もあるが、平和や外交を語る人たちはメディアから駆逐され、軍事を語る人たちがメディアの中心に座っている。日々それを聞かされるたびに戦争が近いような印象操作をされてしまっている。こういう圧力をはねのけなければならない。
この集会も、実は沖縄が戦場になっている証拠だ。全国の皆さんが連動して声を上げてくれているが、われわれにとって必要なものはなにかということは、すでに登壇者のみなさんが語ってくれた。
きちんとした政治家を選ぼう――これが、韓国、中国、台湾の代表たちと議論したときに出てきた解決策だ。ちゃんとした政治家さえ選べば、こんなことにはならなかったはずだと。
岸田首相は今年広島でG7サミットを開催したが、あの広島で開かれたのにもかかわらず核に対する発言が非常に弱い。反戦という言葉すら出てこない。一方、岸田政権になって何が起きたか? 昨年12月16日、「安保関連三文書」の改定で、この5年間で43兆円ものお金を使って軍拡することを決めた。今年度は6兆円をこえ、来年度は7兆円をこえ、再来年以降は10兆円という、国家予算100兆円の実に10%が防衛予算に投入されていくことになる。
私は2月、参院予算委員会公聴会に参考人招致された。そこで与党側から招致されていた川上高司拓殖大学教授が「見捨てられる恐怖と巻き込まれる恐怖」という安全保障のジレンマについて話をされた。この国は、有事になっても米国が助けてくれないという「見捨てられる恐怖」から軍拡に走り、軍拡後には、今度は間違いなく「巻き込まれる恐怖」に怯えることになるということだ。この二つの恐怖から逃れる方法は何か? 政治を、政権を変えることだ。
戦争を好む、軍拡を進める者を選んだのは誰か。第二次世界大戦、太平洋戦争という戦争の歴史のなかで原子力兵器を使われ、たいへんな犠牲を強いられた広島が、なぜ軍拡を進める人物を選び、国会に送り込んでいるのか。広島の皆さんには耳の痛い話かもしれないがお伝えしておく。平和は広島から崩れている。しっかりとした代表を選び、平和を守る人を国会に送り込んでほしい。
傍観者的好戦論と当事者的非戦論
そして岸田首相には、はっきりという。戦争をするなら沖縄ではなく、地元でやれと。台湾有事が日本有事、そして沖縄有事にすり替えられる。そして中国が「戦争になれば日本だって無傷では済みませんよ」というなかで、沖縄だけが戦場になるかのように受けとめていることについて、「傍観者的好戦論から国民は目を覚ますべきだ」と私は国会でのべた。沖縄は今、「当事者的非戦論」で反戦の声を上げている。だが、その声をしっかりと受け止める力が、この国の国民にはないのかということをお伝えしておきたい。
私はトランプ大統領ではないが、沖縄ファーストだ。沖縄を守る。子どもたちを守る。今イスラエルのガザでの動きを見ても、戦争で殺される人の半分が子どもたちだ。イスラエルはパレスチナ人を全滅させるという政策すら考えていると聞く。またウクライナでは、東部ドンバスの人々はシェルターで何年も暮らし、ミサイルで毎日人が死んでいるのに、首都キーウでは普段と変わらぬ日常生活がある。同じように東京は無傷で、沖縄だけが戦場になることをイメージしてみてほしい。こんな不条理に耐えられる人がいるだろうか? そして、この国はそれを許すのだろうか?
国会での参考人質疑の後、元防衛大臣たちとの議論で彼らは「われわれの知らないところでこの異次元の軍拡が進んでいるのだ」という。では、誰が決めたのか? この国の政治は誰が決めているのかということを考えなくてはならない。「戦争をやるのなら、東京と北京でやれ」――アンチテーゼとしての皮肉を込めて国会で訴えた。4000万人が暮らす東京・首都圏、あるいは1億数千万人が暮らす北京や主要都市が戦場になると考えたとき、ミサイル防衛などという馬鹿げた議論はしないはずだ。それがなぜ沖縄を想定したときには、そういう議論になるのか。
この事態を冷ややかに見ている4000万人の首都圏の主権者たちが、当事者意識をもって政治にかかわっていくためには、自分たちの地域が戦場になることを想定したうえで安全保障を議論すべき時期に来ている。
戦争は年寄りが始め若者が死ぬ
「中国脅威論」というのがある。みなさんは中国にどんなイメージを持っているだろうか。これも昨日、新華社通信の記者から中国のイメージについて問われ、私は「習近平体制になって、残念ながら沖縄の人たちの中国に対するイメージは大きく変わっている。“権不(こんぷ)10年”という言葉があるが、1人の人間が長期政権を担う危険性は、ロシアのプーチン大統領をみても、日本の安倍晋三政権をみてもわかる。ルールを変えてまで長期政権になれば横柄になる」と伝えた。
また、米海兵隊の司令官たちとも議論した。「戦争がしたくて軍隊に入ったんですか?」「戦争が好きですか?」という学生たちの問いに対して司令官の答えは「戦争は政治家が始めて軍人が死ぬ。最初に死ぬわれわれが戦争を求めるわけがないでしょう。死にたくありません」だった。
「戦争は年寄りが決めて若者が死ぬ」ともいわれる。だから今日は若い人たちが動き出しているのだ。自分たちの運命を年寄りに委ねるな。自分たちの未来は自分たちの手で奪いとる。そんな時代に来ている。沖縄県内では、若い市町村議員たちがチームをつくって動き出している。全国の人たちに呼びかける。若い人たちが今こそ立ち上がってください。
そういう戦争のない新しい時代を若い人たちに託し、育て、われわれ年寄りも一緒に立ち上がっていこう。
ファクト(事実)とエビデンス(証拠)によって、フェイク(虚偽)に騙されない行動をとろう。人を殺すな、人に殺されるな。平和と民主主義は与えられるものではなく、みずから奪いとるものだ。これは沖縄戦で学んだ沖縄の教訓だ。沖縄戦で沖縄はもう十分に犠牲になった。78年間、国土面積の0・6%に、在日米軍基地の70%を背負ってきた。日本が日米安保が必要というのなら、沖縄に頼らずに自分で立て。
そしてこれからは、軍事に頼らない平和を、安全保障を、この国の国民で一緒につくっていってほしい。