コロナ禍で限られたワクチンに我先にと人々が殺到し、ある種の奪いあいみたいなことが起こり、大阪のように医療崩壊した地域で医療にかかれる者とかかれぬ者とが選別されていく様を見て誰かがつぶやいた。「まるで現代版『蜘蛛の糸』(著・芥川龍之介)だよね…」と--。言い得て妙だなと共感する。細い蜘蛛の糸につかまった陀多(かんだた)が自分だけ血の池地獄から抜け出そうとして他の罪人を足蹴にし、最後には本人もろともみんなして再び地獄に落ちていくラストの絵面が、なんだか釈然としなかった幼少期の感情と共に脳裏に蘇ってくるではないか。夢中に読み進めた挙げ句のあまりにもあっけない最後に「結局、救われんのかい!」と思い、お釈迦様も糸を垂らして(期待させて)おいてなんと無慈悲なことをするもんだとバチ当たりにも悶々とし、そこから少しシュッとした気持ちになって、極限状態に置かれた人間の性について考えさせるアレである。
翻ってこのコロナ禍が地獄として、誰しもがそこからはい出そうとワクチンにすがるような思いを抱くのは当然だろう。そうして役所窓口には人々が押し寄せて逆に密をつくり、予約の電話窓口はパンク、ネット予約もアクセスが殺到。なかには何日も並んでようやく接種してもらったとか、山口県内では使用期限を過ぎたワクチンを打たれた人がいたり、案の定ワクチンが底をついて打ってもらえず激怒する人がいたり、もはや日本列島の津々浦々が修羅場である。蜘蛛の糸ならぬmRNAワクチンをつかみとろうとみんなが必死なのである。
コロナ禍に国としてのまともな防疫をやらず、PCR検査すら拡充せず、「みんな自粛して、自分で気をつけてね」程度のことしかやらないものだから、ならばワクチンだけは打っておこうという心理が働くのも無理はない。しかし、そのワクチンも数が限られているおかげで、『蜘蛛の糸』がリアルに再現されているのである。もっと早く政府がワクチン調達に動いていたなら、このような混乱にはならなかったはずだ。
現状ではワクチン接種率は人口の2%にも満たない。つまり、その他の98%は蜘蛛の糸をつかむことすら叶っていない。65歳以上はおろか、医療従事者への先行接種すら完了していない。変異株は子どもでも感染が広がっているなかで、65歳以下の世代になるといったい何時になったら接種できるのかわかったものではない。しかし一方で、なにやら自民党の政治家どもとか、富裕層とかの上級国民は独自ルートで入手して早くから接種しているそうなのである。首相の菅義偉なんて、国民のほとんどは打てないのに、テレビ画面越しに自分だけ先行接種する姿を見せつけてアメリカに飛んでいったではないか。これはもうワクチン待機組からしたら嫌味にも程があると思う。
自分だけ生き延びようなどという不道徳を極楽のお釈迦様は許さないのであれば、自分だけワクチン接種を済ませた自民党の政治家どもとか、上級国民とかのバチ当たりには、必ずや天罰を与えて欲しいと思う。彼らがつかんだずるい蜘蛛の糸は、陀多(かんだた)同様に無慈悲にパッツンするに値する。だって、98%のみんなは彼らのおかげで糸にすらたどりつけず、地獄のような下界のコロナ禍にとり残されているのだから。お釈迦様におかれましては、そこんところはよろしく! と切に思う。 吉田充春