5~6日に西日本を通過していった集中豪雨は、これまでになく広範な地域に深い爪痕を残していった。平地では岡山県倉敷市のように河川が氾濫して家屋が浸水し、山側では土砂崩れが多発して幾人もの生命が呑み込まれた。死者数、行方不明者数、さらに堤防の決壊や橋の崩壊といったインフラの損失規模を見ても前代未聞のものとなった。荒れ狂う濁流は広島県の海田町のように河川の堤防をも土台ごと剥ぎ取っていき、コンクリートやアスファルトで固めた地表の人工構造物では太刀打ちできなかった。それほど自然の猛威はすさまじかった。さらに交通網が麻痺したことによって物流が止まり、広島市内のように都市部ではコンビニの棚が真っ先に空となり、飲食チェーンで食事すらできない事態も起きた。
被害の差こそあれ、ここ下関でもバケツをひっくり返したような豪雨が断続的に続き、職場や人の集まる場所ではみなの携帯電話から防災を通知する緊急アラームがひっきりなしに鳴り響いた。交通網が各所で麻痺したことから、6日の朝方や夕方は大渋滞で身動きがとれない人人が続出した。関門海峡沿いの国道は崖崩れで不通となっただけでなく冠水に見舞われ、彦島では彦島大橋近くで起きた崖崩れによって島を脱出・帰還する幹線道路が一本塞がれる事態となった。高速道路は各所で通行止め。電車はストップ。関門トンネルも門司側入口で崖崩れが起きたために不通となった。そして残された選択肢のなかから交通の要衝めがけて車が殺到し、日頃は30分で済む帰宅時間が3時間かかったり大混乱となった。
こうした不測の事態で遭遇するパニックは、例えば福島第一原発の事故後に浜通りの住民が我先にと殺到して大渋滞となった避難の経験と共通するものがある。あるいは首都直下型地震に見舞われれば、首都圏はまず移動の困難だけでなく食料危機に直面するであろうことなど、さまざまなことを考えさせ教えている。望むと望まざるとにかかわらず、仮にそうなった時にはあたりまえだったはずの日常が一瞬にしてあたりまえでなくなるのである。
地震、火山噴火、台風や集中豪雨といった天変地異は避けがたいものとしてある。問題は、そのような苦難に見舞われたさいにいつも棄民政策がやられることだ。東日本大震災から7年以上が経過した東北でもいまだに7万人もの人人が避難生活を余儀なくされ、地震被害がひどかった熊本でも、九州北部豪雨から1年を迎えた朝倉市でも同じだ。そして、新たに岡山や広島でも被災者が生み出されようとしている。個人の力では抗うことができない自然災害によって、場合によっては何年と放置される運命にさらされ、難民状態に投げ込まれるのである。高度に発達した先進国でありながら――。
「国民の生命と財産を守る」というフレーズはミサイルの脅威を煽るために使うものではない。為政者として誰のために政治や行政を司っているのかは、こうした天変地異にどう反射神経を尖らせ、向きあっているかで正直に暴かれるものだ。他国に攻撃されるまでもなく、自然災害によって国土や国民生活が脅かされ、原発爆発も含めた前代未聞の出来事が続いているのである。
連日宴会をしていたうえに2日酔いみたく浮腫んだ顔をして15分程度の対策会議にあらわれ、何日か後には夫婦揃ってパリに外遊に出かけるのだという(9日午後に外遊中止を発表した)。「美しい国」は汚濁に呑まれ、既に決壊しているといえる。この国は戦争できる国になる前に、まずは自然災害にきっちり向き合う国になることが先決だ。
吉田充春