伊藤一長前長崎市長を射殺した暴力団幹部の城尾被告に対して、福岡高裁(松尾昭一裁判長)は1審の死刑判決を覆し無期懲役に減刑した。減刑の理由として「暴力団の組織性はない」「利欲的側面はない」ことをあげた。判決文では「犯行の決意は被害者が当日自分の目の前を通るとき」とし、「暴力団幹部としての意地を見せる」「(家庭的な)絶望感から自暴自棄になって短絡的犯行に及んだ」と、犯人の主観的な言い分を取り入れた。
暴力を職業としている暴力団幹部が、金にならない人殺しを、少年犯罪じゃあるまいし発作的にするわけがない。殺し屋として雇った背後勢力がいると見るのが常識である。また単なる恨みというのなら、わざわざ人迷惑になる選挙中を選んではやらない。背後勢力によって、選挙を妨害し、伊藤市長を抹殺するという政治目的が働いたことは明らかである。
伊藤市長は原爆投下についてアメリカの犯罪に公然と抗議していたことで有名であった。そして大型店出店など規制緩和に抵抗する自治意識が強い市長で、全国市長会会長に立候補していたなかであった。自民党売国政府にとって邪魔な存在であったことは明らかであった。事件は、国策に反対する言論は許さないし、とりわけ国策に逆らう首長の存在は許さないという政治的効果を持っていた。地方自治・民主主義をテロ支配で抹殺する重大な事件であった。
この事件について、警察、検察の捜査当局も裁判所も、メディアも、犯人の言い分を受け入れるばかりで、最も重要な政治的性質、背後勢力の関係などには目をつぶってきた。なぜこういう事件が起きたのか真相はわからないままにした。そして裁判所も、「厳罰化の流れに一線を画した判決」を下した。
戦後日本では、謀略的な事件が相次いできた。松川、下山事件などがあったが、警察から裁判所まで、占領軍からの圧力があって事件のでっちあげがされたことが暴露されている。今回の減刑判決は、国策判決であり、伊藤市長の射殺がきわめて政治的で国家的な犯罪であったと、ますます思わせることとなった。