防衛省は、山口・秋田両県への地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」配備計画を停止すると発表した。山口県のむつみ演習場に隣接する阿武町では、この間、町民による「むつみ演習場へのイージス・アショア配備に反対する阿武町民の会」が設立され、町民が一丸となって反対の意志を表明し、先人から引き継いだ農地を守り、故郷を未来に引き継ぐためにたたかってきた。今回、配備計画停止のニュースを受けて、町民のなかでは喜びの声が溢れ、新しいまちづくりに向けた意欲が語られている。阿武町の人たちの声を紹介する。
花田憲彦町長に聞く
--今回の配備計画停止をどのように受け止めましたか。
花田 15日の夕方に「イージス・アショア配備に関するプロセスの停止」のニュースが入ってきて耳を疑いました。国が閣議決定までしたものを覆すことは、これまでなかったからです。その後、18時過ぎに河野防衛大臣から直接私の方に連絡が入り、「長い間迷惑をかけた。配備に関するプロセスを停止したい。ブースター落下の安全性が担保できない。安全に落下させるためには、迎撃ミサイルのシステムとハードの改修に経費と期間がかかり過ぎて、現段階では無理だと判断した。今後、近いうちに山口県に行って直接謝罪したい」という趣旨の話をされました。私は、その決定は歓迎したいと伝え、「今後、最終的には白紙撤回をしてほしい」ということを申し上げました。町民からは「おめでとう」というメールや電話が次々と届きました。町民や議員の力強い運動がしっかりと伝わり、国を動かしたものと確信しています。
2017年暮れに、むつみ演習場への配備計画が持ち上がりました。2018年6月に当時の防衛大臣政務官が県庁に来られ、山口県知事、萩市長と阿武町長である私に対して、正式に話がありました。そのときから私は、町のリーダーとして早い時期に民意を見極めて、態度を明らかにする必要があると考えていました。このような大きな問題について、住民同士が「賛成派」「反対派」で対立しあうことになってはならないという思いがあったからです。
6月下旬には住民説明会がおこなわれ、7月には福賀地区宇生賀の農事組合法人・うもれ木の郷の女性グループ「四つ葉サークル」のみなさんが真っ先に反対を表明されました。さらに9月11日には福賀地区の全16自治会、4法人の連名で「配備計画の撤回を求める請願書」が提出されました。
町民の多くが反対されている以上、どんなことがあっても町のリーダーとして反対を貫こうと考えていました。一昨年9月20日に反対表明を町議会とともに行い、いろいろ行動してきました。
昨年2月に設立された、町民のみなさんの力でつくった「阿武町民の会」は、私の行動の源泉になってきました。6割をこえる町民の方々が反対の意志を表明されて会員になられました。町民が心を一つにして、この問題にとりくまれたことで町民の固い絆ができました。これは大きな財産です。表現はふさわしくないかもしれませんが、「雨降って地固まる」で、町全体の一体感が強まりました。この絆は、今後のまちづくりのすべてに生かしていけると考えています。
阿武町は国が「地方創生」を進めるなかでIターン、Uターンなど定住対策を中心としたまちづくりに力を入れ、全国から注目されてきました。イージス・アショア配備計画でこの2年半、いろんな形で翻弄され続けてきましたが、「白紙撤回」がなされた暁には、この絆を生かして今以上にまちづくりに励みたいと考えています。
--コロナ禍を経た今後のまちづくりについてどう考えていますか。
コロナ禍を経て、「新しい生活様式」という言葉が飛び交っています。最近、新国立競技場などを手掛けた建築家の隈研吾氏が、これからは建築の考え方も変わっていくだろうと語っていました。これまでは「大きな箱」に人が集まって働くことが効率的だと考えられてきましたが、コロナ防疫でリモートワークなどを実際に多くの人が体験し、これからは「一極集中主義」と「経済活性化」が一体であるという考え方が成立しなくなる、働き方、暮らし方などについて、人の意識も変わらざるをえないという指摘でした。
これまで満員電車に揺られて仕事に行くのが当たり前だった人たちが、コロナ禍でステイホームを経験しました。その間、家の中で過ごしたり、自宅の周囲を散歩したりするなかで身近にある自然の美しさや、これまで知らなかった小さな路地を発見するなど、従来の生活では見えなかったものが見えるようになったそうです。
実はヨーロッパの基礎自治体は極めて規模が小さく、EU平均で自治体当りの人口は約4000人です。例えばフランスには3万6000のコミューンがあり、一自治体当りの人口は1600人です。ドイツは1万6000の共同体があり平均人口は5000人です。一方、日本の地方自治体の平均人口は3万9000人をこえています。日本の集中型社会が世界的に見ていかに異常であるかがわかると思います。
新しい生活様式、新しい暮らし方を求めて、日本全体がコロナ前に戻るのではなく新しいページに入っています。集中型の社会から分散型の社会に、自然のなかで暮らしていく「第二の田園回帰」にこの国は向かっています。そのときに、われわれ(阿武町)がその受け皿になれるかどうか、そこがまちづくりの分かれ目です。これからは人と人が交わり、自然の摂理と共生する血の通った手の届く社会を求めていかなければなりません。
一軒一軒地域に足運び会員は有権者の6割に
阿武町民の会会長 吉岡勝
15日の夕方に「配備プロセスを停止する」のニュースを聞いて本当に驚いた。実は5日に中四国防衛局の森田局長が来られて、「阿武町民の会」の役員と話をしたばかりだった。そのときの局長は、「計画停止」という想定はまったくなかったからだ。
「計画停止」のニュースが流れた翌日、森田局長から謝罪の電話がかかってきた。局長も今回のことは直前まで知らなかったようで、「配備プロセスの停止」というのが本当に上層部だけで決まったことなのだとわかり、また驚きだった。でもこの結果は本当によかったと思う。白紙撤回していただくことを望みたい。
昨年2月に「イージス・アショア配備計画に反対する阿武町民の会」を立ち上げた。花田町長が一昨年9月に堂々と反対を表明されたことで、私たちも目が覚めた。町民を中心にした会をつくり、「子や孫のために美しい郷土を守っていきたい」という思いで、自信をもって「配備反対」の声を上げることができた。一軒一軒地域に足を運んで会員を募り、昨年12月時点で会員1626人となった。その数は阿武町の有権者の半数を優にこえている。この過程で阿武町が一つになれたような気がする。イージス・アショア配備計画が浮上して以来、まちづくりの重しになっていた。だが今回の計画停止をきっかけに、外から阿武町にもっと若い人を呼び込めるようになったら最高だなと思う。
私は阿武町民の会の会長としてやってきた。国に対して要望していくという経験も始めてで、要望書の書き方もわからなかった。不安もあった。だがみなさんの協力があって、今回のこの結果になったと思う。「阿武町民の会」もこれからどうするか、みんなで検討したい。
一つ申し上げたいのは、配備計画の停止の理由を「ブースター落下の安全性が担保できない」といっていることだ。説明会のなかでも住民はブースター落下の危険性について何度も指摘してきた。そのときに防衛省の職員が「100%安全に(ブースターを)落とせる」といったことは、はっきりと覚えている。あれは一体何だったのだろうか。電磁波の問題についても「人体への影響はなく問題ない」といっていたが、いっていたことが嘘だったということだ。国というものが人の命、地域のこと、防衛について軽視していることを痛感した。そういう意味でもいい勉強をさせてもらった。
都会の方はコロナで大きな騒ぎになっているが、「きれいな空気をしっかり吸うこともコロナ対策になる」と、ある医者が語っていた。阿武町宇生賀地区のきれいな空気を吸いに来てほしい。
田舎で安全な農作物つくる事が国を守ること
四つ葉サークル元会長 原スミ子
計画停止のニュースを聞いて驚いたが、本当に嬉しかった。最近、こんなに嬉しかったことはない。その日は地に足がつかないような感覚だった。
今あらためて思うのは、仮に国がいうことであっても、間違いは間違いというべきだということだ。本当にいい勉強をさせてもらった。
2年前に配備計画が浮上してからは、町の将来について先が見えない状態でずっと不安を抱えてきた。最初は1人ででも反対しようと思い、単独でも花田町長のところに行こうと考えていた。国策に反対するのに、人を説得して回るというのは違うと思っていたからだ。でも「四つ葉サークル」の歴代会長2人も反対の気持ちは同じであることがわかり、最初は3人で町長に反対の意志を伝えた。
その後「四つ葉サークル」として改めて花田町長に反対の意志を伝えた。そして自治会や農事組合法人が「配備計画の撤回を求める請願書」を提出し、地域をあげて大きな動きになっていった。
一昨年9月の町議会で、花田町長が堂々と「配備反対」を表明されたときは、町全体が家族になったような気持ちだった。「阿武町民の会」の会員を募るために、地域を一軒ずつ回ったのも大きな力になった。なかには「賛成だ」という方もおられたが、「自分はなにもできないけれど、頑張って欲しい」といって会員になる方もおられた。
これまで防衛省の説明を何度も聞いてきたが、「わかりました」と納得することは一度もなかった。納得できないことについて、ひたむきに一貫して反対を貫いてきたことは間違いではなかった。お国のすることに異を唱えることが人生のなかで初めてのこと。その過程では「人を信じられない」と思うこともあった。だが自分を変えながら、みなさんと力を合わせていくことができた。
この活動を通して、いっそう地域を思う気持ちが強くなった。この絆を持ってこれからはもっといいまちづくりをしていきたい。
私たちはこれまで、先人が苦労して切り拓いてきた農地を守り、美しい故郷を未来につなぎたいという気持ちで、町民が一つになってまちづくりをおこなってきた。そこに魅力を感じて、都会から家族で移住し、農業で頑張っている若い人たちがいる。
コロナ禍を経験して、軍事による国防も大事だが、田舎で安全な農作物をつくり都会へ届けることが国防であり国を守ることだということを、今回あらためてみんなが意識したと思う。イージス・アショア配備が住民の力で停止となったことは、今後のまちづくりの大きな糧になる。また町民に寄り添い、町民を守るという姿勢を貫いた町長の姿勢は、ますます阿武町が全国の方に「選ばれる町」になることにつながると思う。
宇生賀(うぶか)の風景が一段と美しく見える
四つ葉サークル会長 中原智恵子
突然のニュースに驚いたが、反対し続けて本当によかったと思う。目に映る景色がこれまでとは違うようで、宇生賀の風景がいちだんと美しくすがすがしく見える。
思い返せばちょうど2年前、田植えを終えたあとの草刈りの時期(7月)に「四つ葉サークル」として反対の意志を花田町長に伝えた。私たちが声を上げなければ誰が声を上げて地域を守るのか、という思いだった。国防は大事だけれど、住民あっての国防ではないか、みなが納得いくものでなければいけないとずっと思ってきた。
その後、町長さんが「町民第一」の姿勢を貫いてくださったことが励みになり、心強かった。「阿武町民の会」としても、どんなことがあっても反対を貫くという気持ちは変わらなかった。私たち「四つ葉サークル」も、この運動を通して団結力が強くなってまとまった気がする。
イージス・アショア配備計画は、はじめから降って湧いたような話であり、そのことに疑問を持っていた。説明会の場で防衛省の方が「ブースターは絶対に大丈夫」といったことははっきりと覚えている。計画そのものがずさんで無責任だと思う。「計画のプロセスの停止」ではなく、もう一度、「白紙撤回」を明確にしてほしい。
あきらめることなく一生懸命頑張った
阿武町福田在住 中野逸子
「イージス配備停止」の速報は最初耳を疑ったが、本当に嬉しかった。私は「町民の会」の役員の1人として、この2年間、町民の多くの人たちと一緒にやってきたが、政府・防衛省を停止といわせるまで追いこんできたのは女性を筆頭に、みんながあきらめることなく、一生懸命頑張ってきた力が大きかったと思う。
「町民の会」ができて、私たちは宇田や奈古など普段はあまり行き来のないところにも足を運び、署名を訴えて回った。そのなかで多くの町民と気持ちを通い合わせることができたし、絆が深まっていったように思う。そしてお礼と経過を報告する会報もつくり、これも全戸に配布した。こうした活動が生きてきたのだろうと思う。イージス配備停止のニュースを聞いてみんなで喜び合った。
「町民の会」はこれで終わりではない。これからのとりくみをどうするのかが大事だと思う。次の会報を出して、これまでの町民への協力に感謝し、この力を今後のまちづくりに役立てていきたい。今からは安心して農林漁業にとりくむまちづくりのために、町民が一つにまとまり、団結していく力に町民の会がなれたらいいと思う。
この2年間の苦悩は神様が私たちに与えてくれた試練だったと思う。この試練を経て団結は深まったし、これからは奈古、宇田、福賀の三つの地域が連携を持ちながら、未来あるまちづくりを進めていきたい。
今から本格的なまちづくりに精を出す
ほうれん草農家 西村俊光
これまで必死に反対してきたので、この度のニュースはとてもうれしく思う。この2年間は、農作業をしながらもずっとイージス・アショアのことが頭のなかを占めていた。かつて私も西台(イージス・アショアのメインビームが照射される場所)で葉たばこや大根を生産していた。現在、同じ場所でUターンしてきた若い農業者が白菜をつくっている。畑から200㍍以内にむつみ演習場がある。そんな近くにイージス・アショアを配備して、影響がないわけがないではないか。
専門ではないので難しいことは分からないが、日本の防衛はこのようないい加減なことで大丈夫なのだろうか、本当に国は真剣に物事を考えているのだろうかという疑問も湧いた。辺野古もしかりだが、アメリカべったりの防衛についても考えるべきではないかと思う。
やっともとの道に出たわけで、今から本格的なまちづくりに精が出せるということだ。今回のことで、町民のなかでもまちづくりとはなにか、防衛とはなにか考える機会になったのではないか。
若い人が農業でひとり立ちできる環境を
阿武町宇田在住 西村良子
テレビの速報で「イージス配備を停止」のニュースを見て、最初こんなこともあるのだろうかと不思議でしかたがなかった。次第に気持ちが高ぶってきて本当に良かったと心から思っている。私たちはなにより白紙撤回をすぐにでも望みたい。
この2年間、福賀の人たちを中心に阿武町の住民が、まちづくりに逆行するイージスの配備に反対して町民の会をつくり、署名活動やさまざまな運動を必死でやってきた。この声が届いたのだと私は思っている。すぐに町長に喜びを伝えようと電話したところ、とても忙しくて話ができなかったが、職員の方は町内をはじめ、山口県や全国からも、励ましと喜びの電話が続々と入ってきているといっていた。
阿武町はこれまで「選ばれるまちづくり」をかかげて独自のとりくみを進め、全国の自治体からも注目を集めてきた。こうした努力を続けて若い人が農業で独り立ちできる環境も徐々に整えてきた。イージスの配備はこのまちづくりに良いことは一つもなく、逆行しているからこそ私たちは必死で反対してきたのだ。これからは町外から、全国から、若い人たちが阿武町に定住してくる可能性が十分にあるし、そのための努力を一生懸命やっていきたい。息子も2年後には阿武町に帰ってきて農業を継いでくれる気持ちになっているし、イージスが頓挫して、本気でまちづくりにとりくむことができることを心から喜んでいる。