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長崎「原爆と戦争展」主催者会議 被爆地の怒り全国へ伝える 平和と独立求める大交流を

 長崎市中央公民館で5日、16日から開催される第12回長崎「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる長崎の会、同広島の会、下関原爆被害者の会)の第2回主催者会議がおこなわれた。開幕を10日後に控えるなか、これまでの宣伝活動の反響を交流し、原爆展の成功に向けて力をあわせることを確認した。オバマ大統領の広島訪問や沖縄での女性暴行殺害事件についても論議になり、欺瞞的な虚飾に覆われた「日米同盟」が日本をふたたびアメリカの戦争に巻き込むものであり、全国的な独立と平和の世論に応えるため被爆地の真実の声を伝え、同展を大成功させることで一致した。
 
 16日開幕 オバマ訪問や沖縄事件論議に 意気込み高い被爆者や学生

 冒頭、原爆展を成功させる長崎の会顧問の永田良幸氏は、「この原爆展との出会いは、長崎市の浜町商店街で街頭原爆展ではじめて体験を語ったのがはじまりだ。あれから12回目を迎えることが感慨深い。爆心地から500㍍の城山で被爆し、親兄弟6人を失った。兄と姉はいまも帰ってこない。涙が出るので語りたくなかったが、この事実を事実として伝え残さなければ、死んでも死にきれぬという思いでやってきた」とのべた。
 「アメリカは戦争末期になってウラン型、プルトニウム型という2種類の原爆を投下した。その新型兵器の人体実験のために長崎人、広島人が使われた。日本人がそのような悲惨な目に遭った真実を、被爆者が生きているうちに語らなければいけない。われわれの会は、国からの補償金ほしさでやっている運動ではない。このままでは嘘が真実をかき消してしまうから黙っていることができない。苦しみながら死んでいった姿をいまも忘れることはできない。母は生きたままバーベキューのように焼かれ、1歳8カ月の弟や妹も身体の半分を焼かれ、傷口に湧いたウジ虫を取ろうとすると“痛か、痛か”と泣きながら死んだ。原爆展を成功させるためにがんばりたい」と訴えた。
 つづいて、原爆展事務局がとりくみの経過と反響を報告した。
 5月14日から始まった宣伝活動では、原爆と戦争展への賛同・協力者は被爆者、被爆2世、自治会、商店、病院、寺院、看護師、大学教員、退職教員、会社員、さるくガイドなど約150人に及んでいる。宣伝活動では、市民会館周辺の浜町、中通り、新大工などの中心商店街や、またグラバー園周辺の大浦地区、駅前地区、稲佐地区、滑石など市内全域に広がり、市内五五の小学校、32の中学校、18の高校では、学校を通じて全校生徒に3万8000枚のチラシが配布されていることを報告した。
 宣伝活動では快くポスター掲示に応じる人が多く、ある連合自治会では各自治会へポスター50枚を配ったり、被爆2世などの若い世代も、親から聞いている被爆の経験を語りながら、「長崎の人間として協力したい」「継承していく取り組みは大切だ」と協力の輪が広がっているとのべた。とくに、先月末に現職大統領としてはじめてアメリカのオバマ大統領が広島を訪問したことについてメディアが一斉に「歴史的な日米和解」と称賛しているが、米国政府が原爆投下の謝罪をしたわけでも、過ちを認めたわけでもなく、口先とは裏腹に核弾頭の削減数は冷戦後の政府では最低レベルであり、新たに小型核兵器の開発に一兆㌦の予算を組んでいることも明らかにし、「一時的なパフォーマンスに一喜一憂することなく、被爆地として原爆投下がもたらした現実とその過ちについて声を上げ続けなければ、ふたたび核兵器が使用される危険は高まる」「地道な活動こそ大切だ」と論議されていることを報告した。
 また、米軍属による女性暴行殺害事件が起きた沖縄県でも、県議会が「米海兵隊の撤退」を全会一致で決議しており、原爆投下と共通する県民皆殺しの沖縄戦から71年経ても、日本人を人間と見なさぬ残虐な事件が絶えない沖縄の現実は、「米軍基地は日本を守るためではなく、アメリカを守るためにある」「日米安保の本当の姿」として強い関心を集めていることをのべた。「戦後71年目の日本社会の現状をもたらした第2次大戦の真実を伝え、平和な未来をつくる世代をこえた大交流の場にしよう」と呼びかけた。

 大殺戮し平和叫ぶ欺瞞 日本の参戦許さぬ 

 宣伝活動に参加した男子学生は、「グラバー園周辺の商店街にポスター掲示を頼んで回ったが、受け止め方はとてもよかった。ポスターを貼るスペースのない店舗もチラシを掲示してくれた。ただ原爆展を開くだけではなく、このように宣伝活動を通じて市民の人たちと話をしたり、意義を呼びかけていくことの大切さを感じた」とのべた。
 また、参加者は「クラス会で同級生に原爆展について声をかけると“西洋館で見たよ”といってポスターを受け取ってくれた」「公民館やコーラスにもチラシを配っている」「介護施設や学校にも呼びかけたい」と反響を交流。
 12歳で被爆した男性は、「オバマ大統領の広島訪問の一部始終をテレビで見たが、うわべだけで原爆投下という過ちについて心がある態度とは思えなかった。被爆者に対する申し訳ないという心はゼロだ。世界で唯一の原爆投下国としての世界的な非難の目をかわすために、用意した筋書き通りに形式的なイベントを済ませたという印象でしかない。アメリカは自分たちだけが生き延びようという国だ。そのために小型核兵器の開発を続けている。次期大統領が誰になろうと、私たちには直接関係はない。被爆国としていうべきことをいっていかなければいけない」とのべた。
 別の男性被爆者も、「アメリカは自分の犯した犯罪にフタをするために広島を訪問した。そのために日本人を恐れて、平和公園を警察で固めて広島市民をシャットアウトした。彼らは原爆投下直後、被爆に関するすべての資料を没収してペンタゴンに持ち帰っているから、核兵器の威力は十分認識している。ABCCでも被爆者を調査はするが、治療は一切せず、何万人が死んでも知ったことではないという態度をとり続けてきた。沖縄戦でもガマの中にいる人に火炎放射器を使って皆殺しにしたが、自分たちの国際法違反の殺戮をすべて日本軍の責任にして正当化してきた。何十万人も殺しておいて口先では平和や核廃絶を唱える、狡猾さにおいては世界一の国だ」とのべた。
 婦人被爆者は、「オバマ大統領訪問時になにか事件が起きないかを心配していたが、それくらい市民の中には根深い感情がある。被爆後は母と一緒に長与まで歩いたが、浦上川では死体が川面を埋め尽くし、道ばたには死体がゴロゴロと転がっていた。その後は戦地から帰った父がマラリアで一年後に亡くなり、食べ物も着る物もない苦労底なしの戦後を送った。幼少期によかったと思える思い出がないほどだ。日本はアメリカに原爆を落とされるほどの悪いことをしたのだろうか? と子ども心に考えてきた。原爆や戦争がどれだけの苦しみをもたらしたかを思えば、いままた集団的自衛権などで戦争の準備をしていることに怒りを感じる。政治家は自分たちの契約通りにことを進めるが、その犠牲になるのは下下の国民だ」と激しく思いを語った。
 被爆者を父に持つ婦人は、「当初は大統領がどうか無事に帰国してくれと思っていたが、オバマ大統領は広島でも部下の兵隊に“核攻撃のボタン”を持たせていたことに驚いた。口でいっていることと現実が矛盾している。安倍首相も、“世界の恒久平和”といっていたが、集団的自衛権の行使容認で自衛隊にアメリカ軍が使う武器や食料を運ばせることを合法化した。そのために他国から攻撃を受けて死者が出たら責任が取れるわけがない。なぜアメリカのためにまた国民が殺されないといけないのか」と疑問を投げかけた。
 被爆者たちの間では、「アメリカは大量破壊兵器を使って遠くから攻撃することはできるが、地上戦では負け戦ばかりだ。砲弾が飛び交うなかを三八銃を持って突進した日本人を、今度は自分たちの戦争の前線に立たせたいために日本に集団的自衛権を認めさせた。アメリカの戦争の補助要員にしようとしている」「北朝鮮は自国が滅ぶから簡単に核ミサイルは使えないが、アメリカは日本を盾にすることで一方的に使用できる。より悪党だ」「原爆を落とさなくても戦争を終えることは可能だった。核を平気で使える国は世界でアメリカだけだ」と活発に論議になった。
 スタッフとして参加する男子学生は、「原爆投下という誰もが認める大量殺戮が、戦後の戦勝国と敗戦国という構図のなかで正当化されてきたことが問題だと思う。これではテロがなくなるわけがないし、どんな国であれ悪は悪として裁かれるべきだ。戦争を食い止めるためには、根底にある貧困化という経済的な問題にも目を向けていかないといけない。戦前にも国民が食べていけなくなり、軍隊が肥大化した。もっと被爆者の体験に学び、戦争を食い止める世論を世界に広げていきたい」と抱負をのべた。
 最後に、16日から6日間の原爆と戦争展の日程や設営、運営、会場での被爆体験の証言などを会員全員が力をあわせて担うことを確認。学生や被爆者たちは「会場設営から参加したい」「毎日会場で体験を語る」と意気込みを語り、開幕に向けてさらに宣伝を強めていくことを確認して会を閉じた。

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