熊本地震に際して、NHK会長の籾井勝人が内部の災害対策本部会議で「(原発について)政府の公式発表を伝えるべきだ。いろいろある専門家の見解を伝えても、いたずらに不安をかき立てる」とのべ、報道内容に規制を加えていたことが明らかになった。震度七、六、五クラスの地震が頻発しているなかで、九州地方の住民にとって気がかりなのは再稼働したばかりの川内原発だった。中央構造線断層帯に沿って震源域が広がっている状況からして、愛媛県の伊方原発も心配されている。しかし、トップが「不安をかき立てるから専門家の見解を伝えないように」と指示を飛ばし、NHKは政府の大本営発表に徹するという。「政府が右というのを左というわけにはいかない」の言葉通り、報道機関ではなく政府広報であることを自己暴露した。
人人の生命や安全が脅かされている最中にもっとも必要なのは安倍晋三や菅義偉の顔面アップではない。霞ヶ関の会見場でもない。現場に水や食料が不足している実態を全国に伝えたり、あるいは今後考えられる地震について専門家の見解を広く社会に伝え、仮に原発に被害が及ぶような事態ならば危険性について警鐘を鳴らすのがジャーナリズムの役割だろう。極限の状況で何を伝えるべきかの判断は社会的利益に立ったものでなければならない。そこに「原発への批判世論が高まって欲しくない」という願望が割り込む余地などない。
地震直後、NHKといえば震源域の第一報を英語でアナウンスしてひんしゅくを買っていたがテレビ画面に映される震度分布図からは震度4を記録している鹿児島県が排除され、これも明らかに川内原発への配慮と安倍政府への忖度が働いていた。指示が飛ぶ前から、パブロフの犬みたく現場までが反応していた。
私たちは東日本大震災のときに、NHKも含めたすべての放送局が軒並み大本営発表を垂れ流しにして、「直ちに影響はありません」とくり返していた姿を忘れてはいない。放射性物質の拡散状況はSPEEDIで把握していたのに、パニック対策を優先して浴びるに任せた冷酷さを忘れてはいない。国民の生命や安全よりも為政者の願望がいつも先立つのである。この体質はNHKに限ったものではない。堕落したジャーナリズムの恣意や願望によって振り回されるわけにはいかないと改めて思う。 吉田充春