上関町では中国電力が「原発をつくったら地域が繁栄する」ようなことをいって、24年ものあいだ大騒ぎをさせてきた。その結末は、伝統的な漁業も農業も、造船・鉄工業や海運業も、町予算に依存してきた土建業も、そしてそれらに依存する商店も、すっかりやっていけなくなってきた。若者も住めないが、年寄りも住めなくなり、人口はこの間半減してしまった。上関町は廃村にすすんでおり、無人島になりつつあるのである。
中電が上関町を発展させる気などまるきりないのは、私企業である以上あたりまえである。ところがこの私企業が、電気料金で集めた金をあぶく銭にしてばらまき、町民の個人情報を集め、脅しや買収、欺まんや謀略など使って、町長も町議もみな社員か下請のようにしてしまった。地方公共団体である上関町を、中電株式会社が自分の営業所のようにしてしまい、漁協も商工会も区も、中電の出張所のようにしてしまった。町全体を中電の所有物にするような契約はしていないし、それに見合う金を中電は払ってはいない。いわばサギ商法である。選挙も丸ごと買収してしまって、いまや「町民不在選挙」という状態。金もうけしか能がない私企業が地方公共団体である町を乗っとったのでは、町がつぶれるのは当然のことである。これはホリエモンや姉歯建築士どころでない、中電と国、県の大犯罪である。法律は地方自治も選挙制度も否定してはいない。これが法律違反でないのならば、日本は無法国家といわざるをえない。
上関町の廃村化、無人島化は、国は「小泉ヒステリック」内閣があらわれ、上関は守旧派・片山町長が首を切られて小役人派・柏原町政に移行したこの4、5年、きわだって拍車がかかった。国は上関町に「合併・解散せよ」と迫り、中電は「協力金は出さない」と突っぱねた。迷惑な原発をつくるので、地域の振興のために金を出してとりこむという以前の方式はやめて、「力まかせで町をつぶせば原発でもなんでも簡単」というブッシュ流の単純方式に政策を転換したというほかはない。原発推進方式も構造改革してしまったのである。上関町の現状は、人をだましてサギをやろうがどうしようが、「金と力がすべて」の世の中への「改革」というモデルである。それは同時に、「改革」破たんのモデルでもある。世の中には金で買えないものがあるのだ。
那須三八郎