米ロが停戦協議を進めているウクライナを巡って、何を張り切っているのか、国土交通省が大手ゼネコンや機械メーカーなどインフラ分野の事業を手がける日本企業100社余りを集めて、ウクライナの復興に向けて現地の橋や道路の修復に協力するよう呼びかけたことが報じられた。今後10年間で70兆円のインフラ需要があるとかで、日本政府をして日本企業の担当者を現地に派遣したり、復興事業に参画しやすい環境整備を進めるのだという。まだ停戦も確定していないのに、またゼレンスキーとトランプは口論しているような状態なのに、我が国土交通省ときたらよその国のインフラの心配をしてひどく前のめりではないか。しかし、どうだろうか。能登地震から1年余りが経過し、国内では被災地すらまともに復旧できないのにまるで裏腹である。方や被災者の生活再建もままならないというのに、それを置き去りにしていったいなにがウクライナ支援か――国際貢献か――である。
能登現地に大手ゼネコンや機械メーカー100社が身を乗り出すなら、その技術力でもって復旧・復興は一気に進むはずである。ウクライナの広大な国土と比較してもはるかに局所的であり、集中的にインフラ投資をするなら能登の人々の暮らしをとり戻すことなど訳ないはずである。しかし、国土交通省はウクライナのようにゼネコンやメーカーを集めて協力を呼びかけたり、復興事業に参画しやすい環境整備などはやってこなかった。能登が直面した現実は「放置」であり「置き去り」であり、まるで「あんな田舎にカネをかけて復興させる必要はない」といわんばかりのひどい仕打ちである。
この国の為政者は日頃から「国民の生命と安全を守る!」といって安全保障論議は熱心なはずである。ところが、いざ地震や津波で国民の生命と安全が脅かされると、何ら守ってくれないし、やっと助けに来たと思ったらさっさと炊き出しもうち切って引き揚げていく有様である。その後の生活再建のバックアップも乏しい。能登に限らず、東北・三陸の被災地もそうだった。情け容赦のない棄民をやり、すべては被災地や被災者の自助努力に委ねられるのだ。ミサイルが飛んでこなくても実質的には「安全保障」などあってないようなもので、「国民の生命と安全を守る」などという文言は飾り物に過ぎないことをよくあらわしている。守る気ゼロなのだ。そんな連中が、ことウクライナに限っては自国でもないのに腕まくりをしてインフラの心配をしているではないか。
ウクライナの復興に責任を負わなければならないのは、アメリカとロシアである。日本のゼネコンが遠く離れたウクライナの地でやる「国際貢献」とは、要は復興利権に一丁噛みするというだけである。戦争や紛争によってぶっ壊した市街地や道路、橋などのインフラを整備していくのは、人為的にひねり出した復興特需であり、人々が血を流すことで銭を稼ぐ連中からすると、戦争の「うま味」でもある。“スクラップ&ビルド”といわれるように、ぶっ壊して作り直すまでが戦争ビジネスである。ガザを高級リゾートに再開発する構想しかり。徹底的に破壊して更地にしたら、資本が乗り込んで奪いとっていく。イラクでもそうだったように、復興利権にハゲタカみたいなのが群がって稼いでいく構造がある。そのおこぼれに日本のインフラ企業もあやかろうというのだろう。
埼玉県八潮市の道路陥没事故が象徴しているように、日本国内では道路や橋、上下水道管など社会インフラの老朽化は深刻で、この更新だけでも膨大な労力と経費を要することが明らかになっている。真面目に国土や交通を管轄するなら、国土交通省はよその国のインフラを心配するよりも、まずは自国のインフラの心配をするべきである。そして同じ復興なら、能登の復興こそ優先課題なはずである。
吉田充春