自民党政調会長(党三役)の萩生田光一を筆頭に、ネパールで開催された統一教会の催しに参加していた山際大志郎・経済再生担当大臣、参院選で6万~7万票ともいわれる教団の信者票によって当選を果たした井上義行(安倍政権の内閣総理大臣秘書官)、教団の集会で韓鶴子をマザームーンと褒め称えていた山本朋広など、既にズブズブの関係が暴露されている政治家はゴロゴロといるのに、今もって誰一人として自民党を追われていない。余りにも多すぎて一人ずつ厳密に処分した場合、議席がガタ減りになるからなのだろう。それにしても、岸田政府としては、このままいけばヌルッと切り抜けられるとでも思っているのだろうか。反社会的カルト宗教と一体化していたことが発覚した今、自民党に対する視線は厳しいものがあるが、「以後気をつけます」で元の木阿弥というのでは、恐らく世間は誰も納得しない。
統一教会が秘書軍団を政界に三桁は送り込んでいるといわれるなかで、それら100人超の存在を炙り出すことなく漫然と放置しているというのも考え物である。反日カルト集団が送り込んだいわばスパイでもある信者秘書が現役の大臣すなわち政府中枢や自民党三役にまでとり憑いているかも知れないというのに危機感すら抱いていないというのでは、日頃から叫んできた「国を守る」とか国防とはいったい何だったのか? という疑問にもなる。
ここは誰の目にも明かな形で関係を断たなければ“腐ったミカン”のように見なす人もいるだろう。少なくとも前述の萩生田、山際、井上、山本切りくらいはして見せなければ、反日カルト宗教に乗っとられた自民党、政府というレッテルは払拭されないのである。レッテル貼りが大嫌いだった安倍晋三が、その死を通じてみずから「統一教会とズブズブだった自民党」という壺印のレッテルを貼っていった今、その粘着したレッテルを引き剥がすという行為がない以上、貼られたままなのである。自民党として除名処分その他何もアクションがないということは、「統一教会とズブズブの自民党ですが、なにか?」という開き直りと捉えられても致し方ない。
国政選挙で得票にあらわれる自民党の支持率は創価学会の信者票と合わせても25%そこらである。その25%のなかには、創価学会だけでなく、統一教会をはじめとしたいくつもの宗教票が含まれ、いわば寄せ集めによってかつがつ政権与党の座を死守してきたことがわかる。問題は、悲しいかなそうした弱体化した政権与党を上回る政党が存在しないことだろう。れいわ新選組のような新しい政党があらわれ、芽は出てきているとはいえるものの、5割もの有権者がそっぽを向いているという政治不信のうえに自公政権があぐらをかいている状態は頑として変わらず、強くもないくせに「長期政権」なんてものが出来上がるのである。政界のカルト除染と同時に求められているのは劇的な再編であり、とくに野党不在ともいえる状態の解消であろう。物価高、コロナ禍で国民生活は散々な折、みんなでぬるま湯に浸かっているようなゲージ(国会)のなかで飼い慣らされた野党なり政党ではなく、たたかう政党、政治家の登場が切望されていることを痛感する。
自民党については、このままモゴモゴと誤魔化すならそれもよし。毒にも薬にもならぬ男のもとで、壺を引き続き抱きかかえ心中する道を選択したと捉えるのが妥当だろう。 武蔵坊五郎
岸田自民のハラは”3年後の総選挙までには、世間は壺に飽きる、馴れてしまい無感動、無関心になる。気にしないwithになる”と言うものだろう。
幸い、ルーツが自民系・民社系の維新や立民・国民もドップリと漬けで、選挙の時に問題で自民を激しく攻撃できない。本来なら、議員は全員除名の上、刺客候補を送るくらいしなければ世間様に破却をアピールできないが、議員の多くがいなくなってしまうし、根っ子が反共だから嫌なんだろう。
また、自民の支持者は「今だけ、カネだけ、自分だけ」で自民に投票するのだから汚染なんて気にしない。
日本民は、伊丹万作が「戦争責任者の問題」で示した様に責任感がないし、花森安治が「一銭五厘の旗」で書いたように筋を曲げ長いものに媚びるチョンマゲ根性の持ち主ばかりだ。
それでも高度成長期のように金巡りが良ければ世間様の反応も違うだろうが、政府自民党の積年のセルフ経済制裁で身も心も貧しくなり大企業から細民まで政府自民党にお零れを求めて擦り寄っているのが現実。
だから、岸田自民は「どう転んでも政権を喪うことなんかない」と達観して、舐めた行動を取っているのだろう。