東南アジア諸国連合(ASEAN)の盟主と目されるインドネシア(人口2億7750万人)で、昨年発足したプラボウォ政権が看板政策として学校給食の無償化を進めている。なんでも、インドネシアは2045年までの先進国入りを目指しており、給食の無償化が「栄養価の高い食事の提供だけでなく、優れた若者を育成するための投資となる」と、その目的を明らかにしている。対象となるのは幼稚園から高校生までの児童・生徒や妊婦など約8300万人に及び、そのためには国家予算の1割にあたる4・4兆円の予算確保が課題なのだという。
そんな新政権に恩を売るかのように支援表明しているのがASEAN諸国の取り込みを狙う大国で、中国は真っ先に資金提供を表明し、米国も牛乳生産拡大を支援すると表明。先日インドネシアを訪問した石破首相も「日本が支援してくれるならば歓迎したい」とプラボウォ大統領が求めるのに対して、日本の給食制度のノウハウや栄養管理の専門家を派遣するなどの支援を約束した。インドネシアが求めている支援とはとどのつまりカネということであれば、その支援とは日本側の金銭的な負担が伴うのだろう。
米中の覇権争奪が激化するなか、どちらがASEAN諸国を取り込めるかが、軍事的にも経済的にもインド太平洋地域全体における影響力を決定づける意味合いを持つことから、両者はしのぎを削って外交を展開している。インドネシアは中国とのつながりも深く、投資や貿易でもその存在感はアメリカ以上である。中国としては、一周回った資本主義の残されたフロンティアともいうべきASEAN諸国も含めたアジアから欧州へと至る全域で一帯一路を推し進め、「アジアの世紀」を主導したいという思惑があり、それに負けじとアメリカも取り込みをはかる。そして、当のASEAN諸国はインドネシアに限らず、どちらにも与することなく地域の多国間がつながりながら二大国間のバランスをとり、日本、欧州なども交えながら多角的に外交を進めてきた経緯がある。
ところで、話を振り出しに戻してインドネシアの新政権が肝いりの政策として進めている学校給食の無償化である。先進国入りを目指して、優れた若者を育成するための投資であると高らかに宣言しているのに対して、先進国が「支援する」と表明するのはいいものの、ではアメリカ国内はどうなっているのか? 日本国内はどうなっているのか? を考えたときに、いったいどの口が「支援する」といっているのだろうかと思うのである。
貧困大国のアメリカでは子どもの給食どころか大人にいたるまでフードスタンプでかつがつ食いつなぎ、家すら失ったノマドといわれる漂流民やホームレスが溢れ、生きていくのに精一杯という現実がある。残酷な搾取の産物である。日本国内を見ても学校給食は無償化などされていないし、むしろ子ども食堂が全国に1万カ所もできているような有様である。戦後の食糧難でもないくせに、少子化でただでさえ子どもは少ないはずなのに、食べることすらままならないお腹を空かせた子どもたちがどの街にも溢れ、学校で「昨日と一昨日、ボクなにも食べてないんだ…」と会話しているような世の中である。このいったいどこが「先進国」というのだろうか。豊かなのは一握りで、「先進国の豊かさ」からこぼれ落ちた子どもたちは育ち盛りの大切な時期でありながら、日々のお腹すら満たされないのだ。もうこうなったら、みんなでインドネシアに移住した方が栄養価の高い給食にありつけるのではないか? とすら思ってしまうのである。
子どもたちや若者に対する愛情の違いなのか、はたまた為政者の政治信念の違いなのか、とにかく国作りにたいする視点が根本から異なるのだろう。先進国は偉そうに他国を支援するまえに、自国のお腹を空かせた子どもをゼロにする取り組みをすべきである。そして、先進国入りを目指すインドネシアには、日本や米国のような「先進国」なんてろくでもないし、なんの目標にもならないよ――と伝えたい気持ちになる。
吉田充春