「女性活躍社会」が叫ばれるなかにあって、巷では東京医科大学の女子減点問題が物議を醸している。勉強のできない男が加点されて、勉強のできる女性がその成績にかかわらずふるい落とされていた事実は衝撃的だ。賢く優秀な人間が性差にかかわらず人間の生命と向き合う仕事に就いていると思いきや、結婚や出産、子育てによって辞職や休職、時短で業務に支障を及ぼす「リスク」を避けるという意味合いから、女性という理由によって端から排除されていたというものだ。これではいくら勉強しても本人の努力ではどうにもならない。女というだけで落とされることと同時に、男というだけで加点されて合格していく者がいることもまた歪(いびつ)だ。
医師とて結婚もすれば出産もする。そして、子どもが病気になれば迎えに行って見てやらなければならないし、他に解決策や居場所がない以上、個別家庭やその周囲ですべて対応しなければならないのが現実だ。そのために、煙たがられるのを覚悟で職場の業務を他の仲間たちにお願いすることだってあるだろう。なにも女性医師に限ったことではないが、しかし女性医師が医療機関に従事しながら激務をこなし、同時に子育てに加えて家事をこなすというのは並並ならぬ苦労があることは容易に想像がつく。子どもに寂しい思いをさせていることは重重承知の上ながら、それでも患者の生命を何より優先して社会的使命を果たしている女性医師が、あの街にもこの街にもいるのである。
OECD34カ国のなかで、女性医師の割合は平均46・5%だが、日本はそのなかでも最下位の20・3%で、韓国と並んでどの国よりもグンと低いのが特徴だ。各国平均の半分以下であり、他国に比べて女性が働きにくい構造が横たわっていることをあらわしている。よその国ではどのようにして女性医師たちが活躍しているのか、とりわけ結婚や出産、子育てなど同じように直面するであろう女性として避けがたい問題と両立させるための制度上の工夫や違いについて、突っ込んで解明することが必要だ。旧態依然とした仕組みを追認して女性排除をやるのではなく、現実に合っていない遅れた状態を変えればよいのである。患者からしても、成績のよろしくない合格男に診てもらうより、成績がよい医学的知識に裏付けされた医師に診てもらえる方が、男女にかかわらず安心できるものだ。
家事も育児も仕事も抱え、育児が終われば介護地獄。誰がやってくれるわけでもないそれらすべてを請け負っているのは大概女性たちである。一馬力で食っていける世の中ではなくなり、「女性活躍」などといって労働力としてかり出される割には、そのような女性を社会的に支える基盤や体制は何も変わっていない。「保育園落ちた」もそうだが、子持ちというだけで就職面接を落とされたり、社会全体の仕組みが「女性が働く」ことに順応していないことが最大の矛盾になっているといえる。「女性差別だ!」と叫ぶことについて否定はしない。ただ、より重要なことは差別批判止まりになってしまうのではなく、具体的にこの解決を図ることだと思う。長い歴史を引きずってきた問題だけに単純ではないが、女性がその能力をいかんなく発揮し、活躍できる社会にするためにどうするのか、道筋を探っていくことが重要だ。武蔵坊五郎