これほど立場を利用してはしゃいできた首相夫人の姿など、歴代政府を振り返っても見たことがない。権力を握った者の私物化意識が反映し、完全にコントロールできないまでに思い上がった--というのが実態ではないのだろうか。本人が出てきて真相を語らなければ話にならないが、選挙で選ばれたわけでもない人間が首相夫人という立場の上に胡座をかいて権力を行使していたのであれば、厚かましいにもほどがあるといえる。議会制民主主義とか三権分立の建前など眼中にないか、想像を絶する知性の持ち主であるかのどちらかだろう。
森友学園にせよ加計学園にせよ、一昔前なら内閣が吹っ飛んでもおかしくないような事実が次次と明るみに出ているにもかかわらず、安倍政府はしぶとく持ちこたえている。復興大臣に至っては福島の被災者について「自己責任」なのだと暴言を吐いてなお居座っている異常事態だ。止めどなく垂れ流されるニュースを耳にして、多くの国民は統治機構の劣化や崩壊が想像以上にひどいことを実感し、ケジメのない姿を唖然としながら眺めているのである。
事ここに至ってなぜ事態は解明に向かわないのか。まず第一に検察までが“全自動忖度機”になって動かない。これは小沢一郎を標的にした陸山会事件の時の対応とは雲泥の差がある。さらに自民党や公明党、維新も含めて図体がデカイだけで自浄作用が働かず、政党内部から汚れ政府に鈴をつける者がいない。次期ポストへの野心も込みで動くような度胸すらないのだろう。自由と民主を謳う自民党が安倍独裁体制に縛り上げられて、不自由で非民主的な党になっている姿を自己暴露している。情けないのは野党も同じで、腰砕けっぷりは見ていられないものがある。
さらに、権力の監視が使命であるはずのマスコミになると、例えば田崎史郎(時事通信社特別解説委員)などは首相との会食癖や徹底擁護の姿勢を揶揄されて田崎スシローなどと呼ばれ、権力者のスポークスマンに成り下がっていることについて恥ずかしいという概念すら持ち合わせていない様子だ。これで「ジャーナリストは無冠の帝王である」などといった日には世間から笑われる。こうして立法も行政も司法もみんなして権力に寄り添い、第四の権力であるはずのジャーナリズムも幹部たちが飯を奢られたくらいで自らペンをへし折って乞食風情をやる。これらすべてが醜悪である。
壊死して腐った細胞は、その周囲も含めて切除するなり思い切った荒療治を施すことによってしか回復の見込みはない。そのままにしておけばおくほど、身体全体を腐食して生命や組織を危機に追いやるものだ。新陳代謝ができない自民党が自壊するのも時間の問題のように思えてならないが、同時に、自民党だけでなく周囲も相当に浸食され、バカがうつるのと同じように、汚れもうつって類は友を呼ぶのである。
こうしたまともでない社会の現実を考えるにつけ、ならばまともだった時期はあったのだろうか? 少なくともこれほどまともでない社会ではなかった--の会話が聞こえてくるのだった。
吉田充春