広島市内では、65年目の8月6日を前後して被爆地の世論を全国、世界に向かって発信する多彩な催しがおこなわれる。被爆者や戦争体験者が高齢化するなか「被爆の真実を若い世代に語り継ぎ、原水爆戦争を繰り返させぬ」という被爆地の世論は切迫したものとなっており、青年や学生たちと結んだ被爆市民による活発なとりくみが発展している。日本社会の現状をもたらした原爆投下とその後の六五年を見つめ直し、独立と平和の確かな力を広島から発信する意気ごみが高まっている。
広島市の平和祈念式典には、アメリカのルース駐日大使が戦後初めて公式に出席する他、イギリス、フランスなど戦勝国であり、核保有国でもある大使、公使らが初出席する予定になっており、各国の対応が注目されている。原爆投下国の初参加に対して、広島市民のなかでは「被爆の惨状を直視して、謝罪せよ」という世論が渦巻いているが、米政府は「米国を代表してすべての第二次大戦の犠牲者に敬意を表すため」と説明し、原爆投下への謝罪についてはきっぱりと拒否している。
このなかで、「オバマジョリティーで核廃絶」などといってオバマ大統領への忠誠ぶりをアピールしてきた秋葉市長は、いよいよアメリカの意向に添う形で被爆地・広島の世論のねじ曲げへ向かっている。
秋葉市長は、2020年までに核兵器廃絶を目指す「2020ビジョン」を提唱し、オバマジョリティー・キャンペーンと合わせて、2020年夏には長崎市と共同でオリンピック招致をぶち上げたものの、広島・長崎市民の強力な反対世論に押されて頓挫へ向かっている。11月には歴代のノーベル平和賞受賞者による国際会議を広島市で開くなど、オバマ政府が主導する欺瞞的な「核廃絶」キャンペーンで突っ走りを見せている。
だが、いまさらオバマに期待する市民はおらず、秋葉市長による一連のパフォーマンスは完全に宙に浮いたものとなっている。市民のなかでは、原爆投下の記憶をますます鮮明に蘇らせながら、被爆・敗戦から六五年にして荒れ果てた日本の様相についての論議が広がり、日本の独立と平和に向けて根本的な立て直しを求める世論が盛り上がっている。
中心市街地の商店主のなかでは、原爆投下とアメリカの占領によってそれまでの広島の歴史が断絶され、いまや規制緩和などの構造改革によって外資系企業がのさばって広島市内が寂れきったこと、商店街が立ちゆかなくなるなかで自治会組織や地域コミュニティーが崩壊し、住民の結束や文化的伝統すら断ち切られてきたことへの憤りがどこでも語られている。
また、原爆投下から65年で様変わりした広島の姿が「全国の縮図」という声とともに、「自民党にかわって民主党が与党になったが、米軍基地問題にしろ、郵政民営化にしろ完全にアメリカにコントロールされているのが日本の現実だ」「新防衛大綱では、有名無実だった非核三原則を見直し、武器輸出三原則を見直すなど、320万人もの犠牲者を出した第二次大戦の反省も公然とかなぐり捨ててまた戦争をやろうとしている」と危惧(ぐ)が語られ、「被爆地が黙っていてはいけない」「八月六日は、広島の思いをアメリカにぶつけなければいけない」と語られている。
全市的盛上りの中31日開幕 広島「原爆と戦争展」
そのような被爆地の世論を基盤にして、被爆地の本当の声を全国、世界に発信する多彩なとりくみが8月6日を前後して重層的におこなわれる。
原爆展を成功させる広島の会(重力敬三会長)が主体になり、下関原爆被害者の会(伊東秀夫会長)、原爆展を成功させる長崎の会(永田良幸会長)と共催する第九回広島「原爆と戦争展」(広島市まちづくり市民交流プラザ四階ギャラリー)は、200人を超える賛同者をはじめ、全市民的なとりくみが広がるなかで今月31日に開幕を迎える。
会場では、体験を語り継ぐ被爆者、戦争体験者をはじめ、被爆二世、20人の学生を含めてのべ50人の市民が常駐して会場運営にあたる。近年の特徴としては、「直に被爆者の話を聞きたい」「自分もなにかやりたい」と行動を求めてやってくる若い世代の来場が目立っており、被爆者や戦争体験者と交流して絆を深めている。広島の会では「広島の心を全国に伝える集約点」と位置づけており、被爆地と固く結んだ運動を全国的に広げていく場として盛り上がることが予想される。
平和公園の原爆の子の像横では、例年通り、7月の毎土日を使って原爆展キャラバン隊による街頭での「原爆と戦争展」が開催されている。年を数える毎に、世界各国から広島に集まる外国人の数が増えており、国際的な交流の場となっている。「原爆投下といえばパールハーバー」「原爆被害をいうなら日本人は加害責任を反省しなければ国際的には通用しない」と振りまかれてきた風潮とは裏腹に、アメリカ、イギリス、フランスをはじめ欧米諸国、中東、南米、アジア圏からも多くの人人が真剣に参観し、初めて知った現実に涙を流し、原爆投下の犯罪を正面から暴露することに共感している。全国から訪れる若い世代や親子連れの熱心な参観も目立ち、原爆と戦争の真実を学び、混迷する日本社会の現実と結びつけて熱い交流がおこなわれている。
この街頭展示では、広島市内の大学生が翻訳ボランティアを担い、外国人の感想を聞いたりアンケートの翻訳に携わっている。8月1日から6日までは連日開催され、6日に近づくにつれて慰霊市民や全国からの訪問者が合流していく。
8月4日(水)には、劇団はぐるま座による『峠三吉・原爆展物語』の公演が広島県民文化センター(中区大手町)にて、昼の部2時、夜の部6時30分開演でおこなわれる。10年間にわたって広島、長崎、沖縄など全国で展開されてきた「原爆と戦争展」運動の記録を描いた同劇は、広島、長崎をはじめ山口県下の公演で「戦争阻止の力を励まし、日本を変えるリアリズム演劇」として大きな反響を呼び起こしている。
市内では、広島4月公演を観劇した高校生集団や教師、現役世代などの若い層が意欲的にとりくみに関わり、被爆市民、満蒙開拓義勇軍や傷痍軍人などの戦争体験者と結んで公演参加の呼びかけが進められている。全国からの訪問者にも観劇を促し、原爆展運動をさらに全国に広げていく場となることが期待されており、6日にむけて高まる市民の慰霊機運と戦争阻止の思いが渾然一体となった厳粛な雰囲気のなかで公演日を迎える。
さらに、「アメリカは核を持って帰れ!」をメインスローガンにした宣伝カーが市内をくまなくまわり、被爆市民の世論を全市民や全国、世界からの訪問者に伝える。全市的な雰囲気が盛り上がることが予想される。
8月5日(木)午後1時から、山口県を中心にした「第11回小中高生平和の旅」の一行が平和公園を訪れ、広島の被爆者五人、長崎の被爆者三人を囲んで体験を学ぶ。旅には、大学生も集団で参加し、学んだことを構成詩にまとめ、翌日におこなわれる原水爆禁止広島集会で発表する。
同日、原爆と戦争展会場では、青年、学生を対象にした交流会、広島、長崎、下関を中心にした全国被爆者交流会が開かれ、この一年のとりくみを交流し、若い世代と結びついた運動の発展方向について大いに論議を深める。
世代こえた新しい力一堂に 広島集会
全市的な盛り上がりのなかで、8月6日(金)の午後1時から、2010年原水爆禁止広島集会が県民文化センター(中区大手町)で開催される。峠三吉の時期の力強い原水禁運動の再建をめざしてきた原水爆禁止全国実行委員会が主催し、原爆展運動を軸にして全国各地でおこなわれてきた運動を集約するものとなる。集会には、広島市内外で連続的に繰り広げられてきた原爆と戦争展や学校で精力的に体験を語ってきた被爆者とともに、その思いを継承し、学内で同展開催や交流会などを積極的に担ってきた学生、母親、現役世代など新しい力が一つに結集する。
さらに、長崎で活動を活発に発展させてきた被爆者や学生、岩国、沖縄の基地撤去をたたかう勢力が合流。広島・長崎の被爆市民の運動に、全国の平和勢力が統合し、国民的な規模の原水禁、平和運動をまき起こすアピールを全国、世界に発信する。
集会では、原爆犠牲者への黙祷を捧げ、劇団はぐるま座が峠三吉の詩「すべての声は訴える」「八月六日」「その日はいつか」と子どもたちの原爆詩集『原子雲の下より』を組み合わせた構成詩を朗読。
意見発表では、広島、長崎、下関の被爆者、米軍再編をめぐって市民のたたかいが盛り上がる岩国市民、沖縄県民が発言。小中高生平和の旅の子どもたちによる構成詩、平和公園で街頭原爆展をやってきた原爆展キャラバン隊からの報告、劇団はぐるま座から『原爆展物語』公演の報告、広島の学生、教師たちが発言する。
集会宣言を採択した後、市内をデモ行進し、広島市民や全国、世界の訪問者に集会の成果を伝える。
戦後六五年の対米従属構造のもと、政治、経済、文化、教育にわたって行き詰まりを迎える中で、全国から広島に結集し、戦後総括の大論議とともに、被爆市民の世論を結びついた独立と平和の強力な力を広島から世界に発信することが求められている。