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沖縄を戦場にする軍拡やめろ! 1万人が参加して県民平和大集会 ミサイル配備の島々は訴える 沖縄が目指す未来、全国に共有を

1万人が集まり「沖縄を再び戦場にさせない」と声を上げた県民平和大集会(11月23日、那覇市奥武山公園)

 沖縄を再び戦場にさせない県民の会による「11・23県民平和大集会~対話による信頼こそ平和への道~」が11月23日、沖縄県那覇市の奥武山公園陸上競技場で開催された。沖縄県内外から約1万人(主催者発表)が集まり、米軍基地に加えて、台湾有事を想定した自衛隊基地やミサイルの配備が急速に進む南西諸島の住民たちが切迫した実情を訴え、日米政府が進める沖縄の前線基地化と「異次元の軍拡」に抗する全国運動を呼びかけた。県民の4人に1人が命を奪われた凄惨な沖縄戦から78年をへて、新たな戦争に向けて着々と軍事化の波が押し寄せる沖縄の切実な叫びを全国に向けて発信するものとなった。

 

歌や踊りなど文化色溢れる集会に

 

集会冒頭ではエイサーの披露も(11月23日、那覇市)

 沖縄を再び戦場にさせない県民の会(共同代表/瑞慶覧長敏、具志堅隆松)は、昨年末に閣議決定された「安保関連3文書」に基づいて南西諸島一帯の軍事化が加速するなかで、「島々を再び戦場にさせてはならない」という危機感を抱いた県民有志によって立ち上げられ、2月、5月、8月、9月と県内各地で集会を開催してきた。

 

 またこの間、県内では「ノーモア沖縄戦」「対話プロジェクト」「沖縄を平和のハブに」など多様な市民運動が開始され、有識者によるシンポジウム、中国や台湾の人々を招いた対話交流などが積み重ねられ、沖縄県も地域外交を開始するなど、官民それぞれが対話による緊張緩和、相互理解を深めるとりくみを旺盛にくり広げてきた。

 

 県民平和大集会は、県内70の団体・個人が呼びかけ人となり、とくに20~30代の若い世代が主体的に創意工夫を凝らして準備し、音楽コンサートや伝統舞踊エイサー、展示・飲食ブース、参加者が平和のメッセージを貼り付けて完成させる巨大アート『スイミーバイ』などの多彩なイベントが盛り込まれた。

 

司会を務めた神谷美由希氏㊧と瑞慶覧長風氏(11月23日)

 若い世代として司会を務めた神谷美由希氏は、「いろんな世代でこの集会を作り上げてきた。世代間ギャップに心が折れそうになったときもあったが、お互いを尊重し、より良い着地点を見出し、違いを乗りこえて進んできた。これこそが平和への道だと思う。これを沖縄、国内、世界中でおこなうことによって平和は築かれる。沖縄にはその可能性があると、様々な国の人と関わるなかで感じている。沖縄を二度と戦場にさせない。基地の島ではなく平和の中心の島にする。心一つに平和のアピールをしていこう」と呼びかけた。

 

 同じく瑞慶覧長風氏は、「2月から集会を積み重ね、若い世代をはじめ多くの世代の人たちが会に参画してくれた。先輩方から『何があっても諦めない』という不屈の精神を教わりながら、ここまで育ててもらった。その精神を受け継ぎ、平和な沖縄、日本、世界をつくっていく思いで頑張りたい」と決意をのべた。

 

 歌謡やエイサーの披露から始まった集会では、共同代表の瑞慶覧長敏氏(前南城市長)が「私たちは、戦争を絶対に起こさせないという一点でここに結集した。ミサイルもシェルターもいらない。私たちが求めるのは、基地のない平和で安心安全な社会だ。声を大にして全国、全世界に平和を求めていこう」と挨拶した。

 

 来賓として、玉城デニー沖縄県知事、沖縄県選出国会議員団の高良鉄美参議院議員、沖縄県議会の次呂久成崇議員(石垣市)、オール沖縄会議の高里鈴代共同代表、全国基地爆音訴訟原告団連絡会の金子豊貴男代表がスピーチに立った。

 

 大きな拍手で迎えられた玉城知事は、以下のようにのべた。

 

*       *

 

挨拶する玉城知事

 青空の下で久しぶりにこのように、みんなが主催者となって参加する平和大集会が開催されることを心からうれしく思う。若い人たちやいろいろな方々が気持ちを寄せ合ってつくっている大会だ。一人一人が平和に対する熱い希望や思いを持っている。


 しかし、なぜ日本政府は、沖縄の不条理に正面から向き合おうとしないのか。その不条理が存在する限り、私たち沖縄県民は、これからも絶対にひるむことなく行動し、平和のための声を上げ続けていこう。


 冷静に考えてほしい。もし沖縄が平和でなかったら、観光客は来ない。経済も回らない。シェルターにばかり逃げていたら、勉強も仕事もできない。その姿を私たちは今、パレスチナ・ガザ地区や、たくさんの悲劇に見舞われ逃げる場所すらない人々の表情に見て、大きな憂いと危機感を感じている。


 ウクライナの街が破壊されたとき、私は1970年12月のコザ暴動のあのシーンを、まるで白黒映画が蘇るかのように思い出した。なぜこういう悲劇をくり返すのか。歴史の歩みを振り返れば、必ずどこかで拳をおさめ、怒りを鎮めるタイミングがあるはずだ。なぜそれに向き合おうとしないのか、なぜそれを学ぼうとしないのか。


 だからこそ私たちは、沖縄戦の歴史や、27年間の米軍施政下にあって人権を蹂躙されてきた事実を、そして復帰51年たった今もなお沖縄に日本全体の70%余りの米軍基地を押し付けられている不条理をただしていかなくてはならない。


 それは今の私たちのためだけではない。当然、今行動することによって、われわれがどういう未来をつくっていこうとしているのかを、全国や全世界の皆さんと共有、共感していかなくてはならないからだ。


 子どもたちの未来が、戦争の未来であってはならない。不安な未来であってはならない。誰一人とり残されない、本当に優しい社会を作りたいのであれば、今私たちが求めているその平和の思いを、全国で、全世界で共有するために行動しよう。声を上げていこう!


 ぐすーよー、負きてぃないびらんどー。負きぃーしぇー、どぅーなーぬ、心(くく)るどぅ、やいびんどー。自分の心に勝つことこそ、私たちの信頼と共感につながる。毎日の苦しい状況があったとしても、私でさえ頑張ることができている。皆さんと一緒であれば、必ずその頑張る気持ちは一つにつながる。皆さん一緒に頑張っていこう!

 

*          *

 

 続いて、高良参議院議員は、先日、中国の行政官と沖縄問題について論議したことを明かし、「沖縄の本土復帰の年は、日中国交回復の年でもあった。日本との間で戦争しないという日中平和友好条約の中身を何度も確認しながらの論議となった。中国と沖縄の関係は深い。だからこそ沖縄県民は“万国津梁(しんりょう)”の役割を果たすのだという強い決意を持っている。日本と中国、また朝鮮半島、米国との間に立ち、沖縄の東西南北を囲む地域を結びつけていくことこそが沖縄の役割ではないか」とのべた。

 

 また、「このままでは沖縄を囲む島々は、地対空・地対艦ミサイル、トマホークのすべてが揃うミサイルの島になってしまう。辺野古新基地の代執行判決が近づいているが、地方自治の本旨に照らせば、沖縄のことは沖縄が決めるべきであり、代執行を認めない姿勢を貫くことが大切だ。かつてナチスヒトラーの側近であったゲーリングは『一般国民は戦争を望まないが、国が攻撃されると危機感を煽り、平和主義者は愛国心がなく国を危険に陥れる者たちだと非難すれば、戦争を起こすことはさほど難しくない』と説いた。今の日本はどうか。一昨日の(北朝鮮の衛星発射にさいして国が沖縄県に発令した)Jアラートも同じではないか。沖縄では誰も避難などしていない」と怒りを込めてのべた。

 

 次呂久県議は、「私が住む石垣島では連日、今まさに台湾有事が起きているかのごとく、住民避難やシェルター建設計画、尖閣周辺の領海に船が侵入したという報道がなされている。八重山地域には、これまで米軍施設も自衛隊駐屯地もなかった。だが、2016年3月に与那国駐屯地、今年3月に石垣駐屯地が開設されてから一気に軍事化の波が私たちの日常生活に押し寄せてきた。駐屯地開設後、自衛隊車両が公道を普通に走行し、迷彩服を着た隊員が保育園に子どもの送迎にいく。そして教育現場である学校では、外部指導員・コーチの自衛隊員が、学校長の許可もなく、自衛隊ヘリ搭乗体験申し込みチラシを配布する。そして先月、石垣島で初めて米軍と自衛隊の日米共同訓練がおこなわれるに至った。このように今、これまで私たちに縁がなく、見たこともなかった光景が日常の光景になりつつある」と、変わりゆく島の現状を報告した。

 

 さらに「“台湾有事は日本有事”“武力は抑止力”といい、首長も率先して政府に滑走路延長や港湾、インフラ整備を要請に行くなど地元住民の意向を無視した行動をしている。台風や地震などの自然災害と違い、有事は人間がつくるものだ。だからこそ止めることができるのもわれわれ人間だ。子どもたちのために、沖縄の未来のために、ならぬものはならぬとはっきりと声を出し、行動する必要がある。皆さんと一緒に頑張っていく」と決意をのべた。

 

沖縄戦体験者も登壇 「戦争する政府倒そう」

 

 オール沖縄会議共同代表の高里氏は、「28年前の1995年、(米兵の少女暴行事件を糾弾する)8万5000人の県民が怒りの声を上げ、日米政府は沖縄の負担を軽減するSACO合意を報告した。だが、実態は逆に日米共同の軍事強化が進んでいる。沖縄は地上戦によって4分の1の人口が失われ、疎開船では700人余の子どもたちを含む1400人が亡くなった。石垣島ではマラリア蚊の生息地に住民が強制移住させられて多くが命を失った。二度と戦争の被害者にも加害者にもならないと誓った沖縄が、辺野古基地建設、自衛隊基地の拡大を認めれば、次の戦争に加担することにもなってしまう。これを明確に拒否する力を結集して立ち上がろう」と呼びかけた。

 

 全国基地爆音訴訟原告団連絡会の金子氏は、「米軍機の爆音被害をなくすため、普天間、嘉手納、岩国、新田原、小松、厚木、横田の7つの基地に関する8つの裁判をやっている。原告総数は6万人をこえ、50数回の判決が出た。いずれも米軍機や自衛隊の騒音は違法という判決だが、騒音被害は解消されていない。そのため日本政府が数百億円の損害賠償金を払っている。日米地位協定では、米軍に原因がある被害の賠償は4分の3を米軍が払うことになっているが、日本政府は米軍には請求しない。そして、今度はその賠償金も払わない動きをしている。こんなことが許されるのか。日米地位協定によって自衛隊と米軍が一体化して活動する問題を、裁判を通じて暴露していきたい」とのべた。

 

 集会の基調報告を、沖縄国際大学の前泊博盛教授がおこない、沖縄の戦場化を想定した日米政府の安全保障政策と、それを阻止するための全国的課題について問題提起した【別掲】。

 

八重山民謡を披露する沖縄戦体験者の山根安行氏㊧と桑江優稀乃氏

 続いて、八重山で沖縄戦を体験した山根安行氏(八重山古典民謡伝統協会師範)が登壇。「戦争地獄のなかで母を失い、マラリアにかかって死線をさまよい、おじぃ、おばぁ夫婦に助けられた。マラリア地獄のなかを這いつくばって生きてきて、ようやく人並みの生活も送れるようになり、今93歳になる。戦争は地獄だ。国民を地獄に送るような政府はみんなで倒そう。政府あっての国民ではない。国民があってこその政府だ。愚の骨頂である戦争を二度と起こしてはならない」とのべ、みずから三線を演奏しながら自作の「とぅばらーま」(八重山の民謡)を披露した。

 

軍拡最前線の島々から 「安心して暮せる島を」

 

 次に、台湾有事を念頭に軍拡が進む与那国島、石垣島、宮古島、沖縄島のうるま市、沖縄市、山原、さらに鹿児島県の奄美大島、馬毛島を抱える西之表市などの島や地域から当事者が生々しい状況を報告した【島々からの発言は次号詳報】。

 

 陸自勝連分屯地への地対艦ミサイル部隊配備が公表されているうるま市の照屋寛之氏(ミサイル配備から命を守るうるま市民の会共同代表)は、「うるま市にミサイル配備が決定してから2年余りになるが、防衛局からは何の説明もない。市長に説明を求めると“国の仕事だ”といって逃げる。それでは一体誰が市民を守るのか。戦後78年、復帰51年目にして、私たちは今度はミサイルの恐怖に怯えるという不条理に直面している。私たちが願ったのは、ミサイルの下への復帰ではない」とのべた。

 

 「政治の最低限義務は、国民の命と暮らしを守ることだ。国が南西諸島をミサイル基地にして中国と対峙するというのなら、絶対に戦争をさせない県民世論を作り上げ、政府に突きつけなければならない。沖縄戦では艦砲の喰い残しといわれたが、今度はミサイルの喰い残しにされる。これを食い止めることが私たちの責任だ」と訴えた。

 

 自衛隊弾薬庫等建設に反対する沖縄市民の会の島袋恵祐氏(県議)は、防衛省が1月、沖縄市池原に陸自弾薬庫を新設すると発表し、来年度予算に設計・調査費として23億円を計上し、弾薬庫5棟を建設する計画があることにふれ、「私は兄とともに自衛隊に入隊したが、兄は格闘訓練中に還らぬ人となった。兄の体はあざだらけだったが、自衛隊は訓練中の事故として当事者を不起訴処分とし、自衛隊は組織を守るために人間の尊厳を奪うものだと怒りを感じた。岸田政府による大軍拡は、自衛隊員が殺し、殺される状況をつくるものでもある」と非難した。

 

 ヘリ基地反対協議会の浦島悦子氏(名護市)は、「1997年12月の市民投票で私たち名護市民が「辺野古新基地NO」の意志表示をしてから26年がたつ。各種選挙や県民投票も含め、くり返し示された基地反対の民意が国家権力によってことごとく踏みにじられてきた26年でもあった。しかし、踏みにじられても踏みにじられてもなお立ち上がる県民の強固な民意が工事を大幅に遅らせ、26年たった今も埋立進捗率はわずか16、7%に止まっていることも確かな事実だ」とのべた。

 

 「焦る日本政府は、ついに代執行という最後の手段に打って出た。稲嶺進前名護市長はこれを“悪魔の刃”にたとえたが、それが今私たちの頭上に振り下ろされようとしている。代執行訴訟では公益とは何かが鋭く問われた。普天間基地の危険除去と日米の信頼関係が公益だとする国に対して、玉城知事は基地反対の民意こそが公益だと主張し、沖縄の苦難の歴史にもとづく沖縄の民意が基地建設を押しとどめていることを明らかにした。“悪魔の刃”はこの強固な民意を打ち砕くことはできない。私たちが、次の世代に残せるものは自然と平和以外にない。それが命の源であり、それなしには生きていけないからだ。沖縄戦の地獄を生き延びた先輩方、戦後の苛烈な米軍政治とたたかってきたシニア世代、復帰後に生まれた世代、そして今迫り来る戦争の不安と恐怖を感じている若者世代が一堂に会している。これが私たちの力だ。命のバトンを受け継ぎ、戦争のない、基地のない未来を創り出そう」と訴えた。

 

 若者を代表して登壇した桑江優稀乃氏(26歳)は、大学医学部を卒業後、戦争の足音が高まる沖縄に危機を感じ、平和を軸にしたお話会や三線ライブを全国各地でおこない、「軍隊を持たない中米コスタリカに渡航したり、中国、韓国、アメリカ、タイの学生らと平和についての交流を重ねてきた」とのべた。

 

 「日本や海外に行くたびに沖縄の魅力とポテンシャルへの想いが増していくが、今この島が安心して子育てをし、生きていける島ではなくなってしまっている。沖縄戦、米軍の圧政、今も続く基地負担…そして戦争体験者がまだ生きているこの時代に、また沖縄が戦場になる動きがある。この悲しみ、怒りは表現できない。でも私たちは一人ではない。沖縄を戦場にさせないという点ではみんな同志だ。本土や海外にも仲間がいる。ミサイルも戦闘車両もフェンスも、派閥の争いもない、安心して暮らせる平和な島を未来に残したい。沖縄は幾多の困難にも立ち向かってきた。この試練を乗りこえ、沖縄が世界の希望になろう。新しい歴史を作っていこう」とのべ、三線の弾き語りで『童神』を披露した。

 

 その後、主催団体事務局長の山城博治氏が行動提起をおこない、「集会開催に尽力してくれた若者たちに感謝したい。また離島では反対の声を上げるのが難しいとの声もある。これからは島々にも出向き、島は決して孤立しておらず、戦場になれば同じ運命にある沖縄県民の平和を願う心は一つであることを訴えていきたい。迫り来る戦争政策に断固反対し、沖縄を戦場にさせない、この国を戦争国家にはさせないという全国的な連帯を今日からスタートさせよう」と呼びかけた。

 

 集会宣言【次号掲載】が読み上げられた後、共同代表の具志堅隆松氏が「日本政府は、あたかも南西諸島が戦場になることは避けられないかのような言い方をしているが、私たち沖縄県民には自分たちが進む未来を決める権利がある。私たちは、軍事対応ではなく、沖縄を戦場にさせない、日本を戦場にさせないことを選択する。そのため県民ひとりひとりが意志表示をする場をこれからも持ち続け、台湾、フィリピン、韓国の人々などとも連帯しながら、東アジアを戦場にさせないことを確認し、それをより確固としたものにしていきたい」と決意をのべた。

 

 最後に、数十のメッセージを貼り付けて完成した巨大アート『スイミーバイ』を囲んで、参加者全員で「沖縄を戦場にさせないために頑張ろう!」とコールし、約4時間に及ぶ集会を締めくくった。

 

 集会会場となった奥武山公園競技場では、各団体がテントを出し、南西諸島の軍拡の現状を伝えるパネル展、海外などから寄せられた連帯メッセージも展示された。

 

自作のプラカードを掲げる参加者(11月23日、那覇市)

県民平和大集会に向けて海外から寄せられたメッセージも掲示された(11月23日、那覇市)

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