節分といえば、まだギリギリ昭和の時代だった数十年前、通っていた小学校では節分集会と銘打って、400人以上もの全校児童が体育館に集められ、毎年のように催し事がやられていた。メインを飾っていたのは言うまでもなく“豆まき”だった。子どもたちは各々二掴みほどはあっただろうか、教室で先生より配られた豆を紙パックに入れて大事そうに抱え、男の子たちになると決戦の時に向けて少しばかり興奮した面持ちであった。
いざ太鼓の音が鳴り響きはじめ、暗闇のなかからスポットライトに照らされながら鬼たちが突入すると、400人余りが四方八方からいっせいに投げつけ、逃げ回る鬼を追いかけ回すのだから、それ自体は危ないったらありゃしないし、阿鼻叫喚の図である。暗幕で窓ガラスからの斜光をすべて遮り、演劇用のライトを2階上方から床面に向かってグルグルと回す演出は、さながら当時流行っていたテレビ番組『風雲たけし城』でも真似ていたのだろうか。
問題はその際に鬼は誰がやるのか? である。各クラスより2名の鬼役が選出される仕組みのなか、つい貧乏くじを引いてしまい、本番当日まで憂鬱な日々を過ごしたことが今更ながら思い出される。400人余りのほとんどの児童はぶつける側である一方、そんな憂さ晴らしの生け贄とされ、ぶつけられる側もいたのだ。そして迎えた本番、僅か数分間を走って走って逃げ惑い、上級生・下級生を問わずあっちからもこっちからも豆を投げつけられ、ひどく痛かった想い出と同時に、「こんな豆まきやめちまえ!」と心の底から思ったことを昨日のことのように思い出す。いやはや、令和の時代にはあり得ない学校行事である。それからというもの、豆まきを見る度に鬼役の人々を気の毒に思い、思いっきり投げつけてせいせいしている人を見ると、鬼の身にもなってやれ――と思う。鬼を一方的に悪の権化のように決めつけて「鬼は外!」なんて叫び、豆まで投げつけ、一方で「福は内!」などといって自分だけは幸せになろうなど、それもどうかと思うのである。
ところで、節分になるといつ頃からか『恵方巻き』を食べるなどという「風習」もどきがひねり出され、スーパーやコンビニで大量に売り出すようになった。もともとそのような風習・文化などないのに、ビジネスとして大いに煽って「バレンタインにチョコレート」ならぬ「節分に恵方巻き」というのである。しかしコンビニでも大量に売れ残るらしく、その多くは廃棄処分になるようで、コンビニ店長のなかには友人知人にこっそりと「ゴミ」として持ち帰らせている人だっている。捨てるにはもったいないのだ。20本近く頂戴した知人もいて、これが日本全国のコンビニやスーパーで展開されているとなると、いったいどれだけの恵方巻きが捨てられているのだろうか…とフードロスの歪んだ一面を見せられているような気すらするのだった。
新宿や大阪西成で行われている炊き出しには、コロナ禍で苦境に立たされたたくさんの路上生活者が列を作っているのを目撃する。今日明日をつないでいくのに精一杯の状況下に置かれた人々が無数に存在し、社会の片隅に追いやられ、その日のご飯すらままならないのが実態なのだ。子ども食堂だって、あれよあれよと日本全国に数千カ所規模にも膨らみ、全国津々浦々で子どもたちもまたお腹を空かせている。ビジネス云々は脇に置いておいて、捨てるくらいだったら無料で配ったらいいのにと思う。フードロスすなわちまだ食べられる食料は社会に有り余っているのに、カネがないことで腹を空かせた者のところには届かず、ゴミとして大量に捨てられていくのが実態なのだ。
「鬼は外! 福は内!」--無邪気に叫んでいるけれど、この社会にも情け容赦ない内側と外側の境界線が引かれているような気がしてならない。そうなると、外って何だよ、内って何だよ! と元鬼からすると思うのである。むしろ、外に追い出そうと豆をぶつける奴こそ鬼ではないか? と--。 武蔵坊五郎