下関原爆被害者の会(伊東秀夫会長)は5月31日に今年度総会を開催した。昨年度1年間の原爆と戦争展運動をはじめ、体験を語り継ぐ運動の発展を確認しあい、再建当初からの会員も、最近参加し始めた会員も、今年1月に逝去した吉本幸子前会長の遺志を受け継ぎ、ともに私心のない運動を発展させる決意を固め合う総会となった。
挨拶に立った伊東秀夫会長は、.3月1日におこなわれた吉本幸子さんを偲ぶ会は、会員をはじめ県内外から各界各層の人人が参加して足跡を偲び、遺志を受け継ぐ決意を語りあう場となり、私利私欲なく献身してきた吉本氏を中心とする会の活動への支持と共感が確信となったこと、また長周新聞社から事務局スタッフを迎え、訪問活動などで会員との結びつきが強まったことを報告した。
また北朝鮮の核実験にふれ「本当に世界の平和を願い、核兵器を廃絶するならアメリカが率先して廃絶すべきだ。オバマ大統領の核廃絶演説がもてはやされているが、アメリカだけが最後まで核兵器を持ち、使えるようにする内容」と指摘。「日本では、アメリカの本土防衛の盾として、ミサイル防衛体制や広島に隣接する岩国基地に核搭載可能な空母艦載機を移転する計画など、再び日本を原水爆の惨禍に陥れようとする計画が進んでいる。私たちは今こそ戦争ではなく近隣諸国との友好を促進し、平和を守る力のある運動を強化するために、被爆者・戦争体験者と団結し、戦争を知らない世代に語り継ぐ運動を強めなければならない」と語った。
来賓として挨拶した原水爆禁止下関地区実行委員会の佐々木仁氏は、吉本氏の私心のない精神にふれ「1999年に下関原爆展から始まった原爆展運動は原爆と戦争展へと発展し、それを軸とした原水爆禁止運動が日本はもとより世界的に大きな影響を与えている。そこには下関原爆被害者の会が積極的に果たしている役割が大きい」とのべた。今年の長崎「原爆と戦争展」の宣伝活動の反響から「長崎市民はオバマの言論にだまされず、アメリカの本性をしっかりと見据えて“核と戦争の元凶こそアメリカだ”と原爆と戦争展への期待を高めている。こうした活動のなかで下関地区実行委員会も、被爆者や戦地体験者の体験に深く学び、団結して運動を進めている。今年もひき続き原爆展運動を旺盛にとりくむと同時に、アメリカに謝罪を要求し、原水爆の製造・貯蔵・使用の禁止、核基地の撤去を求める署名運動を進め、8・6広島集会への大結集を勝ち取る運動をみなさんとともに進めていきたい」と決意をのべた。
その後、原爆展を成功させる広島の会(重力敬三会長)、原爆展を成功させる長崎の会(永田良幸会長)、沖縄原爆展を成功させる会(比嘉幸子代表)、武蔵野市原爆被害者の会(永井淳一郎会長)から寄せられたメッセージが紹介された【別掲】。
続いて20年度活動報告がおこなわれた。報告の冒頭で大松事務局長は、今年1月に逝去した吉本幸子氏は「生き残った者として再び原爆や戦争を起こさせないために被爆体験を語り継ぐことは被爆者の使命」「被爆者運動に右も左もない。党派党略を持ちこむべきではない」「運動の先頭に立つ者は、運動全体、会全体のために私心なく奉仕しなければならない」という信念で活動し、戦争のない平和な社会実現のため奉仕する精神と行動は会員はもとより多くの人に尊敬され、会の中心的な存在だったとのべた。
「吉本さんを中心として取り組まれてきた原爆展活動は広島や長崎の会に継承され、全国的に発展している。戦争体験者との団結がかつてなく高まり、市民の会のみなさんとは市民運動や原爆展を通して親しい関係をうち立てた。教育集会などにも参加し教師や父母、子どもとの連帯も深まり、平和運動の一翼を担って大きく発展してきた。吉本さんの遺志を継いでさらなる発展のために奮斗しよう」とのべた。
被爆者調査も取り組む 団結も強まる
昨年度は被爆者実態調査をとりくむなかで、新たに活動に積極的に参加されるなど団結が深まったこと、シーモール、市役所、市立大学学祭での原爆と戦争展などで積極的に出向いて体験を語ったことを報告。学校や平和教室では、父母や教師が一緒になったとりくみに発展し、のべ32人の被爆者が体験を語ったことを明らかにした。また長崎・広島での原爆と戦争展を主催者としてとりくみ、全国の被爆者との連携・協力が強まったことも確認された。
昨年度の成果に立ち、「吉本氏の遺志を継ぎ被爆者運動を発展させる」「広島・長崎・全国の被爆者や空襲体験者、戦地体験者や岩国市民、上関町民、下関市民の会など、戦争に反対する多くの人人と連帯し、原爆と戦争展運動や、若い世代に体験を語り継ぐ運動をさらに広げる」とした今年度活動方針と、新役員体制が提案され、満場一致で採択された。
質疑応答のなかでは会員から1年間の経験が語りあわれた。80代の婦人は上宇部小学校での原爆と戦争展に出向いた経験を語り「校長先生を中心に先生たちと父兄がとりくみ、子どもたちも受付をするなど団結してやられていた。被爆者が高齢化するなかで真実を語る人が少なくなる。父兄から子どもたちにしっかり後を継いでいただきたいというのが私の一念。これからもよろしくお願いしたい」と語った。
垢田小学校に初めて出向いた婦人は「被爆したことが重荷で忘れようとして生きてきた。初めて参加して、一緒のグループで話された方の体験を聞くと、考えられないほどの体験だった。自分の体験は忘れる以外ないくらい苦しいものだと思っていたが、みんなが苦しんでいたことを知り涙が出た。子どもたちの真剣な顔を見て、私も少し話したが、今後も機会があれば参加したい」と意気込みをのべた。
総会は「上関原子力発電所建設計画の白紙撤回を求める決議」とともに「この1年の活動が大きく発展し前進した事への確信が一致された。今後もこの方向を力をあわせて強めていく」とした総会宣言が採択された。
総会後の懇親会では、互いに自身の体験やこれまでの思いを語りあいながら、うちとけた雰囲気のなかで交流を深めた。下関青年合唱団からは「花をおくろう」の歌も送られた。
長崎での原爆と戦争展主催者会議に参加した婦人役員は「長崎では、大学生も参加しておられた。私たちも長崎や広島に負けないように頑張りたい」と意欲を語った。また「世の中はみんな核廃絶を口ばかりでいって、実際にはどんどん戦争の準備が進んでいるようだ。みんなで一致団結して頑張りたい」「命を粗末にする人が非常に増えてきたが、自分の思いだけ、他人はどうなってもいいという考えがはびこってきたからだ。アメリカ大統領も、“核はいけない”というが、実際には廃絶になっていない。体験したわれわれが若い世代に伝え、核のない世界になることを願っている」との思いも語られた。
参加した婦人被爆者は「原爆のことを忘れよう、忘れようとして生きてきたがこの会と出会い、一緒にやるのがうれしくて仕方がない。2度と戦争を起こさせないためになにをするべきか、少し見えてきた気がする。一歩踏み出してよかった」と喜びを語った。
別の婦人被爆者も「体調が悪く出歩くと心配されるが、被爆者の会に参加するようになって本当にうれしい」と語った。
総会へのメッセージ
原爆展を成功させる広島の会会長 重力 敬三
皆様こんにちは。
桜もあっという間に散り、野も山も緑一色となり心地よい季節となりました。
下関の原爆被害者の会の皆様方にはご健勝で、日夜平和運動にご活躍のことと存じます。また、広島の会へのご支援、ご指導、ご協力に厚く御礼申し上げます。ありがとうございます。
原爆被害者の生き残りの責任として、原爆の恐ろしさと残酷さを後世に伝えるために、2001年11月、旧日本銀行広島支店で下関の会の方方のご支援とご協力により、峠三吉の詩原爆展を開催して、広島の面目を一新しました。その後、今日まで平和運動を続け、広島市内はもちろん、広島周辺各地で原爆展を開催し、各地に平和運動が浸透して、全国へと発展しています。そして、戦争反対の声が大きくなってきました。軍港都市・呉でも、最近第四回目の原爆と戦争展を開催し、盛大に修了しました。
アメリカの大統領と日本の総理大臣はかわっても、日本への占領政策の改善はありません。岩国での米空母艦載機の着艦訓練の動きは、私たちの力で排除しなければなりません。
この時期に下関原爆被害者の会の総会が開催されることは、本当に意義のあることと存じます。どうか、総会が十分な討議と意見交換により、有意義に大成功に終了することを広島から祈っています。
吉本幸子さんも、あの世から応援してくださっていることと思います。
原爆展を成功させる長崎の会会長 永田 良幸
初夏の季節となりましたが、皆様におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。本日は、平成21年度総会の開催おめでとうございます。
今年初めに逝去された吉本前会長様の偲ぶ会には参加することはできませんでしたが、吉本様のご功績を初めて拝見させて頂き、下関原爆被害者の会の再建のために長年にわたって活動され、皆様にとってはさぞいろいろな思い出があったことと思います。ご高齢にもかかわらず活動の発展のために尽力されたことに敬意を表するとともに、私たちもご遺志を継いで長崎の地でがんばることをお誓いしたいと思います。
今年は、オバマ大統領が核廃絶を唱えたということで長崎からも市長や被爆者団体代表が応援団のようにアメリカへ行きましたが、私たちは世界で唯一原爆を2発も使用し、今も最大の核保有国であるアメリカが自ら核兵器を手放すとは考えていません。この60年もの間、被爆者はあらゆる苦しみを背負いながら戦後を生きてきましたが、アメリカから大統領が広島、長崎を訪れて公式な謝罪をすることもなく戦後補償も棚上げしてきた事実がそれを証明しております。
日本の米軍基地には核兵器を持ち込み、原子力発電所に核兵器の原料となるMOX燃料を持ち込むなど、自分たちの核は手放さず、他国の核は許さないというのでは、核兵器はなくなるわけはありません。
核廃絶というのであれば、このような実際こそ問題にされなければいけませんし、使う必要のなかった原爆を二種類も投下し、日本人をモルモットにした犯罪について怒りをもって訴えなければいけません。
長崎では、6月14日から第5回目となる長崎「原爆と戦争展」を開催いたします。
準備をすすめるなかで、東本願寺長崎教務所に納められている2万体の遺骨をはじめ、まだ知られぬ遺骨が市内のあちこちに眠っているという状態に多くの市民が心を痛めております。肉親の骨が埋まっていながら、慰霊碑も、お地蔵さんもないという場所は多くあり、散在する無縁仏を公の手で慰霊し、後世に伝え残していくことは、被爆者が少なくなっていく今こそやらなければいけないと感じております。
第5回長崎「原爆と戦争展」を大成功させ、消されてきた原爆、戦争の真実を語り継ぎ、若い世代とともに平和な日本を築く運動を広げていきたいと思います。
下関、広島の皆様あっての長崎の会です。今後ともご支援、ご指導をよろしくお願い申し上げます。
沖縄原爆展を成功させる会代表 比嘉 幸子
結成15周年、平成21年度下関原爆被害者の会総会おめでとうございます。
経済不況のさなか、大量の失業者が続出し、庶民のくらしはますます悪くなる一方です。ところが日本はアメリカの属国となり、米軍再編に湯水のごとく税金を投入し、アメリカの肩代わりとして自衛隊の海外への派遣がつよめられ、時代はまた、幾百万の人人が犠牲となった、いつか来た道に進みつつある様子が見てとれます。
北朝鮮の核実験がマスコミで大きく取り上げられていますが、もし戦争になれば1番狙われるのは沖縄です。この沖縄を見ても戦後64年余になりますが、アメリカの占領意識は変わらず、極東最大の米軍基地の重圧のもとでの生活を余儀なくされています。若い世代にその歴史を伝承していく義務があります。植民地政策に甘んじてはなりません。アメリカの核の傘から抜け出すことが、日本人として世界平和に貢献する救いの道ではないでしょうか。
今年も7月末に第3回那覇「原爆と戦争展」を企画しております。焦土と化した広島、長崎の原野に立ったとき、私たちは何を感じ、その後、日本の歩むべき道をどう模索してきたでしょうか。次世代に同じ道を歩ませてはなりません。
下関から始まった「原爆と戦争展」を広げ、広島、長崎、沖縄と連帯した運動を今後とも強めていきましょう。
貴会のご発展と総会のご成功を心から祈願いたします。
武蔵野市原爆被害者の会会長 永井淳一郎
平成21年度総会の開催、お喜び申し上げます。昨年度は、核廃絶、平和運動に多大の功績のあった吉本幸子前会長のご逝去という悲しいことがありました。今年度はご遺志を継いで、貴会のさらなるご活躍を期待申し上げます。
被爆者の高齢化と減少、特に右傾化の進行を考えると、われわれの活動の重要性がますます高まっています。
どうかこの総会が、そのための飛躍のスタートとなることを祈念申し上げています。