大山鳴動して鼠一匹どころか3時間近く遅刻したうえに3000億円の経済支援を手土産にしてプーチンはロシアへ帰っていった。その後、首相みずからが晩のテレビ番組を梯子して早口でいい訳をまくしたてている姿は、みっともない以上に痛痛しさすら感じさせるものとなった。事前には「歴史的な長門会談になる」「北方領土返還を成果にして解散総選挙だ」と首相官邸の鼻息の荒さが伝わってくるような報道もあった。山口県内では数千人の警官隊が大谷山荘へと続く田舎道を検問し、それはもう大騒ぎだった。ところが蓋を開けてみるとなんのことはない。「私の世代で終止符を打つ」と大きなことを口にしていたのが何だったのかと思うほど、拍子抜けする結末だった。まるで予告ホームランを宣言して空振り三振したバッターを見ているようなばつの悪さがある。
何を根拠に北方領土返還が叶うと確信し、歴史的な成果を得られると思い込んでいたのかは不明である。首相官邸は前のめりではしゃぎ、メディアも踊っていたことだけは事実である。ところが結果は、あまり事情に詳しくない第三者から見てもたいへん屈辱的な形であしらわれ、安倍外交の大惨敗を印象付けるものとなった。
第2次大戦の終結を巡って、米ソの矛盾がこじれにこじれた産物が北方領土問題にほかならない。四島を戦利品と見なしているのがロシアで、一方の米国はその対日参戦に焦って原爆を投下し、沖縄から北海道に至る日本列島を単独占領して今日に至っている。彼らが日本列島の奪いあいをやった結末である。冷戦からこの方、ロシアにとっては、そこに米軍基地をつくられたならオホーツク海に展開するロシア太平洋艦隊の原潜の息の根を止められ、対米核戦略を骨抜きにされてしまう関係にあり、その矛盾は今も変わらない。一方の米国も50年代の日ソ共同宣言の際には米国務長官だったダレスが鳩山一郎を恫喝して平和条約締結を妨害するなど、対米従属のもとにおかれた日本には独自外交を許さなかった。日米安保条約をどうするのか、日米同盟をどうするのかという問題を抜きにして、ロシアとの関係や北方領土の扱いが進展する訳などないのである。
その後も「ウラジーミル」とか「君」とか呼んでしまう心境とは、どのようなものなのだろうか。 吉田充春