福島原発事故は4カ月が過ぎても収束のめどが立たない。原発の技術はほとんどがアメリカの借り物で、高い特許料を払っていた。事故が起きたら右往左往するばかりで自前で制御する能力はない。そして政府は、汚染地域を元に戻す意志はなく、風評被害をあおりたて、農畜産業、漁業の復興のめどがないようにしている。核廃棄物の処分場として土地をとり上げるチャンスと見なしているのだ。
どうして、いつかは破滅の運命になるとわかっている地震、津波、火山の列島に、54基もの原発をつくったのか。それは敗戦から10年もたたない時期に、アイゼンハワーが「原子力の平和利用」を叫びはじめたのがきっかけだった。その中心眼目は日本における「核アレルギーを取り除くため」というものであった。すなわち日本における原爆に反対するたたかいが1950年8・6の広島から火蓋が切って落とされ、反米・民族独立の課題として全国的、全世界的に燎原の火のように広がりはじめたことへの対抗であった。
広島、長崎の原爆で、アメリカは無辜の非戦斗員二十数万人を、眉根一つ動かさず焼き殺した。戦争の勝敗はすでに決しているのに、沖縄戦で、全国の空襲で、そして戦地でとり残されて飢餓にあえぐ兵士たちを、虫けらのごとく殺した。それは戦争を終わらせるためにはまったく必要はなく、アメリカが単独で日本を侵略支配するという野望を実現するためであった。
そしてアメリカの植民地支配の象徴が原発列島化であった。戦争で焼け野原にされた日本が再び放射能で廃虚にされる。アメリカの戦後支配のもとで、食料自給も、エネルギーの自給もできず、日本社会はさんざんに荒廃した。そして朝鮮、中国との核戦争の盾にされ、再び原水爆戦争の火の海に投げ込まれようとしている。
66年目の原爆記念日、敗戦記念日を迎えて、あの惨劇が過去のことではなく現在のことであることを直視しないわけにはいかない。オバマの与党勢力となった腐った「革新」勢力の枠を突き破り、大衆的で新鮮な平和と独立の戦線を構築することが民族の重要課題となっている。
那須三八郎