2025年の新年を迎えて、読者・支持者の皆様に謹んでご挨拶申し上げます。
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長周新聞社は第二次大戦後10年目の1955年4月15日に創刊されて、今年の4月で70周年を迎えます。
70年といえば一つの歴史です。それは日本社会を過去から引き継ぎ、無限の未来へとつながってゆく、そのような流動・発展していく歴史の一過程であり、とりわけ戦後10年目から今日にいたる過程で「いかなる権威にも屈しない」言論機関として長周新聞のようなジャーナリズムがこの社会のなかで存在し得たというのは、ひとえに読者・支持者の皆様の協力の賜であると考えています。
われわれがスポンサーや特定の組織・団体に依存することなく真実の報道を貫くという場合、拠り所となるのは読者の皆様の購読料や全国津々浦々から寄せられるカンパ以外にはありません。創刊から今日にいたるまで、その経営に浮き袋などないなかで、長周新聞は多くの方々によって支えられ、守られてきました。
取材、編集、新聞発行にたずさわるわれわれ自身は、常になにもないところから作り上げていくことをモットーとし、自力更生、刻苦奮闘の精神を貫き、記者やスタッフも世代交代をくり返しながら言論機関としての歴史をつないできました。
70周年という節目にあたって、あらためて創刊の原点にたち返ると同時に、それはただ過去を懐古するというのではなく、日々流動し発展してゆく現在の日本社会のなかで、さらにいきいきと毎号の言論活動を展開していくためにわれわれは何を為すべきか――長周新聞が果たすべき役割は何か――を鮮明にして、70年以後の歩みを進めていかなければなりません。
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創刊にあたっての訴え
戦争は、われわれの生活のうえにいいしれないいたましい傷痕を残し、われわれの郷土に無残な荒廃をもたらした。人々は荒廃のなかから起ち上がり、平和で豊かな美しい郷土を建設してゆくために、不断の努力をつづけてきたし、いまもつづけているが、しかし、10年もたった今日、いぜんとして明るい展望はひらけない。
労働者は安い賃金と労働強化に苦しみ、ふだんに失業の脅威にさらされている。農民は土地が少ないうえに、生産費のつぐなわない農産物価と重税にあえぎ、中小商工業者は不況、重税、金融難で倒産の危機にさらされている。不況の波はようしゃなくおそいかかり、失業者はどの街にもどの村にもどんどんはんらんしている。労働者、農漁民、市民のすべてに生活の困難はいよいよ加わってきた。そのうえ、植民地的退廃がまき散らされ、民族文化の健全な伝統をむしばみつつある。それにもかかわらず、だれでも知っているように、憲法にそむいて再軍備が公然とすすめられ、軍国主義の妖怪がまたしてものさばりはじめた。原子戦争の危険すらが、民族の運命と関連をもちつつ、身近に不気味にただよいはじめている。
われわれは、このような状態を黙ってみていることはできない。
とくに、このような情勢のなかで発行されている大部分の商業新聞は、わが山口県において、その規模が全国的にせよ、県的にせよ、市町村的にせよ、いずれも資本の支配下にあり、支配勢力の忠実な代弁をつとめている。興味本位の事件報道主義のかげにかくれて、ことの真実がゆがめられ、大衆の死活の問題がそらされる。切実な問題につきあたるたびにのまされる苦汁は、いつもしらじらしい嘘やずるい黙殺や問題のすりかえであることは、だれでも経験しているところである。大衆はいおうにも口に鉄をかまされた馬のように、語るべき何らの機関ももたない。これでは、真実は泥沼の底におしこめられ、嘘がはびこり、歴史は偽造されてゆくばかりである。
われわれは真実を泥土にゆだねてはならない。いいたいことを明からさまにいい、欺瞞のベールをひきはがし、そのことをつうじて、真に大衆的世論を力強いものにしなければならない。そのために必要なことは、いかなる権威にも屈することのない真に大衆的言論機関をみずからがもつことである。このことは、今日切実に要求されている。
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1955年の創刊にあたって、初代編集長だった福田正義はじめとした山口県の有志たちは、持ち合わせの資金などまるでないなかで、以上の『創刊にあたっての訴え』を発し、まず山口県内を中心に読者を募ってから資金をかき集め、第1号の発刊にたどりつきました。当時の編集局の構成員は記者2人、間口一間の風が板を吹き抜けるような掘っ立て小屋の編集室には古い座り机が一つあるだけで電話もない、交通機関は自転車1台という、まさになにもないところからの出発でした。
1955年といえば、51年のサンフランシスコ講和条約で、あたかも日本は独立したかのような装いをしながら、その実、アメリカの単独占領によって政治、経済、軍事、外交、思想、文化のすべてにわたって独立が犯されている状態でした。かつての大戦で国民に塗炭の苦しみを強いた一握りの独占資本を中心とする日本の支配層は、今度はアメリカの軍門に降ることで保護され、アメリカのアジア侵略のための基地にするもくろみのもとに登用されて、戦後も支配的地位を与えられました。
それは今日まで引き続く対米従属の始まりであり、なにもかもアメリカの支配層のいいなりになる欺瞞的な「戦後レジーム」のルーツでもあります。「一億総懺悔」などと国民にはいいながら、支配層はそのさらに上段に君臨するアメリカに媚びへつらい、首の皮をつないで生きながらえてきたし、そうして染みついた奴隷仕草が今日にいたるも引き継がれているにすぎません。当時は日本共産党までがGHQ・アメリカ占領軍を「解放軍」と規定しているような有様でした。
こうした混沌とした社会状況にあった戦後10年目に長周新聞は創刊し、独立、民主、平和、繁栄を掲げて、戦争も貧困も失業もない平和で豊かな日本社会の実現のために言論事業を展開してきました。その時代の国内矛盾や世界の諸情勢など、とりあげるべき必要な事象については積極的に扱い、批判すべきは批判し、称揚すべきは称揚し、社会的に有用とされる紙面を作成することを目指して言論を展開してきました。
そうして70年間にわたって蓄積されてきた9211号にわたる紙面は、長周新聞と読者の歩みであると同時に、戦後の日本社会、世界の変わりゆく様を映し出すものでもあります。この70年の日本社会の発展の過程のなかで、われわれはどのように日本社会の政治、経済、思想、文化の各面にわたってかかわりあい、どのようにそれをいきいきと反映し得たのか、また日本社会の進歩と発展の方向にそって、どのように能動的に働きかけ役割を果たし得たのか、あるいはまた、それがどのように不十分であったか、どのような誤りがあったのか――それは当事者による自画自賛やその逆でもなく、読者の皆様をはじめとする第三者によって客観的に検証されるべきものです。これらについて両面から謙虚に学んで、70年以後の紙面作成に挑んでいかなければなりません。
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いまや活字文化の衰退が叫ばれ、大手の商業新聞は怒濤の勢いで部数を減らし、経営のスマート化などといって記者減らしをしてますます取材力を失い、自滅している新聞社もあるほどです。元来、資本力や権威に屈してきた「オールドメディア」による嘘やプロパガンダ、世論誘導の手口が見透かされ、すっかり社会的な信頼を失っています。
それはスポンサーに身を委ね、忖度し、「書けない記事は一つもない」どころか書けない記事ばかりとなり、資本力のあるものにとって都合のよい言論を作り続けてきた結果にほかなりません。権力の監視という、ジャーナリズムにとって最大の使命であるはずの任務を放り投げ、飯が食えれば白を黒といい、黒を白といい、権力の番犬になりさがったことを欺瞞できないまでに飼い慣らされている――。かつて「無冠の帝王」などといわれたジャーナリズムの腐敗堕落したなれの果ての姿ともいえます。
一方でSNSやネットの普及にともなう情報空間の変化は著しいものがあり、これまた根拠のない嘘や誹謗中傷、デマも含めて飛び交う混沌とした空間が拡大しています。今度は世論誘導すなわちプロパガンダの手口がSNSやネットを駆使する形で展開され、なにがなんだかわからないように世論をかき混ぜたり、事の真実を歪めたり、ネガティブキャンペーンによって陥れたり、熱狂を作り出したり、凶暴さをともなった手段としてあらわれています。GAFAが管理統制する言論空間において、それはコントロールされた世論誘導でもあり、いわゆる「オールドメディア」が躊躇して踏み込めない領域にまで遠慮なく突っ込んでいくという点でより乱暴な手口になっています。
こうしたフェイクやデマまでくり出される高度な情報戦空間のなかで、何が真実で、何が真実でないのかを見抜いて是非を判断したり、物事を深く洞察していくことは至難の業となっています。しかし、だからこそ正しい世論形成に向けて働きかけ、日本社会の進歩発展の側でオピニオンとして果たしていく役割は大きいと考えます。戦後から80年を迎えた今日、「台湾有事」などといって、日本列島を戦場にしかねない物騒な情勢のなかで、平和で豊かな日本社会を実現するために、長周新聞も奮起して対峙することを誓います。
2025年元旦
長周新聞社