長崎西洋館で開催された、第4回長崎「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる長崎の会、原爆展を成功させる広島の会、下関原爆被害者の会)は被爆者や戦争体験世代、現役労働者、親世代、青年や学生、小中高生まで約2000人が訪れ世代をこえた大交流の場となった。320人もの日本人民を犠牲にした第2次大戦の真実とアメリカの原爆投下の目的、その後の単独占領への新鮮な怒りとともに、今日の荒廃した社会状況に対する鋭い問題意識が語り合われ、行動を求める世論となって発展している。490枚に及ぶアンケートからおもなものを紹介したい。
被爆者・戦争体験世代 蘇った当時の惨劇
▼展示を見て当時を思い出し、満州、沖縄戦の船舶特攻隊員だった私が、よく生き残って帰ってきたものと思いつつ、亡くなった方へ黙祷を捧げたいと思います。ありがとうございました。 (85歳・男性)
▼予想はしていましたが現状を拝見して只々涙あふれるばかりです。原爆は1日のちがいで幸運にのがれて長崎大学入院中でしたが、8月8日夜10時半の軍の船にて五島に行き、五島病院に診察を受け、8月9日午後2時軍の船にて長崎大学に帰る予定でしたが、原爆をのがれました。幸運にも命長らえる事になり幸福でした。本日の写真を拝見して只涙するのみです。2度と戦争をする事に強く反対です。(84歳・女性・元教員)
▼私が特に同世代の学徒兵の労苦を忍ぶ長崎大学医学部の焼け跡を見て回った。内藤教授、朝長先生の墓標に涙の出る思い。多くの医学者、研究者、学生が死没した。もしこの人達が生存していたならば日本の医療はもっと進んでいたと思う。全てにわたり原爆の非人道性に怒りを感じる。二度と起こしてはならぬ。(82歳・女性)
▼戦争のおろかさ、悲惨さを改めて感じました。「原爆は国際法には違反しない」と、どれくらい前だったか、当時の外務大臣が言ったのには大変なショックだったことを思い出しました。何でもアメリカの言うなりになっているような今の日本に腹立たしく思っております。現在はあまりに物がありすぎて、物の有難さ、大切さを全く意識してないように思います。(82歳・女性)
▼私も被爆者の一人です。あの当時の出来事が、まざまざと蘇ってきました。当時のことはあまり語らずに参りましたが、本当に悲しく思います。私も学徒動員で長与郵便局勤務でしたが、その日(8月9日)は夜勤で1時出勤でしたので、伯母の家に下宿し、御船町(現在の長与醤油の前)あたりで被爆(2㌔地帯)下敷きになりながら、何とか生きのびて参りました。父は硫黄島で玉砕しました。展示を見ていると他人事とは思えなくて胸一杯になりました。どうぞ今後ともこの運動を頑張って広く伝えて下さい。ありがとうございました。(79歳・女性・生花、煎茶教授)
▼年々、年齢を重ねていくが「原爆と戦争展」は、見るごとに当時の思い出として蘇ってくる。当時の死体の取り扱いを思い出し、まるでオニになったような、そしてホトケになったような、本当に言い表せない気持ちだったことを思い出す。自分の体は足から血が噴き出て、口はヤケドであけるのがやっと。今までよくも生きてきたと思う(14才でヒバク)。戦争は絶対にしてはならない。地球がほろびるよ! 「原爆と戦争展」有り難う。(77歳・男性)
▼小学4年の時に原爆にあい、父はビルマで20年の1月に戦死し、母は子ども四人を育ててくれました。自分以上に大変な方がおられた事を知りました。もう2度とあんなおそろしい事がないように、又絶対に戦争をしないように平和を望みます。(72歳・女性)
原爆投下は人類史上の汚点
▼原爆、誠に人類史上の汚点であり、歴史の恥である。今後この様な残虐な行為があってはならない。被爆の有様は正視出来るものではない。米国は悪魔の行為を堂々とやってのけた。核兵器の全ての製造の禁止と人類の平和を願います。(73歳・男性)
▼私は原爆の体験をしました。この展示を見せて頂き涙が出て来ました。この展示を見ましてこの通りです。なぜ罪もない人々がこんな死になってしまったのか、いまだに分かりません。当時は、私の体験から申しますと、栄養失調で死にかけておりました。1日1食かぼちゃを1切れ、兄弟が多かったもので、その当時の食糧難はいまの時代で考えられません。原爆で亡くなられた人人をリヤカーで学校の運動場まで運んで、燃やしていました。その臭いがいまだに忘れられません。人間のする事ではないと思います。2度と許してはなりません。(67歳・女性)
▼言葉にもなりません。米軍が日本兵をおもしろがるように笑いながら死なせていったこと、今の時代も簡単に人を殺す。普通の人間には信じられません。いくら考えても結論は出せません。もどかしい、いたたまれない気持ちになります。戦争を経験し、精一杯の力で立ち上がり、今の平和な世を築いて下さって年を重ねてこられた年配の皆様方の努力があったからこそ、私たちは幸せに過ごさせてもらっています。本当に感謝でいっぱいです。今戦争が起こると人類全滅です。これからもずうっと原爆展、続けていって欲しいです。(64歳・主婦)
▼とっても良い経験をさせていただきました。こんなに多くの写真や資料を見たのははじめてでした。もっとこんな機会を増やして、戦争のおろかさや恐ろしさを世界中に、特にアメリカで開催して下さい。子どもたち(小中高生)に見てほしいし国会の中にも常時展示して、いつまでも。アメリカの属国政治をやめるようにすることに力を注いで下さい。(61歳・女性)
現役労働者、親世代 戦争の本質を見た
▼自身も戦後生まれで、戦争も原爆も知りませんが、長崎の原爆を経験した家内の両親、特攻隊で死んだ叔父等の話を、命日や記念日の折に聞かされ、また、子どもたちに聞かせてきました。少なくとも、2世、3世には記憶だけでも残し、反戦活動の動力源にすべきだと思っています。この運動が政治活動ではなく、生きてゆく上での基本的運動であるべきだと思います。この展示会も単なるパネル展ではなく、平和運動の源泉となる展示会であることを祈ります。(59歳・男性・会社員)
▼展示を見せていただいて、はじめて知ることが多かったです。特に印象に残ったのは投下2日前の米軍による写真でした。また、現代にも通じることとして、アメリカに追随する日本(政府)のふがいなさを感じます。最も伝えなければいけないのは、戦争をはじめると決めた人たち(実際に戦った人たちではない)の事ではないだろうか?(58歳・会社員)
▼戦争の悲惨さを改めて感じた。多くの人の尊い命を犠牲にしてまで起こす戦争の無意味さ、一部の人人の自己満足のために、世界中の人たちが翻ろうされている事実。現在の日本の社会はますます真実を語れないような、眼に見えない大きな力で押さえ込まれているように思えます。人人の間にこれだけ生活に対する怒りや不満がたまっているのに、自己責任という言葉で片づけようとしている政治のあり方に疑問を感じます。また戦争を経験した人たちは、ちょうど大戦前のようだと言っています。若い人たちにもっと気づいて欲しいです。(57歳・女性)
▼政府がいかに国民をあざむき、だましたか?マスコミも軍部も、軍需産業も、一部の利害関係者も一丸となって国民をだましていた。今も同じことである。NHKも政府も御用学者も国民をだまし続けて、景気回復だの、財政危機だのといっている。とんでもないことだ。役人、政治家、御用学者、マスコミ、巨大製造家の悪の手づるを断ち切らないと昔と同じ悲劇が繰り返される。今もちっとも変っていない。今も昔も「大企業栄えて、民滅ぶ」は変っていない。大企業(軍事産業)が自分たちの利益のために、貧しい家庭の子どもを軍隊に入れざるをえないように政治を行い、軍部ばかりが肥大して戦争をせざるを得なくした。今日のNHKのアメリカよりの放送にはおそろしさを感じるばかりです。(53歳・川越市・男性)
いまだにアメリカの支配下
▼未だにアメリカの支配下にあると感じた。アメリカのマインドコントロールはすごい。友人のふりをして、いろいろやらされている。アメリカはひどい国だということをメディアを通じて分からせて欲しいと願う。(47歳・会社員)
▼戦争指導者から見えない、戦争の本質をかいま見たと感じました。個人的に、数冊の書物を読んだのですが、原爆投下は昭和19年に英・米の間で、条約として決まっていたらしいとの事。「大東亜共栄圏」の妄想に踊らされた日本も日本ならば、米英他連合国も同様の輩にすぎぬとの思いをもちました。人を無視した「まつりごと」の末路としてはあまりに悲惨ではないでしょうか。(38歳・男性・教員)
▼私は、命を大切にする国が先進国だと思います。人を人とも思わないで、政治の問題や国の利益などだけを考えて、動かす事は絶対にあってはならないと思います。この世に生まれた尊い1人1人です。誰がその命を奪うことが出来るのですか? 誰も奪うことは出来ません。もっと命を大切に考えてほしいと世界の国々(日本も含め)を見ていて思います。(30代・女性・保育士)
▼今回で2回目の見学になるが、日本(大日本帝国)が15年戦争に巻きこまれていく過程から岩国の選挙まで豊富な資料等で解説してあって充実していたと思う。何より「戦争で死ぬのは誰なのか」という1点においても明白な答えが出ている気がしてならない。南方、大陸での日本軍敗退や被爆直後の広島・長崎の様子は、ここに来られないとわからないものばかりだと思う。今日発売の総合誌にも岩国の選挙のことが書かれてあった。与党側で住民を分断したり、反対派内部でも混乱していたり…。暴行事件や昨年の「しょうがない」発言問題、市長殺害があった今こそ再び戦争に巻きこんでいくものに向きあわなければならない。(29歳・男性・パート職員)
▼小学校から高校まで毎年、平和について考える時間が設けられていました。原爆について考えるのは、長崎が被爆地であるから尚更ですが、原爆だけじゃなく、戦争の恐ろしさも同じです。戦争があった結果、原爆が投下されたのだと思うと、日本中、世界中の人が考えるべきことだと思います。戦争、原爆を体験した方が高齢になり、亡くなる人も増えていると思います。いずれ、被爆者がひとりもいなくなった時、戦争、原爆の恐ろしさを知らない人が増えたら、また同じ過ちを繰り返さないか不安です。私は祖母に話を聞きました。自分が元気なうちは子ども、孫に話してきかせます。(28歳・主婦)
▼戦争は、勝つも負けるも関係なく、ただ破壊や苦しみや憎しみをうむのだと改めて思いました。ため息がとまらず、胸が苦しいです。私たち戦争を知らない若者がもっと勉強して、子どもたちに真実を伝えなくては、愚かな歴史は教訓として生かされぬままとなってしまうと思います。少しでも鮮明に戦争のおそろしさを伝えていきます。決意を新たにできました。(25歳・女性・小学校教員)
大学生や中高生 真実知り伝えたい
▼被爆・戦争体験をされた方々から直接お話をお聞きするのは今回初めてでした。戦争そして原爆の被害を受けた方々は地獄を見て、家族や友人を失う方もおられ、戦後もつらい思いをされてこられたということを思うと、胸がはりさけるようでした。現在も世界では戦争がなくなりません。私たちの世代は戦争体験がありません。これからの日本、そして世界が平和であるために、2度と戦争というあやまちを犯してはならないと考えます。被爆、戦争体験をされた方々から事実を語り継ぎ、次の世代へそして世界へ平和を訴えていかなければならないと感じました。 (30歳・女性・長崎大学)
▼言葉になりません。想像さえ出来ないほどです。今の社会には様々な問題が次々に起こって、戦争が過去のものとなっているのではないかと思いました。それと同時に、過去のものにしてはいけないと思います。来年から教壇に立つ者として、次世代を担う子どもたちに平和ということ、過去の惨事をしっかり伝えたいと思います。(22歳・女性・長崎大学)
▼実体験を基にパネルを作っており、印象に残る言葉が多かったです。案内をして下さった西沢さんにたくさんお話し頂いて自分の平和と戦争に関する考え方もいくらか変化がありました。とても印象に残っているのが、「百聞の知識ではなく、実体験に真実がある」という言葉でした。今日はありがとうございました。(21歳・男性・長崎大学)
▼愛知県出身で、大学入学を機に、今年から長崎に引っ越してきました。小学校高学年から戦争、原爆、特攻隊などに興味を持ち、いろいろな本を読んできました。今日のこの展示を見ることができ、生のお話しを聞くことができ、本を読んだだけでは分からない実際の被爆者の方の気持ち、思いが伝わってきたように感じます。
私は愛知にいるときいろいろな資料から長崎の原爆について学んできましたが、愛知の友達は8月9日が何の日かも、原爆が落とされたのは広島だけだと思うともいっており、とても寂しい気持ちに何度かなりました。その後わたしは長崎に来て、長崎の友達がたくさんできました。しかし私が友達に長崎の原爆の話をしても、「よく分からない」「そんなに興味あるの?」と言われました。私は本当にとてもびっくりしました。どうして被爆地長崎に生まれ育ったのに、そんな気持ちでいられるのか、私は今でも分かりません。愛知や他の地域では、この原爆の話に触れる機会は、やはり長崎よりほとんどありません。聞けば「おばあちゃんが被爆者」という長崎の友達もいます。私はやっぱり愛知や他の地域の人たちが長崎の原爆を伝えていくよりも、長崎に生まれ育った若者が伝えていく方がいいと思います。長崎の原爆で被爆された方々の声を今後伝えていくべき長崎の若者に、もっと関心を持ち、意識を変えていって欲しいと思います。私は当時の状況をお話ししていただける機会や、学べる機会がさらに増えていってほしいと思います。知ること、伝えることは、これからを生きる若者の義務だと思います。(19歳・女性・大学生)
▼今の日本と戦争中の日本は大きく変わってしまったと感じる。今の日本は欲に満ち、食べ物や人の命を大切にしなさすぎている。私たち若い世代である長崎人が、世界平和を広げていかなければならない。(19歳・男性)
▼展示を見て人の命の重要さとそのはかなさがわかった。日本から見た太平洋戦争の実態や実情の詳細が知ることができる。アメリカや、異国から見たこの戦争のとらえ方ももっと見たかった。アメリカ側は勝ったからそれでいいのか…。また話を聞いて、昔の人が持っていた強い精神力を、現世の人たちが持ち、これからを強く生きることが必要であると思った。更に、次世代の人たちへと語り継ぐためにまず、自分たちが平和の大切さを知り、己の中でかみくだいて、自分の意見をしっかりと持ち、伝えていく必要があると思う。現代に見られるような原水爆禁止運動など推し進めて、他国や、また日本の自衛隊の行きすぎた行為などを見直す必要があると思う。まずは身近なことから始めたい。(17歳・男子高校生)
▼全て写真において、自分が今まで考えていた戦争というものがとてもチンケなもので他人事のように想像していたことがよく分かった。自分の祖父は佐世保で、直接原爆の被害というものを受けていない。その祖父も戦争のことについてはいろいろな想いがあったらしく、いろいろ話してくれた。だが私はその話でも戦争を自分の事としてとらえることが出来ずにいた。そういうときに今日のこの写真や資料は多くの印象を与えてくれた。体験者の方の話も、人間存在というものをふみにじるような戦争にたいして、いろいろな想いを語ってくれた。この体験談は戦争のむごさを物語っていた。この体験談を次世代に完璧に語り継ぐことはできない。だけど2度とこのようなことが起こることのないよう、私たちが日本を、世界を形成していかなければならない。 (17・男性・長崎西高)
▼言葉で、「戦争はしてはいけない」と言われるよりも心にくるものがありました。本当に、「もう2度と戦争がおこらない平和な世界」になることを願うばかりです。私たちは実際に原爆を体験していないので、その本当の恐ろしさは分かりません。しかし、先ほど述べたような世界にしていく責任や義務があると思います。そのためにも、戦争や原爆について学び、考えていきたいです。(特に印象に残ったこと)「私たちは馬よりも低く扱われた」という言葉を見て…「馬よりも人の方が安かったということよりも、『人(命)』に値段がつけられている」ということや、「人間を売買している」ということに憤りを感じました。(13歳・女子中学生)