政治家の分際でありながら、世のため人のためにことを為すという志や社会的使命などまるでなく、私利私欲に走る者が跋扈している。みな自分のためである。東京都知事は猪瀬直樹に続いて舛添要一も退場に追い込まれたが、社会的使命の欠如、公益性にみずからを従属させるという政治家としての立場の喪失が最大の問題である。何度もくり返される汚職や不透明な政治資金絡みの問題の根源はそこにある。恥ずかしげもなく政治を銭稼ぎの道具にし、公金に寄生して、それが当たり前と思っているのである。ヤクザの使い走りをして国費にたかっていた甘利明も同じだ。
権力を手にしたら僕のものだと勘違いして私物化していく、昨今の政治の典型的な姿を舛添要一は示した。その思考方法や振る舞いは見ていて異様なものだった。会見で嘘を平気で口にする姿もさることながら、開き直ってヤメ検が記者への恫喝を始めたり、法的には問題ないとすり抜けようとしたり、終いにはみずからの問題なのに都議会解散をちらつかせて揺さぶったり、どこまでも主客転倒していた。シルクのチャイナドレスとか、クレヨンしんちゃんの漫画本とか、自腹で買えよ! と思うようなものまで政治資金で購入し、本来ならみっともない話である。ところが「ごめんなさい」がいえない。そして、いつまでも論点をすり替えたり、開き直って世論を激怒させた。
大衆世論との力関係でいえば既に支持基盤などなく、早くから浮き上がっているのに、そして笑いものになっているのに、まだやれるという勘違いもひどかった。大衆がいて政治家がいるという関係がわからず、「早く辞めたらいいのに…」とみなが思っているなかを頑張って、余計にでも火に油を注いだのだった。それがブーメランになって火の粉は舛添要一自身がかぶるのに世間がどう見なしているか客観視できない。それ以上に大切なのは、五輪利権というだけである。
息を吐くように嘘をつく、あるいは逆ギレして攻勢に出れば何とかなると思っている姿や、「KY」(空気読めない)を地でゆく感じは、担ぎ上げた安倍晋三とも重なるものがあった。
国政にしても、都政や地方行政にしても、いまや政治の劣化は目を覆うばかりとなっている。そして低投票率のもとで地位を得た者が、ハメを外しては世論の返り討ちにあい、一発退場に追い込まれていく。大衆あっての政治であることを勘違いしてはならない。 武蔵坊五郎