手元に1964年の東京五輪の開催を記念した1000円銀貨がある。まだ小学生だった頃、「お爺ちゃんが大切にしていたものだから、○っちゃんが大切に持ってなさい」といって、祖母からジャラジャラと音のする巾着袋を手渡されたことがあった。中をのぞくと和同開珎や寛永通宝といった古銭、明治期のいかにもおどろおどろしい龍があしらわれた大日本帝国刻印の貨幣など、見たことのないたくさんの種類の貨幣があり、早速、それぞれどの時代の人たちが使っていたものなのだろう? と興味を抱いて百科事典をめくった記憶がある。そのなかに東京五輪を記念した1000円硬貨も含まれていた。裏面に富士山と桜がちりばめられた図柄で、なんともでっかい硬貨である。
じゃがいも畑と海に囲まれた島原半島の片隅で暮らしていた祖母たちにとって、恐らく東京五輪は戦後復興の象徴としての心躍るイベントだったのだろう。でなければわざわざ記念硬貨を買おうとは思わなかったはずだ。戦後は食べるものにも困る時代、掘っ立て小屋みたいなところから暮らしを再建し、漁業に従事したり、運搬船の仕事をしてみたり、他の業種に活路を見出したりしながら子どもたちを生み育て、祖母曰く「崖に爪をたてて生きていたような時期もあった」のだと話していた。そうした戦後復興の苦しみを乗りこえ、暮らしが落ち着きを見せ始め、社会全体にとってイケイケの時代の幕開けの象徴が東京五輪だったのだろう。
1964年といえば、資本主義的には戦後の相対的安定期といおうか、まだまだこれから高度成長を遂げていく伸びしろのあった時代であり、時代の雰囲気でいえば『ALWAYS三丁目の夕日』(映画)あたりなのだろうか? と当時を知らない若輩者としては想像するほかない。しかし、その時代を生きた人に聞くと、自国開催に沸き、まだ数少なかったカラーテレビにみんなしてかじりついて選手の活躍に拍手喝采を送っていたというから、国威発揚とかの国家イベントとしては嵌まり、国民に歓迎されていたのだろう。少なくとも「五輪なんてやめちまえ」という空気はなかったようなのだ。
さて、翻って下り坂を転げ落ちているかのような日本社会で迫っている東京2021に話を移すと、「五輪なんてやめちまえ」と思っている人が大半ではなかろうか。日本国内のみならず、世界的にもスポーツの祭典どころではないのである。コロナ禍で第四波が深刻な広がりを見せている折、感染拡大と五輪開催が天秤にかけられ、「最終決断まであと○日」みたいな優柔不断な騒動を延々と続けているのを見ると「いい加減にしろ!」とすら思う。この期に及んで東京五輪を開催しようなど、とても正気の沙汰とは思えないのである。
4年に一度のチャンスに全身全霊をかけてきた若きアスリートたちには申し訳ないけれど、五輪を開催したいがために緊急事態宣言の発出が遅れたり足かせになるくらいなら、いっそのこと思い切って開催を中止し、感染症対策に全身全霊を傾注することが今最も大切な対応だと思う。時間とカネ、社会的リソースを対コロナに全力投入しない限り、どのみち感染収束などおぼつかないのだ。自宅療養者の死者続出という事態と同時並行で五輪を開催するなど無謀であり、デタラメの極み以外のなにものでもない。それでも意地になって開催した場合、人間の生命や尊厳を疎かにした「コロナ五輪」という烙印が押されることにもなろう。
歓迎された五輪と歓迎されぬ五輪--。上り坂の時代と下り坂の時代--。57年前との違いについても考えさせられるものがある。 吉田充春