連日のように「○○県は死亡者○人、陽性者○○○人」と各都道府県の最新の感染状況がニュースに映し出され、オミクロン株の猛威を視聴者に伝えている。だが、既に過去最大の感染爆発に直面してどこもPCR検査が追いついておらず、保健所業務も破綻しており、実態把握などできていないのが実際だろう。発表される数値は現実を正しく反映した感染状況ではなく、行政として把握できた一部というに過ぎないのだ。専門家曰く、実際にはその4倍ほどの感染者がいるという指摘もあながち間違っていないのだろう。しかし、そんな実態把握とはほど遠い感染者数の発表数値すら、爆発状況だけは浮き彫りにしているのである。
我が街でも、1月中旬まではまだ保健所による感染者の把握、濃厚接触者の追跡(PCR検査の実施)も追いついているかに見えた。ところが、1月下旬から連日のように100人ごえの感染者が出るようになるとたちまちキャパオーバーに見舞われ、濃厚接触者の追跡などとてもできないまでに追い詰められてしまった。対象人数が多すぎて、これまで想定してきた防疫体制がぶち破られてしまったのである。
行政区内から連日のように100人以上の感染者が見つかり、その何倍もの濃厚接触者がおり、さらに濃厚接触者の濃厚接触者が何乗にもおり、それらが日を追うごとに雨後の竹の子のように増えるのだから、手が付けられないのも無理はない。病院クラスター、老人施設クラスター等々が起こって、あっちでもこっちでも火の手が上がり、保健所の職員たちは懸命に頑張っているのに、どう頑張ってもどうにもならない勢いなのである。ガンガンPCR検査ができるわけでもなく、その体制も準備もなく突入してしまった第六波の現実は、まさにお手上げ状態といえる。
斯くして日本社会においては「見なし陽性」なる新言語までが誕生し、要するに濃厚接触者になると自分で陽性判断して隔離部屋に籠もっておれ――というまでになった。それまでは疫病感染者を追いかけ回していたのに、息切れをしていきなり「もう、任せる!」と丸投げされたようなものである。これは防疫体制の放棄にも等しい。
問題なのは、そうなると、社会人として仕事を持っている人々の場合、仮に「濃厚接触者かも…」と思い当たる節があっても口には出せず、出社する人がいてもおかしくないことだ。微熱があったとしても、「オミクロンは軽症というし、まぁいっか」と思う人だっているだろう。あるいは、日給が頼りな暮らしだったなら7日間の隔離など言語道断で、微熱でも黙って働き続けるほかない。生きていくための補償がないのに、休めるわけがないのだ。検査体制の強化しかり、補償体制の整備しかり、それらは疫病を抑え込むために必要な施策なのになにもせず、助走で息切れをして「後は自分でどうにかしろ」というのでは、国家の存在価値を自ら否定しているようなものである。
連日の感染爆発で心配なのは、感染者が子どもや幼児、その親たちから中年世代、高齢者へと広がりはじめ、オミクロンは無症状や軽症が多いという割に、死者数が増え始めていることだ。デルタ株も混じっており、決して警戒を解いてはならないと専門家たちも警鐘を鳴らしている。オミクロンといっても高齢者や基礎疾患を持っている人々には脅威で、生命の危機につながる現実には変わりないのだ。
国によって防疫体制には違いもあるが、諦めてすぐに万歳し、あとは野となれで放り投げていく体質はどうにもならないのだろうか…。
吉田充春