広島と長崎に世界史上唯一の原子爆弾が投下されてから71年目の夏を迎える。すでに日本の敗戦が決定的であった1945年8月6日と9日、アメリカは、広島と長崎に2発の原爆を投げつけて幾十万もの何の罪もない老若男女を殺戮し、街は廃墟と化した。生き残った人人にも今も癒えることのない被爆後遺症の苦しみを強いてきた。オバマ米政府は口先で「核なき世界」と欺瞞しながら、今も人類史上最大の犯罪を正当化し、核独占を続けて他国を恫喝し、より使用しやすい小型核兵器の開発に着手している。安倍政府は、その尻馬に乗って米軍のために新たな核出撃基地を増強し、武力参戦に道を開く安保法制を強行可決し、青年をアメリカの肉弾に差し出し国民の生命をミサイルの盾にする恥ずべき破滅の道を突き進んでいる。今年の8・6斗争は、原爆投下から71年たち見る影もなく腐朽衰退した対米従属政治に対し、全国民の歴史的な怒りを大きく束ねてたたかわれる。
剥げ落ちた「日米安保」の欺瞞
原爆は人類史上類を見ない大量殺戮兵器であり、それを人間の頭上に投げつけたのはアメリカだけである。そして、原爆を投げつけられたのは日本人だけである。アメリカは原爆投下について「日本軍国主義の無謀な戦争を終わらせるために必要であり、それによって日米の国民の生命が救われた」というウソと詭弁で、幾十万市民をむごたらしく焼き殺したことを正当化し居直ってきた。
5月末、オバマが現職大統領としてはじめて広島を訪問し、わずか50分で被爆地を逃げるように立ち去った。はじめから「謝罪はしない」とクギを刺し、警官を総動員して市民を排除し、ろくに原爆資料館も見学せず、原爆慰霊碑前まで核攻撃発射を指令する装置を持ち込み、「空から死が降ってきた」などと他人事のような演説をおこない、被爆市民の歴史的体験に根ざす深い怒りを買った。
アメリカ政府が、原爆を広島、長崎に投下した後に実際にやったのは、沖縄をはじめ日本中に米軍基地を置き、日本全土を核戦争の出撃基地にしてきたことである。オバマ政府は「核廃絶」の欺瞞の陰で、歴代政府のなかで核弾頭削減数を最低水準に抑え、今後30年間で1兆㌦を費やしてより小型の「使える核兵器」の開発に着手してきた。また、国連で提案され100カ国以上が賛同する「核兵器の全面禁止条約制定」への署名さえも拒否してきた。その口で叫ぶ「核なき世界」とは「アメリカ以外の核廃絶」であり、報復核攻撃の恐れがなく躊躇なく広島、長崎に原爆を投下した当時と同様の核の独占状態をつくり出すためでしかない。
核兵器を廃絶するには、なによりもアメリカが核兵器の使用と製造、貯蔵、使用を禁止することを明確に宣言することが最大の近道である。アメリカはみずからの原爆投下を謝罪し、核をもって日本から出て行け! というのが被爆地はもとより日本国民の圧倒的な声である。
時を同じくして沖縄では、元海兵隊の軍属が20歳の女性を暴行したあげくに殺害し、ゴミのように草むらに遺棄する凶悪事件が起き、全国的な衝撃を呼んでいる。「安全保障」「日米同盟の強化」を掲げ、権力・金力を総動員して辺野古への新基地建設を強行する安倍政府と激しく攻防してきた沖縄では、71年前の沖縄戦以来の全県民の鬱積した怒りが沸き立っている。
沖縄戦で米軍は、火炎放射器や毒ガスを使った皆殺し作戦を実行し、県民の4人に1人に及ぶ20万余の人人が逃げ場もなく殺された。戦後は、銃剣とブルドーザーによって島の主要部を力ずくで奪い取り基地にとって変えた。施政権返還後も、今日に至るまで強姦でも殺人でも無罪放免という屈辱的な植民地支配のもとに置かれてきた。数数の屈辱的な事件は、米軍が今に至るまで、侵略者・占領者として傲慢に振る舞っていることを突きつけている。
安倍政府は尖閣問題や北朝鮮のミサイル問題を口実に、アメリカの指図のもとに近隣諸国への対立を煽り、南西諸島に自衛隊配備を急ぎ、いつ戦火を交えてもおかしくない事態を作っている。沖縄の現実は、日米安保条約が決して、日本を守るためではなく在日米軍を保障し、日本国民の生命と安全を踏みにじるものであることを赤裸裸に暴露している。「安保」と核攻撃基地があるから、戦時には真っ先にミサイルが飛んでくる。「安保を破棄すべきだ」「アメリカは基地を持って帰れ!」の世論が全島を席巻している。
このたたかいは、日本の命運のかかった課題であり、本土との連帯を強めて発展している。
新たな侵略の為の殺戮 原爆投下の目的
第2次世界大戦の末期、すでに日本の敗戦はだれの目にも明らかであり、軍事的勝敗を決するのに、原子爆弾を使う必要はまったくなかった。終戦1年前には、アメリカは軍事要塞であったサイパン、テニアンを陥落させ太平洋上の制空権、制海権を完全に握っていた。そうして、日本の67都市をやりたい放題に空襲し、逃げまどう人人をあざ笑いながら機銃掃射で狙い撃ちにした。日本の若者たちは丸腰で米軍が待ち受ける洋上へ送り出され、潜水艦からの魚雷を受けて次次と船ごと沈められていた。戦地では武器も食料もなく、飢えと病気による死者が圧倒的であった。この泥沼の戦争で320万人もの国民が犠牲となった。
中国との戦争ですでに敗北が決定的であった天皇を頂点とする日本支配層は、敗戦に伴う国内人民による「国体の変革」(革命)を恐れ、負けるとわかりきったアメリカとの戦争に突き進んだのである。それは、日本国民の生命を差し出し、民族の利益を売り渡してアメリカに自分たちの地位を保障してもらう残忍な道であった。そのためにわざと敗戦を長引かせて、東京空襲でも、広島、長崎の原爆投下でも直前に空襲警報を解除するなどアメリカの皆殺し作戦に晒して国民をへとへとに疲れさせ、アメリカが日本を単独占領できるよう手助けをした。アメリカは当初から天皇や財閥を「占領の協力者」とみなし、東京空襲では市民の居住区を徹底的に焼き尽くす一方で皇居や財閥ビル、軍事施設は攻撃せず、各地の空襲や広島、長崎でも三菱などの軍需工場は無傷であった。
アメリカが原爆投下を急いだのは、戦後世界で優位に立つうえで、ヤルタ会談にもとづいて参戦したソ連を脅しつけて、天皇を頭とする日本の支配層を目下の同盟者に従えて日本を単独で占領支配するためであった。1500隻の艦船と五五万もの兵士を送り込み、地形が変わるほどの艦砲射撃を加えた沖縄戦も、日本本土を占領し中国、アジア支配の戦略のために、日本全土を公然とした核基地にするためにおこなわれた。そして、日本全土に米軍基地を張り巡らし、「民主主義」を装って日本の富をアメリカが強奪できる支配構造にとって変えた。そのことは戦後の全経験が証明している。
今日、地震列島に54基もの原発を林立させ、福島原発事故が起きても「コントロールしている」とうそぶいて再稼働させたり、東北や熊本被災地の放置、食料自給を投げ捨てて国の富と経済的主権をまるごとアメリカ資本に売り飛ばすTPPの推進、大企業だけがもうけるアベノミクスのツケを国民に転嫁する増税などの惨憺たる暴走政治に行きついた。第2次世界大戦と原爆投下から始まったアメリカの植民地隷属支配のもとで、日本は政治、経済、文化の全面にわたってデタラメな社会となり、多くの人人が「貧乏になって戦争がはじまった」という戦前と重ねて戦争反対の意志を強めている。
安倍政府追い詰める力 全国各地で発展
昨年、安倍政府による安保法制の成立阻止のたたかいは、知識人、学生をはじめ、労働者や主婦、退職世代に至るまで、全国が一斉に呼応して動きはじめた。佐賀県でのオスプレイ配備反対運動は沖縄の斗争と呼応し、自治会や生産者が主人公の運動となって力強くたたかわれている。人文系の廃止など学問の自由を奪う大学改革と戦争政治が一つながりのものとして知識人が発言と行動を強め、低賃金や生活苦に縛り付けて若者をふたたび戦場へ送ることに対して学生や若者世代、親世代が立ち上がっている。TPPに反対する農漁業者、医療従事者、文化・知識人の運動、これらの農漁業や地方潰しとつながった原発再稼働や輸出に対する国民的な反対世論は全国を席巻している。下関では、私企業の利益のために公の住民生活や漁業を犠牲にして暴利をむさぼる安岡沖洋上風力発電に反対する運動が、「30万市民の利益を守れ!」という幅広い裾野をもった市民運動として発展している。
1950年、アメリカ占領下の広島で初めて原子雲の下の惨状を写真で公然と明らかにし、アメリカの原爆投下の目的をあばいて、人類の名において許すことのできない犯罪として糾弾するたたかいの火ぶたが切られた。この運動の中心に立ったのは、中国地方の労働者であり、目前の経済要求第一の運動ではなく、原爆反対、戦争反対の全人民的な政治課題を労働運動の第一義的な任務とし、勤労者、青年学生、婦人、教師、文化・知識人、宗教者らの共同斗争として発展させていった。このたたかいがたちまち全国に広がり、5年後には世界大会を広島で持つまでに発展し、その後朝鮮戦争でもベトナム戦争でも原水爆を使用させない力となった。
この十数年来、下関からはじまった峠三吉の時期の運動を継承する「原爆と戦争展」運動は広島、長崎市民を代表する生気はつらつとした運動として、沖縄、東京をはじめ全国に広がり発展してきた。それは、「原水禁」や「原水協」やそれにつながる被爆団体の中枢が、オバマの広島訪問と「核廃絶」の欺瞞に感謝感激し、朝鮮や中国への排外主義に与する姿が、被爆市民からダカツのごとくはねつけられる状況ときわめて対照的である。アメリカを賛美するのではなく中国やアジア諸国に侵略した深刻な歴史を反省し、近隣諸国との友好と連帯に力を尽くし、平和で繁栄したアジアを築くことこそ日本民族の誇りである。世界の平和愛好勢力と連帯し、原水爆禁止運動を押しひろげ、核戦争を阻止する巨大な力を築く機運はかつてなく高まっている。
1950年に切り開かれ、全国民的な基盤をもって発展した原水爆禁止運動の路線的な骨格を継承し、「原爆と戦争展」を全国隅隅に押し広げ、私心なく人人の歴史的経験と願いを学び奉仕していく活動家集団を拡大していくことが、強く求められている。
原爆展軸に連続的取組 8・6広島行動
今年の8・6が近づくなかで、広島にはかつてない高い問題意識を持ちながら現状の打開の方向性を求めて全国、世界の人人が訪れている。その要求に応え、広島・長崎市民を代表する8・6広島行動に世代を超えて広く人人を結集し、大きな成果をあげることが期待される。
広島では毎月、広島の学生と原爆展キャラバン隊によって平和公園・原爆の子の像横でおこなわれている街頭「原爆と戦争展」に、外国人をはじめ若い人人が被爆地の本当の声を学ぶ意欲をもって集まり、毎回黒山の人だかりとなっている。7月からは毎週土日、8月は6日まで連日おこなわれ、かつてない全国的、国際的な交流となることが予想される。修道大学や広島大学での原爆と戦争展では、学生たちが集団で被爆者の体験を学び、オバマ訪問など表面を覆う欺瞞への違和感とともに、被爆者の訴えを真剣に聞いて行動意欲を高め、これらの行動への参加を申し出ている。
長崎市では、16日から21日まで長崎市民会館で開催される第12回長崎「原爆と戦争展」に向けた宣伝が全市民的な協力のもとで広がり、宣伝活動には地元の学生や、下関からも学生が集団的に参加し、被爆市民の経験や思いに学んで行動していく活動に新鮮な感動をもって参加する流れが顕著となっている。オバマ訪問や沖縄の事件などが取りざたされるなかで、被爆地の使命感を高めながら被爆者も熱意が高まっており、被爆市民の経験に真摯に学び、その思いを受け継いで行動する世代を結んだ運動に市民からは強い期待が集まっている。
6月末から本格化する広島での宣伝行動は、毎年、広島市民がもっとも共感と信頼を寄せる最大の平和勢力として展開されてきた。7月以降は以下のような行動が展開される。
第15回広島「原爆と戦争展」は7月29日(金)から8月7日(日)まで、「合人社ウェンディひと・まちプラザ」(袋町・広島市民交流プラザ)で開催される。全国各地で「原爆と戦争展」パネルを使った運動は広がっており、8月5日には、同会場ロビーで広島、長崎、下関、沖縄など全国各地から集まった人人による交流会が予定されている。
さらに、劇団はぐるま座による『峠三吉・原爆展物語』が、7月24日(日)午後1時から広島市西区民文化センターで上演される。
8月5、6日には山口県、北九州の小中高生平和の旅が広島を訪れる。5日に平和公園で結団式をおこない広島、長崎の被爆者から体験を学び、6日には原爆の子の像の前で平和集会をおこない、原水爆禁止広島集会で構成詩を発表する。
8月初旬から6日にかけて広島市内では、原水爆禁止全国実行委員会が複数の宣伝カーによる宣伝活動をおこない、被爆地の本当の声を全国、海外から訪れた人人に伝える。
8月6日にはこれら一連の行動を総結集して、原水爆禁止広島集会(原水爆禁止全国実行委員会主催)が広島県民文化センターで開催される。新たな戦争情勢に立ち向かう新鮮な政治勢力を大結集し、原水爆の禁止と戦争阻止をおし進める全国的な団結を深め、市民や全国からの訪問者に向けてその成果をアピールするデモ行進をおこなう。