「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇、または武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。これが日本国憲法九条である。憲法はまた、平和主義とともに国民主権や基本的人権を定めている。安倍・自民党政府はこの憲法を改定するため、改憲発議のハードルを下げる憲法96条改定を企み「改憲を参院選の争点にする」と息巻いている。320万人が殺された痛恨の戦争の体験を抹殺し、戦争の反省から出発した戦後の歴史の全面覆しをやって、戦争のできる専制国家をつくり、日本を米本土防衛の盾として差し出そうというのである。これに対して国民世論は大転換しており、「戦争を絶対に起こさせてはならない」「今こそ戦争体験を思い起こす時だ」と全国で行動機運が充満している。改憲を阻止し日本の独立・民主・平和・繁栄を目指す国民的な大運動が今ほど求められているときはない。
今こそ戦争体験継承する時
自民党が昨年4月に決定した「憲法改正草案」は、性格を定める前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍がないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言しこの憲法を確定する」という文面を削除し、痛ましい戦争の反省に根ざした憲法の歴史を抹殺。そして「天皇」の文字すらなかった前文に日本は「国民統合の象徴である天皇を頂く国家」と加筆した。第1章第1条の「天皇の地位、国民主権」は「国民主権」を削除。「天皇は日本国の元首」とし、主権在民という民主主義の制限を明記した。
第2章では「戦争の放棄」の章題を「安全保障」に変え「戦力不保持」「交戦権の否認」を明記していた9条2項を削除。「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」との規定を新設した。この国防軍は「国際的な活動」や「国民の生命や自由を守るための活動」が任務。「自衛権(集団的自衛権も含む)の発動を妨げるものではない」という規定とあわせれば、世界中で米軍の下請となって武力参戦をやるうえで、憲法上の障害をとり除くものとなっている。機密保持、軍事裁判所の設置などの項目も新設している。
第3章の「国民の権利および義務」は従来の「公共の福祉」に従わせるのでなく「公益及び公の秩序」に従わせると変えた。「国民の権利」を「公」と称する一握りの為政者の利益、秩序のために制限する内容への転換である。それは米軍や自衛隊の土地接収や食料提供などにうむをいわせず従わせる内容を持つ。集会結社の自由や表現の自由、公務員の団結権も含めすべて「公の秩序」によって制限できることを明記している。
「地方自治体」では、「地方自治は住民の参画を基本」とし、住民が「その負担を公平に分担する義務を負う」とした。さらに「地方自治体の種類」を「基礎地方自治体」と「これを包括し補完する広域地方自治体」の二つにわけ、市町村合併、県の廃止と道州制の法律的裏づけとするもので、中央集権国家へむけた布石である。
そして新設したのは、「緊急事態」(第9章)の項目だ。内閣総理大臣が「外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害」などで「緊急事態の宣言を発することができる」とした。緊急事態宣言下では「内閣が法律と同一の効力を有する政令を制定」したり「内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をする」と超法規的な権力を持たせる。同時にどんな人も「国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置にかんして発せられる国、その他公の機関の指示に従わなければならない」と明記した。戦争をやることを想定し、米軍からの莫大な戦費、施設、物資、兵員提供の要求にいつでもこたえられる体制であり、従わなければ国家権力で処罰して実行させるかつての国家総動員法の復活である。
こうしたなかで改憲案発議のための96条をめぐって、「各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議」という規定を「衆議院または参議院の議員の発議によりそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決」と変える改悪が持ち出されている。
だが現在の規定自体が小選挙区制のトリックによる死に票だらけで、とても国民の意志を反映しているといえる制度ではない。昨年末の衆院選も有権者の41%が投票を拒否し、投票率は59・33%。総得票が全有権者の16%しかない自民党が3分の2議席に迫る61%の議席を独占した。そんな国民の支持のない国会議員が「3分の2以上の賛成」で改憲を発議すること自体が大インチキであり、「そのような現行制度自体が無効だ」というのが圧倒的な市民の声である。だがこの発議要件をもっと緩和して「総議員の過半数」とする。今以上に国民の支持がない一部国会議員の手で最高法規である憲法の全面改悪を可能にする民主主義の破壊である。
同時に「96条」改悪は、こうした低いハードルでさえ越える勢力はなく、これから先も3分の2以上の支持が得られる見込みがない現実も露呈している。安倍首相は「まずは96条の改定だ」と主張し「9条を変えたい」という本音を隠しているが、国民からまったく相手にされなくなった戦後政治の末期症状は度はずれたものになっている。
教育分野の改悪も露骨 「改憲」と連動し
「改憲」と連動し教育分野の変化も露骨になっている。2006年の教育基本法改悪では「教育の目的」の項に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛する」との文面で「愛国心」を導入。この「愛国心」と「公の秩序」に従う憲法草案をあわせるなら「お国のために」という国策への無条件服従を意味する。それはアメリカが日本を隷属の下において辱めを受けている現実を承認し、アジア・世界各国への排外主義を煽ることを意味する。それは対米従属から日本の独立を目指す本当の愛国心ではなく、「強いアメリカ」にはいいなりになり「弱いアジア」に襲いかかる恥ずべき売国精神にほかならない。
戦前の戦争動員への反省として重視された「教育への不当な支配」を排除する教育基本法も、「いじめ」「体罰」などのセンセーショナルな報道で公然と警察権力が教育現場に介入して覆しをはかっている。文科省は日本語も十分に話せない小学生から英語漬けにし、教育の機会均等主義をなくして教育を企業の営利活動にし、金もうけ原理、差別選別の競争原理にさらし、社会的な責任や使命を切り捨てた米国型エゴ人間の育成を進めている。この盲目的なエゴ人間がわが身を守るためには他人を攻撃し、いずれアメリカの国益のための侵略戦争で人殺しをやる肉弾に仕立て上げられることとつながっている。
米国防衛の前線基地化 「改憲」先取りの実態
全国で問題視されている改憲策動の中心は憲法9条の「戦争放棄」を覆すことである。そして「改憲」に先行して進んでいる実態は、自衛隊が米軍の指揮下に入って独立国の権利をすべて投げ出し、日本全土を米本土防衛の前線基地にするというものである。「愛国心」といいつつアメリカの国益のための戦争に駆り立てる専制国家作りが中身である。
自民党・安倍や石原慎太郎など改憲・好戦勢力は、「おしつけ憲法反対、自主憲法が必要」「日本はアメリカに頼っていてはいけない。自前の軍隊をもつべきだ」と叫び、「中国が攻めてきたらどうするのか」「朝鮮のミサイルが飛んできたらどうするのか」と叫んでいる。だがかれらは尖閣などの領土問題で「侵略は許さない」といきり立っているが、沖縄や日本全土に盤踞している米軍基地の撤去は一言もいわない。日本の国益を放棄させる規制緩和やTPPなどの売国施策は歓迎してはばからない。
もともとアメリカの一貫した要求は、アメリカが前面に出て公然と押し付けた格好をとるのではなく、歴代日本政府がみずから前面に踊り出て「自主的に」米側の要求を実行させることである。そのためイラクやアフガンへの自衛隊派遣、米軍基地への思いやり予算拠出、普天間移転や米軍再編、北朝鮮のミサイルへの対応、米国産牛の輸入拡大など、生活の全面にわたるアメリカの要求を「日本の自主的な要求だ」とメディアで欺瞞しつつ実行してきた。
自民党が今月中にまとめる予定の新防衛大綱提言の案文は、自主憲法制定による集団自衛権行使容認(九条改悪)や国防軍設置、集団自衛権行使の手続きを定める国家安全保障基本法の制定、日本版NSC(国家安全保障会議)の設立、官邸機能の強化・軍事専門家の配置、秘密保護法制定などを盛り込んだ。さらに尖閣諸島問題を念頭に、離島侵攻作戦を担う海兵隊的な機能の整備、民間能力を活用した輸送能力の拡大、核・弾道ミサイル攻撃への対応能力の強化、日米防衛協力指針の見直し、敵基地攻撃能力の保有を明記している。
憲法実行せぬ歴代政府 戦時国家へ引戻す
敗戦後、制定された日本国憲法はアメリカ占領軍のもとで制定されたが、日本の支配階級が引き起こした戦争によって、320万人に上る戦死者を出し、親兄弟が殺され、家財道具は焼き払われ、餓死にさらされた、悲惨で無謀な戦争を二度と繰り返してはならないという強烈な日本人民の意志を反映したものだった。それが主権在民、恒久平和、基本的人権の尊重などに示された。生活分野でも「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とし、思想・良心・信教の自由、表現の自由、学問の自由、職業選択などの経済活動の自由、教育の機会均等を保障した。教育基本法では戦前の軍国主義教育の教訓から「不当な支配」を戒めている。それは再びいまわしい戦争を引き起こしてはならないという痛恨の体験に根ざしていた。
この実行をさぼり、国民を裏切りつづけ戦時国家にむけた逆コースへ引き戻してきたのが自民党をはじめとする歴代政府である。それは戦後目下の同盟者として復活した日本の独占資本集団が、アメリカの要求に従ってすすめた。かれらは戦後憲法は決めたが最初から建前だけで、1952年サンフランシスコ単独講和と「日米安保条約」でアメリカの日本占領を法制化して以後は一貫して「安保」を憲法の上に置いてきた。憲法は蹂躙されつづけてきたが、今ではその憲法が日本を基地にして再びアジア侵略に乗り出していく日米支配層の野望にとってじゃまになったのである。
日米関係でみると米ソ二極構造崩壊後の97年に新「日米防衛協力指針(ガイドライン)」を決め、「平素から武力攻撃、周辺事態に際して効果的に日米協力を行うための堅固な基礎を構築する」とした。9・11テロ事件後は中東やアジア諸国との戦争に日本の動員を企むアメリカの意図に基づき、改憲策動が加速。日本では周辺事態法(99年)、テロ特措法(01年)、武力攻撃事態法(03年)、イラク特措法(03年)、国民保護法(04年)など、だれが見ても憲法違反の戦時立法を成立させた。
この時期からアメリカは「憲法九条は日米同盟にとって妨げの一つ」(04年7月、アーミテージ米国務副長官)、「安保理の一員としての義務を果たそうとするなら、憲法九条は再検討されなければならない」(パウエル米国務長官、04年8月)と猛烈な圧力をかけている。このアメリカの押しつけを忠実に実行しようとする者が、「押しつけ憲法反対」といい「自主憲法制定」と騒ぐ姿ほど滑稽なことはない。
アメリカが現在、安倍自民党政府に実行させようとしているのは、アジアを重視する「新軍事戦略」にもとづき、対中国代理戦争のために日本を駆り立て、米本土防衛の盾にすることである。アメリカの「新軍事戦略」はアフガン・イラク戦争で敗北し、米国家財政が窮地に陥るなか、アジアや中国を重視する戦略で、それは米軍はハワイやグアム、オーストラリアなど後方に下げて、中国の核ミサイル攻撃が届く九州、沖縄をはじめ日本列島、台湾、フィリピンを結ぶ第一列島線を最前線の盾にするものである。対中国戦争をしかけるが、戦争の前面には日本や韓国、フィリピンなどの近隣諸国の兵員を立たせ、米軍の損害は最少にしてアメリカの国益のために日本人を使う作戦だ。
さらに日本のTPP参加によってアジア・太平洋で日本を中心とするアメリカ支配の経済ブロック化をすすめ、中国を支配下に置く野望をすすめている。そのとき国の最高法規である憲法を「自主的に」アメリカの戦争に総動員するものへ変えようとする勢力が、いかに恥ずべき売国奴かということである。
全既存政党が対米盲従 悪質な「日共」
各政党の対応もみな対米盲従でアメリカの企む戦争に日本を総動員する方向と対決しないことが特徴となっている。維新の会やみんなの党は自民党と同様に「改憲」推進の立場。公明党は支持層に戦争体験者や戦争反対世論が強いため「憲法の精神や9条は変えない」というが改憲発議要件を緩和する96条改悪には手を貸す方向だ。
悪質なのが「共産党」の看板を掲げた「日共」修正主義集団や「護憲」をかかげる社民党などの「革新」勢力だ。彼らは表向きは「改憲」反対の立場だが行動は逆。「日共」修正主義集団は米軍基地撤去の行動が起きると本土と沖縄の分断を煽り、朝鮮ミサイル問題が起きると先頭にたって排外主義を煽り、核独占を強めるオバマの核戦略を礼賛し続けている。そして選挙の幻想が崩壊し投票を拒否する有権者には「選挙に行かず無責任」「おかしな政治家が出るのは政治に無関心な国民のせいだ」と煽り国民間の分断に躍起となっている。社民党は村山首相のとき「自衛隊合憲発言」で自衛隊派兵に道を開く仕掛け人となり、消滅寸前。どちらも「戦前の軍国主義反対」と主張して、アメリカが「自由・民主・人権」の名で引き起す戦争に協力する欺瞞的な正体を暴露している。
現在、動いている改憲策動はアメリカが押しつける「戦争のできる国にする」ための「改憲」の実行であるが、日本人民のなかでは第2次大戦の痛ましい体験と戦後の苦難に満ちた経験が戦争前夜のきな臭い空気への危惧とともにますます鮮明によみがえっている。若い世代のなかでも「今戦争体験を学んでおかなければだれも後に伝える人がいなくなる」と真剣な問題意識が拡大している。このなかで戦争体験を抹殺し、日本人民の貧困、反動、戦争、売国による困難を法制化する改憲を阻止する行動機運が広がっている。
安倍首相は「参院選で改憲を争点にする」と叫んでいるが、こうした売国政治家に鉄槌を加え思い知らせるときにきている。独立・民主・平和・繁栄の日本を目指すあらゆる要求を合流させた、全国民的な世論と運動を強めることが決定的なところにきている。