原水爆禁止全国実行委員会は27日、下関市のからと会館で全国会議を開き、今年の8・6を頂点にした原水爆禁止運動の方向を討議した。東日本大震災と福島原発事故が戦後日本社会の構造をあらわにし、民族の独立と生産振興の機運が高まるなかで、原爆と戦争展、『峠三吉・原爆展物語』公演を全国でくり広げ、アメリカに原爆投下の謝罪を求め、原水爆の製造、貯蔵、使用の禁止を求め、広島・長崎をくり返させぬ国民的大運動を発展させることを確認した。
提案に立った事務局の川村なおみ氏は、東日本大震災、とくに福島第一原発事故による大量の放射性物質の拡散による惨禍に関連して、「このような危機に対して政府の指導力、統治能力がなく、国民の生命、安全を守る意志も能力も喪失した姿を露呈した。政府・マスコミ・御用学者が一致して事故の実情や放射能汚染についてウソを発表し続ける姿は、国民を守るのではなくアメリカの最高軍事機密である核技術に従属して、平然と見殺しにする売国性、亡国性を万人の目に焼き付けた」とのべた。
また、アメリカが日本当局より正確な実情を把握して在日アメリカ人に対して退避を指示する一方で、日本民族の危機をせせら笑う態度は第二次大戦以後一貫してつらぬかれてきたものであり、「中国の脅威」を叫んで米軍再編を進め、日本をアメリカの核戦争の盾にして火の海にしようとする策動が、その延長線上にあることを強調した。
そのうえで、原爆と戦争展、『原爆展物語』公演を押し広げ、『原爆展物語』のスタッフのような活動家集団を拡大し、8・6広島集会に大結集することを訴えた。
広島の活動家は、原爆と戦争展の準備を進めるなかで大震災と原発事故が起こり、被爆者は体験から放射能の影響と原爆と原発の関係について怒りを持って発言していることを語った。安全だといいながら被害を拡大している政府・マスコミに怒りが広がっており、学生は「石油から原子力へ」が当たり前のように思っていたことに衝撃を受けて具体的に行動し始めている。さらに、「広島では上関のことが報道されない。オバマ賛美でやってきて原発と原爆の関係もおし隠してきた。そうしたなかで原爆と戦争展賛同者は昨年を上回る勢いで進んでいる」こと、「広島が何をすべきか」との意識が高まっていることが明らかにされた。
沖縄の活動家は昨年11月の『峠三吉・原爆展物語』公演が、県民の沖縄戦と戦後の体験と結びつき、「アメリカは出ていけ」の世論が強まっているとのべた。「沖縄戦場面も共感が寄せられたが、沖縄だけでなく本土も同じだと反米独立、平和への思いが強まってきた。エピローグの反響が強く、“私も松明となって運動したい”“この運動に携わらないといけない”などの感想が寄せられ、劇を見た青年たちが運動に参加してきている」と報告した。
また、とりくみのなかで沖縄の平和運動の源流は1950年8月6日の広島の運動だったことが明らかになり、「この方向でいけばもっと組織化していけることを確信した」と発言。第2次公演として県内5カ所で、第3次公演は学校公演として準備が進められており、これと結びつけて原爆と戦争展の活動を展開し、8・6に向けて青年・学生を組織していく意欲を語った。
劇団はぐるま座の団員は、今月初めにおこなわれた東京公演のとりくみを報告。空襲のもっともひどかった江東区、墨田区から無差別に回るなかで、広島と同じように抑圧が強く、体験が語れない状況だったこと、戦後、慰霊碑を建てる動きが各町内で起こったがつぶされてきた経験などが噴き出すように語られたことを紹介。体験世代はもとより、高校生、大学生が「自分たちも参加できる運動だ」と参加してきたこと、清掃労働者も「八年間新規採用がないなかで人手が足りず、事故が次次起こっている。黙っていたらTPPになって外国人労働者が入ってきて大変なことになる。それを阻止するのが組織労働者の役割だ」と強い感動を寄せていることを報告した。
また、「共産党か社会党か」と警戒した人が実行委員会で、「本当の独立を勝ちとらないと自分たちの平和はない」との思いを語り、実行委員長あいさつにつながっていったこと、「禁でも協でもなく、大衆を代表していく姿勢で入ったことが支持を得た」ことを明らかにし、「今回の大震災、原発事故ときているなかで、日本民族をどうしていくのかと多くの人が考えている。今年の八・六は大きな意義があると思う」と語った。
被爆体験継承の意義を強調 原発大災害の中で
各地の活動家の報告を踏まえ、論議は今の情勢と課題を鮮明にさせる論議へと発展した。
討議では、「福島原発問題で政府・マスコミ、専門家が、スリーマイル島事故やチェルノブイリ事故とは比較するが広島・長崎とは比較しないなど、原爆と原発が意識的に切り離されている」ことが指摘され、今こそ広島・長崎の原爆の経験を正面から押し出すことの意義が強調された。
「広島では直接爆死した人より、放射能で亡くなった人が多いことが語られている。想定外というが、地震国で何十基もの原発を何十年も動かしていたらやられるのは明らかだ。原発が老朽化してこうなることは最初からわかっていた。民族絶滅計画が今も続いている」「今回の対応でも政府・官僚は国民の生命・財産を守るというのはなく、核戦争で本当に日本をつぶそうとしている。『原爆展物語』で描かれているような担い手をどう結集するのかが最大の課題だ」などの意見が出された。
宇部市の教師は、大地震と原発が取りざたされているなかで日常の仕事に埋没して情勢に立ち遅れてきたことを反省し、「沖縄では広く大衆に働きかけ、運動が発展している。日本を変えていこうとなっているか立場が問われている」とのべた。そして、『原爆展物語』宇部公演のとりくみのなかで500人に手紙を出したみずからの経験を紹介。「公演に参加した人には今後の行動につなげていくよう働きかけていきたい」と決意をのべた。
これと関連して、この間の『原爆展物語』公演を通して運動を広げ活動家集団を拡大してきた経験と教訓が報告され、それに対立する「狭い自己充足」「敗北主義」を一掃し、実行委員会の活動を改造し飛躍させるうえでの課題も踏み込んで論議された。
沖縄の活動家は、国際婦人デーに劇を見た体験者や若い教師などが新たに参加。米軍に撃沈された疎開船・対馬丸の遺族が深い感動を持って発言し、若い教師が、「特攻隊の生き残りである祖父の経験や沖縄の人人と接してずっと疑問に思ってきた」と教育同盟の学習会に参加してくるなど、青年が運動に飛び込んでくる状況になっていることを語った。「8・6斗争は日本の平和運動の原点となって全国を動かしてきた。私たちがこれをもっと強めて全国を団結させていくことが重要だ」「活動家だけが広島に行けばいいとの姿勢ではなく、大衆が運動を求めていることに確信を持つかどうかだ」と強調した。
「それぞれの自分の生活の枠内で大衆はどうなってもかまわないというのが劇団内でも斗争だ。大衆が戦後社会を根本から変えていかないといけないと高まっているなかで、一歩ひいていくのか、うって出るのか問われている」(劇団はぐるま座団員)、「『原爆展物語』をやったところも、続けてどんどんやるべきだ。公演のとりくみは、与党化した体制内安住派と一線を画して自力でやるという覚悟がいる。原爆展も意識性を持ってやらなければ、いくらやっても効果が出ない」などの意見が出された。
はぐるま座の団員は、東京公演でなんの手がかりもないなか、数人・短期間のとりくみで、不安もあったが、一軒一軒ポスターを持って入ると東京の人人の本当の思いに次次に出会った経験を語り、「公演の都合から実行委員に指示を出すのではなく、大衆が主人公になる運動としてとりくむと、大衆自身が動いていき、これならどこにでも入っていけると確信になった」「大衆のなかの生きた願い、思い、歴史のなかに真実がある。そこに認識を変えていくことが必要だ。スタッフのような活動をすればできると思った」と語った。
会議は『原爆展物語』を普及するかどうかが、原水禁運動発展の要であることを確認、この間の運動の到達に立って活動を飛躍させ、能動的・意欲的に運動を大結集していくことを確認し、8・6斗争を大勝利させることを誓い合って散会した。