北朝鮮の核実験にあたって、安倍政府は国連決議よりはるかに突出した制裁に乗り出している。新聞やテレビもバカのひとつ覚えのように、日本の脅威だといって大騒ぎしている。1発の核実験で大騒ぎをしているということは、安倍政府の面々が、北朝鮮の側から物を見たときには、日本全土に米軍基地をおき何1000発もの核兵器で包囲されていることについて、気も狂わんばかりの大騒ぎをすることを意味している。
日本は核武装していないというのがひとつの欺瞞である。日米同盟一本槍でいく政府は、アメリカの核の傘の下にあり、アメリカの核兵器で武装しているというのが世界の目から見た実際である。これを北朝鮮が核実験をしたからといって被害者のように騒ぐのは世界の目には通用しない。安倍政府は、他国から見た日本はどうであるかはさっぱり理解できず、いつも他国が悪いとばかりいって、ケンカを売るばかりである。これでは相手のある外交交渉などできるわけがない。アメリカの言いなり一辺倒で、その他の国とは外交交渉の意志も能力もなく、圧力一辺倒でいくというのは、戦争しかできないという性質である。
日本の子供の世界も殺伐としている。自分が危害を加えているのに、自分は被害者だとばかりしか理解できない。相手の気持ちを理解することができずに、自分の主張ばかりをする。相手側の主張を理解し、自分の主張と折り合いをつけることができない。対話ができずに、悲惨な殺人事件や自分で自分を殺したりするところまでエスカレートする。そのような近年の少年事件のモデルのような「戦争を知らない子どもたち」が政府を握り軍隊や警察を使い、権力を使うとなると、国全体の破滅になるのは必至である。「末は博士か大臣か」という言葉があったが、安倍政府の大臣連中を日本の少年達が目標などにして真似し始めたら大変な世の中になるのは明らかである。
経済制裁というのは、第2次大戦のアメリカのABCD包囲網による禁輸・制裁で真珠湾攻撃に誘い出したアメリカの対日戦争のやり方とそっくりである。兵糧攻めは戦の手段であって、相手側に武力による暴発をさせようとしていると解釈するほかはない。戦争は、やるかやらないか国民の大論議をして、決まったので始めるというものではない。かつての戦争も、多くの人人にとって、「気がついたら戦争になっていて手も足も出せなかった」というのが経験である。「あの時反対しておけばよかった」という、いまがその時である。
那須三八郎