漁師はいう。「海面の潮の流れと、海中の潮の流れは同じ方向とは限らない。海の中は海面とはまるで逆の方向に流れていることもある」。
上関の選挙は、そのような様相になっている。表面をただようアブクのような政治勢力の流れと、町の底に流れる町民大衆の世論が全然別の方向を向いて逆巻く様相となっている。民意がわからず安倍首相は倒れた。中電も、推進派、仮面「反対派」の幹部衆も、小泉・安倍流ノー天気で走ってきて、別方向に流れている海中の流れ、すなわち民意が理解できない。「安倍・自民党現象」というべき姿である。
25年町民が非常に苦しい思いをしてきたことは、町民が推進派と反対派に分断され、人情のあった町が疑心暗鬼の町になってきたことである。はじめ反対派の顔をして町民を「銭ボイト」(乞食)といって攻撃していた連中が、20年もたつと、もっともがめつい補償金ぶんどり屋になり、推進の旗振りになってあらわれてきた。原発を引き入れたのは加納町長であったが、反対派の実権を握ったのも加納派だった。町民をだまし、いがみあわせて反対運動をつぶす、という推進派だったのである。
村八分のような攻撃をされた祝島の「推進派」といわれる人たちの苦労は並大抵ではなかったが、25年毎週デモをやり、相当額のカンパを出してがんばってきた祝島の婦人たち、住民の苦労も並大抵ではなかった。全町も同じだった。同じ連中に同じような苦労をさせられたのだ。
25年、いいことをしたのは、町長や議員になったり組合長になった上の者だけだった。町民の方は推進派であろうと反対派であろうと、ひどい目にあっただけだった。まともに生活はできなくなり、子どもたちは去り、無人島になるかのような状態である。本物の推進派は、推進派や反対派の看板を使い分けて、町民を犠牲にすることによって自分だけがいいことをするという売町分子であった。
ここへきて、推進派と反対派で分断されてきた町民の団結、人情の回復が、津波のような力となって噴き上がろうとしている。アメリカはイラクを侵略してさんざんな目にあっているが、いかなる軍事力を使っても大衆にうち勝つことはできない時代なのだ。そんな世界の流れで、安倍首相は参議院選挙で惨敗し内閣を放り投げた。その末端にいる、中電のような田舎企業とその下請の加納体制が、町民を愚弄しつづけることなどできないことである。上関町民のたたかいは、全国が非常に注目するたたかいである。
那須三八郎