いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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雪の中に行き倒れた男がいたら…

 雪の中に行き倒れた男がいた。彼は歩く力も起き上がる力もなく雪に埋もれていた。通りかかった1人の旅人は、男の倒れているのを見て見ぬふりをして通り過ぎた。次に通りかかった男は、倒れた男の傍に寄ったが、隣の町まで彼の道づれをしたのでは自分の命も危うくなると思い、「しばらくの辛抱だ。隣の町に着いたらすぐ救助の人びとをよこすから」といい残して立ち去った。ところが次に通りかかった第3の男は、病人の傍に寄るといきなり彼をかつぎ上げ、彼を背負ったまま雪の中を隣町まで歩いていった。そして病院に男を預けて治療を頼み、名前も告げずに立ち去っていった。この第3の男の行動の中にこそ美があり、彼の美しい魂が、愛と奉仕の果敢な行動を支えているのである--。

 

 郷土の詩人・礒永秀雄はそのエッセイである『遅すぎた目覚め(抄)』のなかで、「生の美学」について探求した際、ドイツ・ロマン主義を代表する詩人であり思想家でもあったフリードリヒ・フォン・シラーの『美しい魂』にある前述の話に触れ、無条件に人の生命を救いきっていく行動の美学に感銘を受けたことを記している。シラーが生きた18世紀後半から時を移して、この『美しい魂』の問題を自己の経済的効率や幸福のみを追求しがちな現代に置き換えてみても、同じように生に対する人間の在り方や、道徳的な人間形成ともつながった、美学とは何かを考えさせる色あせぬ例題のように思う。良心の呵責もあって見て見ぬふりはできないけれど、「誰かがやってくれたら…」と心の中で思いつつ、みずからは行動が伴わない…。そのようなケースはありがちだ。あるいは「今だけ、金だけ、自分だけ」を思い、見て見ぬ振りをするのも珍しくないからだ。

 

 この「雪の中に行き倒れた男がいた」を「集中豪雨によって困窮している被災者がいた」に置き換えると、より身近で生生しく迫ってくるものがある。被災地では、同じ地域のなかでも既に土砂がかき出された住宅もあれば、いまだに2㍍近く埋もれたままの住宅もある。高齢者の1人暮らしで被災直後から家に戻ることができず、周囲でボランティアや業者による土砂かき出しが進むなかでとり残されていたり、あまりにも家屋の損傷が著しくあきらめたり、置かれた状態は様様だ。土をかき出したとしても、住宅再建がいつになるかはメドすら立たない住民が大半だ。ようやく電気が通ったところすらある。そして崩れた山肌は、いつまた襲ってくるかわからぬ恐怖すら感じさせる。

 

 そのようななかで、20~30代を中心とするボランティアが手弁当でやってきて、黙黙と泥かきを手伝っている姿がある。女性たちも多い。猛暑のなか、延延と土砂のなかにスコップを突き刺し、土や岩を掘り出す作業は過酷だ。夕方、疲労困憊して引き上げていくボランティアたちに、誰知るわけでもないすれ違う住民たちが口口に「お世話になりました」「お疲れ様でした」と頭を下げ、ねぎらっている光景がある。無償の奉仕への感謝しきれぬ思いが、その表情からは伝わってくる。

 

 3・11後の宮城県を取材していた際、みずからも被災した役所担当者が「被災地で生きているとはいえ、みんな泥水に突っ伏して立ち上がろうにも気力すら出てこないような状態だ。ならば抱き抱えて、“しっかりしろ!”と励まし、背中を押すような援助をしてくれるのが国の役割なはずだ」と話していたことがあった。こうした自然災害に見舞われて国民が絶望の淵に立たされているときに、第3の男の役割を国や統治機構が当たり前のこととして実行するのがまともな国なはずだ。ボランティアや社会の善意、被災者の自助努力に丸投げして見て見ぬ振りをする政治、機能しない統治は醜悪以外のなにものでもない。

 

 東京五輪に浮かれている一方で、三陸では7年以上も経ちながらいまだに仮設住宅で暮らしている避難民が何万人といる。熊本もそうだ。『美しい魂』が宿っていない者が政治を司ってはならないことを、これらの被災地が教えている。武蔵坊五郎

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