地震に襲われた熊本県にオスプレイを飛ばす飛ばさないで揉めたり、非常事態をだしにして改憲で緊急事態条項が必要なのだと説く者が出てきたり、国民の不幸を尻目に政治利用ばかりがあらわれ、余計な混乱を生み出している。被災地にとってはオスプレイだろうがその他のヘリだろうがどうでもよく、とにかく水と食料を一刻も早く持ってきて欲しいという要求が切実なのに、よこしまな願望が邪魔して危機対応が遅れている。
航空自衛隊にはCH―47という大型ヘリが15機配備されている。5人の搭乗員プラス55人の兵士を運ぶ能力を備え、有効搭載量は11・2㌧にもなる。これに比べて今回熊本に投入された米軍のMV―22オスプレイは4人の搭乗員プラス24人の兵士、9㌧の有効搭載量で、運搬能力だけ見てもCH―47に軍配が上がる。フィリピンに出かけていたオスプレイが8時間かけて岩国基地まで飛んできて、そこから熊本を目指さなくても、国内で待機中だったCH―47を飛ばせばはるかに機動性があったはずだ。戦争などしておらず、自衛隊が身動きがとれない状況でもなかった。あえてオスプレイが登場したのは、震災支援で活躍した姿を印象付け、佐賀空港への配備についても文句がいえないよう実績にする意図があったからだ。
それで、飛んできたオスプレイは何をして帰ったのか? 山崩れや橋の崩落で道路が寸断され、孤立化が心配されていた南阿蘇の住民曰く、想像を超える爆音と振動を伴って公園に飛び降りてくるとチョロっと荷物を下ろしてすぐに熊本市内方面に向かって飛び立っていったという。作業時間からして何㌧という代物ではなく、いったいどれだけの食料や水を持ってきたのかと疑問に思うほどだったようだ。そして肝心の物資が被災者に届かないため、住民はその後も大分県まで買い出しに出かけている。災害便乗のデモンストレーションをする前に、人命救助ならドクターヘリ、わずかな物資なら小型ヘリで十分だろうに…という。
目の前で国民の生命や安全が脅かされている最中に、霞ヶ関や永田町の住民は政治利用ばかり思い浮かぶのが体質になっている。東京司令部は何を見て誰を守ろうとしているのかと思う。「私が、私が」ばかり自己主張している最高指揮官のもとで、事態はどう転がっていくのか考えさせるものがある。 武蔵坊五郎