衆院山口3区をめぐる代理戦争と化した萩市長選は、河村建夫元官房長官の実弟・田中文夫の1万3399票に対し、3区横取りを画策する林芳正が支援した現職・藤道健二が1万2899票と、その差わずか500票の大激戦となった。河村兄弟のホームグラウンドである萩市で仮に林派が勝利したとなると面子丸つぶれとなり、3区返上の流れがますます加速するところだったが、河村側がかつがつ死守する結果となった。前週におこなわれた下関市長選が合併後最低の投票率だったのに比べて、こちらは合併後最高の66・66%を記録し、まさに萩市を二分する選挙戦だったことがわかる。
今回の市長選では、萩市内の自民党の7支部は田中を推薦し、一方で自民党県連は表向きはどちらにも推薦は出さなかったが、柳居俊学県議会議長をはじめとした主立った面々は藤道陣営の応援に駆けつけるなど、どう見ても「県連は藤道についている」と思える選挙だった。加えて連合、共産党も藤道の応援に回り、3区横取りの総仕上げに加勢していたが、それでも河村兄弟に軍配が上がった。3区の公認がどう転ぶのかは未知数ではあるものの、河村としては崖っぷちで意地を見せたといえる。
端的にいってこの選挙は「3区横取りに燃える林芳正の厚かましさ」みたいなものが出すぎて、おかげで萩の地元意識の強さが河村応援に向かった選挙だったのではないだろうか。林芳正が何度も応援に駆けつけて藤道に寄り添い、林派の候補者扱いをしている様や、県議会議員はじめ「よそ者」がわんさか押しかけて河村建夫を叩きつぶそうとしている異様な光景を見て、一般の有権者はどのような印象を抱いたのだろうか。はっきりいって、同じ自民党内での集団いじめのようにも見えたし、林芳正の出しゃばりすぎが藤道敗北の決定的要因だったのではなかろうかと思う。そうはいっても萩出身の河村なわけで、下関や宇部から萩に土足で討ち入りしてきたような印象を抱いた有権者だって少なくないのだ。そして、「だったら河村を支えてやろうじゃないか」という地元意識がとりわけ高齢層のなかで働き、たいして人気があるわけでもない田中文夫が勝利したのだった。
藤道陣営としては当初3000票の差をつけて勝利するつもりだったようで、それは出陣式での緊張感のなさにも露骨にあらわれていた。なんだかダレているというか、弛緩している様がありありで、自民党県連の面々も勢揃いしているもとで「楽勝ムード」が漂っていたと言っても過言ではない。一方で60㍍向こうの河村・田中陣営は闘志むき出しで、まさに劣勢な状況から戦に挑むといった緊張感みたいなものがあった。最終的には3000票差をつけるどころか500票差をつけられて敗北したわけだが、それは河村側が公明党をひっくり返して取り込んだことによる誤差なのであろう。
ところで、林芳正の3区鞍替えで安泰を決め込むはずだった4区の安倍晋三がなんだか慌てているようで、4月に入ってから下関・長門の支持者回りをするのだそうだ。いきなり安倍事務所から支持者に連絡が入り、「4月某日に自宅に来るといっている。下関市長選の結果に飛び上がっているのだろう」「前田晋太郎の5万7000票に痺れているのだ」などと安倍派の皆さんは話題にしている。公明、連合山口まで従えて目標だった8万票にまったく手が届かなかったのだから無理もない。こちらの場合、林派がキャスティングボートを握っているようにも見えて、あっちもこっちも大変だね、と思うのである。 吉田充春