広島県が4月1日より、全国に先立って全県民・県内就業者向けの無料PCR検査の実施に踏み出した。菅政府による横やりも入りながら、それでも広島県としては地方都市として独自の取組を実現することによって感染拡大を防ぎ、検査の網を広げることによってとくに無症状の感染者を囲い込んでいくという科学的アプローチに乗り出した。薬局に行けば誰でも何度でも、気兼ねなく無料でPCR検査を受けることができ、我が身の状態について翌日には知ることができる--。言うなればコロナ禍に置かれた世界においてはグローバルスタンダードともいえるシステムの導入である。1年前の今頃、テレビで頻繁に映し出されたあの痛みの伴う鼻の奥グリグリでもなく、唾液を提出しておけば陽性か陰性かが判明するというのだから、受検者としてははるかにハードルも下がって検査が身近なものになるはずだ。この広島方式が「画期的」なんて持て囃すことは、1年以上も疫病禍と葛藤してきた世界各国から見て笑われる類いの話かも知れないけれど、こと日本国内においてはもっとも先陣を切って「当たり前」を実現したという意味において、特別な第一歩といえる。
この1年、コロナ禍で個人ができることといえば、せいぜい手洗い、うがい、マスク着用、三密回避、外食を控えた巣ごもり等々と限られ、そのなかでみずからが陽性なのか陰性なのかもわからない漠然とした状態のまま過ごすほかなかった人が大半だろう。なぜか? 「あっ、PCR検査受けたいな…」と思っても気軽に検査など受けられず、医師を通じて保健所に連絡して高熱が出たり咳が出るといった症状を縷々のべ、いかに自分がコロナであるかを証明しなければ検査など受けさせてもらえなかったからだ。それほどまでに、検査一つ受けることの壁は高かった。したがって、どうしても仕事で県外に出かけないといけないから陰性であることを確認したいと思っても、「無症状だけど検査を受けさせてください」などと言おうものなら、保健所の担当者から「このバカ者!」と怒られそうなほどPCR検査を受けることのハードルは高かったし、民間の検査機関といっても金額は高額であった。
そうして、やれどこそこの病院でクラスターが発生したとか、身近な歓楽街のどこそこの飲食店の兄ちゃんが陽性だったといわれれば、たちまち街の噂が広まってみんなが近寄らなくなったり、漠然とした情報を拠り所に漠然と距離を置くほかなかったのである。なぜか? しつこいようではあるが、検査が気軽に受けられず、我が身も含めて誰が陽性で誰が陰性であるかなど顔には書いていないものだから、「今咳した人、ひょっとしてコロナじゃね?」(心の叫び)なんて周囲への疑心暗鬼と共に過ごすほかなかったのである。コミュニティのなかに疑いの目を植え付けるという意味でも、検査抑制論は罪作りといえるものだった。
国内を移動するさい、あるいは冠婚葬祭で他県在住者の親戚などと接触した場合に、2週間の在宅をよぎなくされるといった企業・病院も少なくない。とくに耳にしてきたのは、葬式などどうしても県外に散らばった親類縁者が集まるさいに、密は避けがたいけれどむげに来るなともいえず、それが感染拡大のクラスターの場になったらどうしよう…という不安だった。それこそ感染爆発地帯の都市部からやってくる親戚の顔に「コロナ陽性」などと書いてはいないからである。そのようなケースでも、身近な検査によって陰性が明らかになれば2週間の在宅なんてものも必要なくなるだろうし、結果が翌日に判明するなら1日の在宅で済むはずだ。
無症状の感染者こそ囲い込み、保護する--。目下、1年以上も目隠しチャンバラをしてきて、捉え所のない暗闇のなかで叩かれまくってきた日本国内において、広島だけがようやく目隠しをとって新型コロナウイルスを見据え、まともな防疫戦を開始したといえるのだろう。広島でできるということは、日本全国の自治体でもできることを示している。変異株が猛威を振るい始めた折、とりわけ都市部で広島方式を採用することがコロナ抑止につながるはずだ。こうした政策は本来、日本政府が責任をもってやらなければならないことだが、あまりにもポンコツでフリーズしているものだから、いてもたってもいられずに県民の生命と安全を守る立場から動き出しているのである。
武蔵坊五郎
広島は、PCR検査の拡充を続けている。4月8日、直近1週間の100万人当たりの感染確認数は広島県20.3人、大阪府535.1人、東京都214.7人で、広島は大阪の25分の1,東京の10分の1である。PCR検査の大規模拡充が感染拡大を抑制するための重要な対策であることは明らかだ。政府に近い専門家と主要マスメディアは、検査抑制論に固執してきた。その結果が、関西圏と首都圏を中心とする第4波に表れている。政府と東京、大阪はいつまで馬鹿げた政策をとり続けるのだろうか。