原水爆禁止広島集会を頂点にした今年の8・6斗争は、戦争情勢に立ち向かう全国的な行動意欲の高まりと響き合って画期的な様相となった。広島・長崎の「原爆と戦争展」、平和公園での学生による街頭原爆展、広島に学ぶ小中高生平和の旅、『原爆展物語』公演など重層的なとりくみがおこなわれ、それらを集約した8・6集会とデモ行進は、全広島の支持を基盤にして発展してきた峠三吉の時期の原水禁運動を全国に発信するものとなった。本紙では、今年の運動の特徴と成果、さらにその教訓や今後の展望について、運動にかかわった本紙記者、劇団はぐるま座団員、人民教育同盟の教師による座談会を開いて論議した。
市民の支持を体でつかみ確信に
司会 まず、今年の8・6に対する反響から出し合いたい。
A(教師) 平和の旅に参加した子どもたちは大きな充実感をもって帰った。今年は旅の前の街頭カンパ活動でも、市民の方からの強い支持を感じていたし、「広島に行って被爆体験を学ぶ」というと「いいことをやっている」「頑張れ」と頭をなでてくれたり、若い親子連れやカップルたちがこれまで以上に協力してくれた。安倍政府になり、国防軍や憲法改定、経済問題の悪化などきな臭い戦争の危機に対してみんなが敏感になるなかで、子どもたちが祖父母の経験を真剣に学んで活動していくことに絶大な支持があった。それを感じて、子どもたちも積極的にとりくんだ。
山口県内のある小学校では、平和の旅にクラスの約七割の子どもが参加し、またその子どもたちが他クラスの子たちにも呼びかけ、学年の3割が参加した。周辺の小学校も含めてバス一台を借り切るほどになったが、昨年から見ても親と子どもたちの熱意がこれまでにないものだった。親のなかで、「被爆体験を聞けるのは今しかない」「集団生活を通じて子どもを成長させたい」という思いは強く、他のイベント行事や帰省の日程を変えてでも「ぜひ広島に行かせたい」となった。旅の出発式には、20人くらいの親が見送りに来て、学校長、先生たちも「平和の担い手にならなければいけない」と挨拶して送り出すなど、まるで修学旅行のような雰囲気だった。
集会後の市中行進でも、これまでで最高に子どもたちが元気がよかった。2人の放送部の子どもがマイクを握り、峠三吉の「序」や「八月六日」の詩の群読を高校生から小学1年生までだれ1人脱落することなく元気にやり抜いた。学校では意見発表できない、困ったことがあればすぐに机の下に隠れるような子どもも力一杯やっており、学校でその写真を見た先生たちも泣いて喜んでいた。子どもたちが被爆者の思いを受け継いで生き生きとやる姿を広島市民が応援してくれているというのも肌で感じて、子どもたちの志気はますます高まった。このデモ隊しか生命力をもったものはなく、他の勢力が広島市民からも嫌われていくなかで、感動をもって歓迎された隊列になっていったと思う。
B(記者) 平和公園でのキャラバンも学生たちが生き生きととりくんだ。昨年から年間を通じてやってきたが、8・6を通じて「自分の世界が変わった」とか「今まで自分のことしか考えていなかったことが恥ずかしい。被爆者やスタッフのように人のために役立つ生き方をしたい」と語られていた。被爆者から子どもたち、応援してくれる市民の熱意に突き動かされるようにして自分の意識を変えていくのが共通していた。
また、外国人アンケートの翻訳を通して、全世界の人人がこの運動を支持しているということにも励まされ、全国から来た若い世代、スタッフの大学生たちと交流するなかで広島の学生として行動していく意欲を高めていった。今年は事前のポスター貼りの行動にも参加して、市民の支持を体でつかんでいったし、「書物から得る知識よりもみずから行動することで本当のことが学べる」と確信していた。最初は少し遠慮がちだった学生も、日を重ねるごとに設営から撤収まで献身的にやるようになり、参観者に意見を求めたりと、行動意欲を高めていた。この活動しか真実を伝えていくものはないし、それを自分たちがやっていることに喜びを感じている。
C(記者) 学生たちはポスター行動に参加して市民のなかに入っていくなかで「ただのボランティアではなく、人とのつながりの輪を広げて社会を変えていく活動だ」と認識を変えて能動的になっていった。原爆展を見に来た学生や社会人も、自分からボランティアに参加したいと翌日から友だちを誘ってスタッフとして参加するなど、会期中だけで協力者が130人以上になった。長崎から参加した学生は、今年の長崎原爆展がきっかけで広島にも来たが、8月6日の早朝ビラまきからデモ行進まで参加して、9日には長崎での街頭展示にも参加した。「自分から市民の中に入って少しずつ小さいことでもやっていくことが大きな力になるのですね」といい、「近頃の政治情勢を見ていると大変不安になるが、今回の運動でまだまだ状況は変えられる、そして自分たちの手で戦争への道筋を断ち切らなければいけないと決意した」と感想を寄せていた。
D(記者) デモの最中、東京からきた青年が電車を降りてデモの最後までついてきた。「電車に乗っていたら他のデモとは違って、えらく元気のいいデモがいる」と思って聞いていたら、訴える内容が「アメリカは核を持って帰れ」とか過激のようだが、他のと比べても一番まっとうなことをいっていると共感していた。全国からかなり意識を持って本物の運動を求めて広島に来ていると感じた。
世論が劇的に変化 知識人、学生、子ども、親、教師 行動意欲増す
E(はぐるま座) 今年は8月5日に『原爆展物語』公演をおこなった。広島市で5回目の公演だが、一度見た中高生が友だちを誘ってきたり、中学の3年間、毎年夏の恒例行事として見ていく子もいたりと非常に積極的だった。広島公演や全国公演で結びついた人たちが8・6集会にも参加した。峠三吉の時期の平和運動の再建に対する市民の信頼は大きく、「あなたたちは峠さんでやっているから、頑張ってもらわんといけん」と市民から直接声をかけられた。
『原爆展物語』を見て研修生として公演活動に加わった高校生は、8・6集会に参加して「自分たちが行動しないと平和は築けない。自分の生き方を見つけた」といっていた。市内から30人くらいの中高生と2人の先生が、劇と実際の原爆展会場も見て、「本当にそのものが舞台になっていた」と衝撃を受けていたし、岡山や広島県内から集会に参加した人たちも、大きな生命力を感じていた。峠三吉の詩を子どもたちが群読することがすごく歓迎された。途中で太鼓や笛を鳴らすデモ隊が来たが、高校生がこちらのデモとの違いをすごく理解していた。
F(はぐるま座) 広島では青少年の殺人事件も起きるなかで、教師たちからも「今までの平和教育はなんだったのか」という問題意識が動いていた。学校現場では「じいちゃんばあちゃんが悪いことをしたから原爆が落とされた」という加害者論の平和教育が破綻しており、学校や児童館でも「来てくださってありがとうございます」といって温かく迎えられ、先生たちがチケットを預かった。生徒からも「なぜ原爆を投下したのか、なぜ戦争を止められなかったのかが理解できた」「これまで考えることもなかったが涙が出るほど感動した。広島に生まれた者としてもっと勉強して語り継いでいきたい」という感想が次次に出された。研修に参加した高校生も、世の中の長いものに巻かれろという雰囲気に失望を感じるなかで、劇を見て「自分たちで世の中を変えていけるんだとすごく元気をもらった」といい、親に話すと「はぐるま座なら行ってきなさい」と送り出されたという。
A 平和の旅の子どもたちも、出発にあたって「被爆体験を学んで、友だちをいっぱい作って、学校に帰って自分の実生活を変えていきたい」とみんながいった。事前に原爆の子の像や8月6日のことを調べて参加する子もいるなど、これまでにない真剣さだった。被爆者の話は一言一句聞き漏らすまいとメモをとりながら聞いたり、その後の構成詩の練習でもみんなで力を合わせてやり抜こうという共通の意識で一つになった。これまでの鉄棒逆上がりなどの実践と同じ質で子どもたちが成長していったし、このような子どもたちの質が旅全体を引っ張っていった。
G(記者) それぞれの行動意欲が昨年の比ではない。被爆者も、「絶対に戦争を起こさせない」「どこに行ってでも話をするんだ」という意気込みが増しているし知識人、学生、子ども、親、教師などそれぞれの行動意欲が増している。リーマンショックが起き、大震災、原発事故、それから安倍内閣登場後の憲法改定、国防軍、そして参院選という一連の流れのなかで大衆世論が劇的に変化している。そのなかで、どういう運動をやったら変えていけるのかと関心が高まるなかで、広島全市民に支えられたこの運動が大注目を受けた。
C ポスター貼りでも、原爆展に対する信頼がすごく強く、12年も続けてきたことで「他のものは一切貼らせないが、このポスターだけは貼っていい」という人が非常に多い。「原爆を政党活動に利用するようなものとこの原爆展は違うんだ」「私利私欲なく被爆体験を語り継ぐという活動をしているのはこの原爆展だけだ」と市民の方からいわれる。今年はとくに歓迎されているし信頼されていると感じた。
上宇部実践 全国が共鳴
A 今年は私たち教師も、初めて広島「原爆と戦争展」の会場で、3日間交替で参観者と交流した。「戦争に立ち向かう教育実践」という新パネルが作られ、そこでたくさんの人たちが立ち止まって教育をめぐる論議になった。神戸の有名進学校の女子中高生が集団で参観していたが、その担任教師は「うちの中学校にくる子どもたちは受験競争にうち勝つために、体育や芸術などは一切カットして学力向上だけに打ち込む。他を蹴落としてでもただ受験に勝ち残るといういびつな形で入学してきているから、人間関係が殺伐としている」といい、「なんのために生きるのかがなく、いい大学、いい就職だけのために勉強するから、失敗や挫折したときはすべてを喪失してなにをするかわからない。被爆者の話は子どもの生き方に一石を投じたと思う」といっていた。鉄棒実践の話をしたら、「みんながお互いの力を出し合って、人の役に立つために団結してやっていこうという精神が非常に重要です」と共感してパンフを求めていった。
また、80代の被爆者の方が、「教育はとても大事だ。昔の私たちの時代は、軍国主義の教育で戦争に行かされた」といわれて40分くらい被爆体験を話された。上宇部全員達成を話すと「個個バラバラでなく、全員で力を合わせてやるということは非常に重要だ」といわれていた。
G 大阪から来た教師が橋下市長の写真を指して「これのおかげで大変なことになっている。競争がすべてだといって、赤字の公共施設は閉鎖し、定員割れの高校は統廃合という方針を出されて現場も父母も大混乱している」と話していたが、「組合活動も潰される根拠があった。市民と敵対していたことに問題がある」といい、旧来の組合主義とは違って地域と結びついて発展してきた上宇部実践に感動していた。滋賀の修学旅行の下見に来た小学校教師たちは、すごい熱意で被爆者との打ち合わせをして、「勉強させて下さい」といって進んで本を買っていった。被爆市民の本当の声を学ばせたいという教師の願いは全国的な要求としてあると思った。
H(教師) 初めて原爆展に参加した北九州の先生も、「教師は教育のことだけ見がちだが、原爆展で原爆投下と戦争からの社会の流れのなかに上宇部実践があることがわかり、教育の役割が再認識できた。被爆者に学んで子どもたちが成長していくのも、社会全体とのかかわりのなかでのことだし、そのなかで自分たちもやらないといけない」と喜んでいた。
I(記者) 集会全体を見ても、今年は「これなら日本を変えていける」と確信させるものになった。逆上がり全員達成やかけ算99も大衆から見れば「あたりまえの教育」といわれるが、8・6集会を頂点とするとりくみ全体を見ても広島における圧倒的多数派であり、全国的な基盤を持つ運動になっている。「これなら発展するのはあたりまえだ」という確信が深まっている。
G 一方で、今年は「禁」や「協」などの既存団体の存在感をまるで感じなかった。原発問題をめぐって分裂して参加者が半減したとか、体育館に集まって行事を済ませたらサッと帰ってデモはしない。平和公園周辺でも例年のようにおそろいのゼッケンやバッチをつけたような集団をあまり見かけなかった。参院選の結果も受けて「革新」勢力は、縮小傾向に拍車がかかったようだ。
F 他にまともな運動がないから、みんながこちらに集まってくる。児童館や学校でも広島の会と連携して被爆体験を伝えたいという要望がかなりあった。
美術で有名なある高校では、被爆者の体験を絵に描いたりしているが、「広島は十数年前には年間何十時間も平和教育をやっていたが、第二次世界大戦は日本が起こした戦争であり、原爆投下はその報復という教え方しかできていない」といっていた。それで実際に子どもたちが描いた絵を見ると、一度見たら見たくなくなるような絵。半年もかけて描くので精神がおかしくなる子どももいるようだ。そういう平和教育がもう行き詰まっていて、こちらの運動に展望を感じていた。
G マスコミのキャンペーンも目玉になるものがなかった。これまで秋葉前市長が「アメリカとの和解」「オバマジョリティー」とかやっていたが、そういうインチキが通用しない。長崎の式典での市長の平和宣言は「被爆体験の継承」とか、「政府は被爆国の原点に帰れ」というものだった。目の前で政府批判された安倍が、テレビ中継でアップされて目が泳いでいたのが話題になっていた。
E それを見て、長崎のある校長が「市長が政府に対してはっきりいったでしょう。長崎も変わってきたんですよ」といっていた。「だから今こういう運動をやらないといけない。今までは本当にやりにくかった」のだと。その校長も両親が被爆者で、教員時代は日教組の組合活動の主義主張に嫌悪感をもって近寄らなかったが、「ここ数年であたりまえのように国政批判ができるようになった」と喜んでいた。
50年8・6路線が圧勝 歴史的な大きな節目
I 世論の大転換だし、歴史的に見ても大きな節目に来ている。アメリカの占領下の朝鮮戦争さなかの1950年に、峠三吉らが広島から「原爆反対」ののろしをあげて五年後に世界大会までいくが、その後には「禁」「協」の分裂策動で市民みんなが嫌気をさして離れていく状況がつくられた。以来、広島にはアメリカ仕込みの市長が配置され、マスコミ、禁・協をはじめ日教組、平和研究所、資料館も含めて「じいちゃん、ばあちゃんが戦争に協力して悪いことをしたから原爆が落とされた」という加害責任論のキャンペーンをやり、全国の平和教育のモデルのようにして全国を沈滞させる抑圧構図をつくってきた。これに対して99年の下関原爆展から一歩一歩これをとり払う運動をやってきたが、ここまできて50年8・6斗争路線が圧勝した。どんな路線的な教訓があるのか鮮明にしたら、全国を席巻できる運動に発展すると思う。
G 参院選後の情勢の受け止め方として、「お先真っ暗だ」「大衆はバカだ」といって意気消沈していく流れもあるが、全国的な大衆世論は「既成政党はあてにならない。みずから行動を起こそう」という巨大な流れになっている。「日共」修正主義や社民などのインチキ潮流が消滅すればするほど、大衆の直接行動の機運が高まる関係だ。そのなかで、広島、長崎での原爆と戦争展、上関原発阻止斗争、人民教育の実践、劇団はぐるま座の公演活動など、圧倒的な大衆とともに情勢を切り開いてきた運動に注目が集まっている。
J(記者) 上関でも、祝島が県や県漁協による補償金の受けとり攻勢に対して、婦人層を中心にして上陸を阻止した。豊北原発阻止斗争に続いて上関の原発阻止のたたかいも30年になるが、本紙では町民の団結を破壊して敗北を仕組むインチキな反対運動路線を暴露したことが一つの基点になり、それから15年たって完全に力関係が逆転している。町民の下からの力で上層部の裏切りを許さないし、全町民、全国との団結の方向が強まっている。はじめから運動に乗っかっているだけの寄生的な潮流とは違って、みずから町民と直接切り結んで、その役に立つという路線を貫くことで強固な運動が作れるし、既存野党の消滅のなかで全国的に目立つ状況になっている。
E 劇団はぐるま座の再建も、原爆展運動から始まっている。小集団の利益中心で「禁・協」と一緒に大衆を抑圧する側にいたところから、大衆の力になる本来の人民劇団の役割を果たしていく転換を進めて60周年まできた。劇団そのものが純化していけばいくほど、大衆の反応がすごい。『原爆展物語』を始めて4年目になるが、観劇直後に「自分もそのように生きたい」という青年が出てくるというのも、劇団活動の質的な発展があるからだ。普通の16歳の高校生が、仲間を蹴落としていく競争社会そのものに失望して、「この大衆の先頭に立って束ねていく勢力がなければ日本は変えられないし、それを自分もやっていきたい」という強烈な思いをもっている。自分たちの活動も、この意識に応えていけるように発展させていくことだと思う。
F 『原爆展物語』公演をやりながら、ポスター行動をやって圧倒的な市民のなかに入ってなにが望まれているのかを集中して返していく。小集団の自己主張ではなく、大衆世論を束ね、歴史の発展方向に沿って高めて返していくと喜ばれることをつかんだ。社会の片隅で文句をいっているのではなく、そこと一線を画して圧倒的市民の側に立場をおくなかで、修正主義や社民がいかに大衆から嫌われているかがわかってきた。
「民主」掲げた軍国主義
A 戦前は「天皇陛下のため」で軍国主義教育をやったが、今はアメリカ仕込みの「自由・民主・人権」のイデオロギーで、凶悪な人殺しを育てて戦争にもってかれることをはっきりさせないといけない。そのパートナーとなってきたのが日教組の活動家だ。子どもの「人権」を掲げて、「鍛えてはいけない」「子どもが嫌がることはしなくていい」という子ども天国が作られてきた。アメリカは「自由」とか「民主」といって他国を侵略して人人を惨殺しているわけだが、マスコミもいじめや体罰キャンペーンを張って、教師や父母が手も足も出せないようにしてきた。そこで大衆の側のモラルを対置させなければ、自分が気に入らなかったら放火魔もやるし、人も殺す、戦争にも行く凶悪な犯罪者が育つ状況になっている。
「自由・民主・人権」イデオロギーの末期症状があらわれている。
だからこそ、被爆者や地域の人人、父母は、上宇部実践を熱烈に支持するし、みんなのために力を合わせる人間づくりが戦争に立ち向かう教育と受け止められている。教師も破産した文科省教育の中で汲汲としていたら行き詰まってしまうし、勤労人民の後継ぎを育てる「あたりまえ」の教育として鉄棒逆上がり、かけ算九九、ピラミッドなどみんなで力を合わせていこうじゃないか、というと無条件に「そうだ!」と賛同してくる。
H 重要な教訓としては、教師が学校の小さな枠を飛び出して、社会を支える人人の新しい時代意識を学び、それを親や教師と共有して教育を通じて社会を前進させていく立場に立つことだ。学校の枠の内で文句をいうだけでは展望はみえないが、人民大衆に学び、みんなが力を合わせて勤労人民の後継ぎを育てる実践に迷わず邁進すれば、これまでの想像を超えた広がりをもった教育運動ができる情勢にある。
J 「自由」とか「人権」というが、祝島を見ても、漁民が漁協総会で補償金受けとりを何回否決しても、受けとるまでやり直させる独裁をやり、自由も民主主義もあったものではない。
このインチキが全社会的に暴露されているし、若い人たちも震災をへて就職もないとか過酷な状況にあるが、そのなかでみんなが団結していく健全な意識が発展している。青年を見ても以前にも増して純粋さ、素直さがある。「仕方がない」と冷めてはいない。
下関をみても、市職員や議員に下関市役所はだれの物かと聞いたら「安倍の物だよ」といいかねない。行政が公共の福祉のためにあるという本来の目的が吹き飛んだ状況がある。全国的に見ても、大企業は国内を捨てて海外移転し、失業者が増えようが知ったことかという政治がムキつけにやられているし、政治家は平気で公約放棄。医療も教育も営利の道具。この下で人人は生きていけないし、人民が団結してたたかうしかないという意識が全般的に強まっている。目先の改良だけではどうにもならないし、社会を変えるには原爆投下から始まるアメリカの凶悪な植民地支配をひっくり返すことなしには始まらないとなっている。
I 戦前の天皇制ファシズム国家よりアメリカの民主主義の方が進歩的だという戦後のマインドコントロールが崩れている。東北震災や原発事故対応を見ても、戦前の昭和大津波、明治大津波の方がまだ温かさがある。復興もずっと早かった。今は、「自由・民主・人権」といいながら外資や大資本のための自由だけが貫かれ、国民は棄民状態のまま問答無用で切り捨てる。戦前以上のファッショ化が進行している。
麻生が「ワイマール憲法が気がついたらナチス憲法になっていた手法を学べ」といって騒ぎになったが、実際にドイツ帝政を打倒してあの当時世界最先端の民主主義憲法といわれていたものがヒトラーを生み出した。ナチスを見るまでもなく、アメリカをバックにした日本の構造改革を見てもかなりナチス的だ。小泉の劇場型の選挙なども、マスコミを通じて大衆世論をねつ造し、ワンフレーズでごまかして訳がわからないうちに人が想像もできない無慈悲なことをどんどんやる。外資と大企業の「自由と民主主義」があるだけで勤労大衆に対しては独裁だ。実際は「昔天皇、今アメリカ」というだけでなにも変わっていない。
日本立直す運動合流へ
G そういうなかで、被災地をはじめ各地方で、みずからの手で共同体の結束を強めて日本を立て直そうという運動が急速に高まっている。個人の利益よりもみんなのため、生産の社会化を代表し、社会進歩のためにみんなが団結し協力していく労働者的な意識だ。アメリカ型の「自由・民主・人権」を進歩と見なし、「個人の権利」だけを主張して、その他はどうなってもいいという組合主義、改良主義はその阻害物であり、消滅していくのはあたりまえだ。アメリカにお願いして「自由や民主主義」が与えられるなどだれも思っていないし、「禁・協」や野党の崩壊は、戦後のアメリカの欺瞞の崩壊を示している。安倍の独裁といっても国会の中だけであり、国民や海外をだます能力は衰退している。
I 今年の8・6の基調は「アメリカは核も基地も持って帰れ」というものだが、日本の平和と繁栄のためには独立が要であり、原爆投下から日本を抑圧してきた根幹である核によるアメリカの軍事支配をうち破っていく運動をやるんだという提起が圧倒的に支持された。それは、被爆者、戦争体験者の経験と新鮮な怒りを共有し、全国的に統一した国民規模の運動をやることによってのみ実現できるし、その基盤は相当に広がっている。
そのなかで、被爆者、学生をはじめ大衆自身が自分たちの力を確信しているし、大衆に学び、人民に奉仕する精神で広範な人人の世論を束ねて運動にしていく大衆路線の活動家集団を全国的に組織していくことに期待がかかっている。「原爆と戦争展」を基軸に運動をさらに全国に広げていくことが重要だし、教育運動、文化芸術運動をはじめ諸運動がこの方向で指導性を確立して前進すれば全国を席巻する運動に発展することは疑いない。
D 8・6まできて、全国的な世論の大転換と50年8・6路線を貫く勢力への期待が高まっている。歴史総括も深めながら、今回を新たな出発点にしてさらに奮斗していきたい。