お隣の韓国で尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領がにわかに非常戒厳を宣布して軍事クーデターを企てたものの失敗に終わり、弾劾訴追されることとなった。4日深夜から明け方にかけて騒然とした雰囲気で情報が駆け巡り、民主化を経た現在の韓国でいったい何が起こっているのかと思わせたが、そこはかつての軍事独裁政権の真似事など通用せず、逆に仕掛けた側が巨大な権力の上に浮き上がっていたことを物語る「1人クーデター」に終わった。その後の展開からして、おそらく大統領がいくら旗を振ったところでついて行く者が誰もいなかったのであろう。軍隊も、与党も――。そして、憲法違反の謀反を企てた尹錫悦自身が立場を追われることになったのである。70年代や80年代に朴正煕(パク・チョンヒ)や全斗煥(チョン・ドゥファン)が同じように戒厳令を宣布して軍事独裁政権をしいたのに倣ったのだとしたら、それはあまりにも韓国の民衆を舐めすぎであり、時代錯誤も甚だしいというほかない。
第2次大戦後、韓国では日本の侵略支配に加担・協力し、支配機構の一翼を担っていた部分がそっくりそのまま戦後支配の担い手としても登用され、ソ連、中国、北朝鮮と対峙する反共の砦として、アメリカ傀儡の軍事独裁政権が長らく権力を担保されていた。それが現在の尹錫悦に続く韓国保守の系譜であり、韓国右派の最も右側に位置している勢力ともいえる。さながら日本でいうところの安倍晋三みたいなもので、岸信介と朴正煕がかつての朝鮮支配時代の上司と部下だった関係を戦後も維持していたように、軍事政権を敷いていた韓国保守勢力と自民党清和会の相性はピッタリで、ともに反共右派勢力としてアメリカから支援を受けて培養されてきた存在といえる。統一教会しかりである。
尹錫悦は今回の戒厳令宣布について、「親北の野党勢力の攻撃から韓国を守る」ことを主張し、北朝鮮の影響から韓国を守るのだと真顔で演説していた。その光景はまるで「北朝鮮のミサイルから日本を守る」と吹聴していた安倍晋三とも重なるものがあった。内憂外患が激化すると、権力者というのはいつも外側の仮想敵に矛先をずらして排外主義を煽るのが癖とでもいおうか、問題をすり替えて逃げ込む癖でもあるのだろう。北朝鮮もまたそういうポジションなのか、都合よく脅威の象徴として使われ過ぎである。
韓国では尹錫悦は大統領就任当初から少数与党であり、4月の国会議員選挙ではさらに惨敗して政権基盤は揺らぎ、国会運営がままならないばかりか予算も可決できず、支持率も20%そこそこと低迷。にっちもさっちも行かず袋小路に追い込まれていた。しかし大統領としての権力だけは絶大なものだから、「北朝鮮の脅威から韓国を守る」という錦の御旗を掲げて、戒厳令の宣布すなわち軍事クーデターによって国会を封鎖してうるさい野党や左翼を黙らせ、すべての政治活動や街頭デモなどを制限し、軍隊の武力によって権力構造を維持しようと試みたのだろう。しかし、40~50年前とは時代も変わっており、いまさら軍事独裁政権の復活など韓国の民衆が許すはずもないのである。むしろ展開によっては、光州事件など闘った韓国民衆の魂に火を付けるような挑戦でもあった。
今回の一件で不思議なのは、尹錫悦の孤立している自らの立場を認識できない勘違い、最終的には「1人クーデター」にまで行き着いた時代錯誤な振る舞いや判断は、いったい何を起源にしているのか? という点である。まるで現代版の「裸の王様」を見せられているような気がしてならない。
吉田充春