自民党本部に勤めている20代の職員1人が新型コロナウイルスに感染したことから、自民党は党本部に勤務する200人の職員全員にPCR検査を実施すると発表し、世間から総スカンを食らっている。一般人は検査を受けたくても順番待ちでなかなか受けられず、無症状の人間になるとさらにハードルは高いのに、自民党職員だけは熱があろうがなかろうがアッという間に検査を受けることができ、ここにきて自分たちだけ防疫のお手本みたいなことを徹底しているのである。
政権与党としてやっていることといえば、国民全体に対しては無症状の感染者を野放しにして、まるでPCRの検査数を増やそうともしないのに、自民党本部を守るときだけ「全員検査」すなわち無症状の感染者の炙りだしをやるというからダブルスタンダードも大概である。その瞬発力をどうして社会全体のために発揮せず、自分たちを守るときだけ使うのか--である。こうした身内びいきな振る舞いが政党としての性根をあらわしているからこそ、世論は激怒しているのだ。
元幹事長の石原伸晃が陽性になった際も、3万人にものぼる自宅療養者がいるなかで、とくに重症でもない伸晃だけは飛び級するように即入院し、「なぜ上級国民だけ優遇されるのか」と反発が高まったが、これまた社会全体を放置したまま自己防御だけは抜け目ないズルさへの怒りであろう。富裕層はこっそり中国製ワクチンを接種しているとか含めて、彼らは自分たちだけ助かればそれで良いのである。こうして権力や金力を持っている者だけが生命の安全を守られ、その他の圧倒的多数の国民は二の次、三の次にされ、検査も受けさせてもらえなければ治療も施してもらえない。病院に入れてもらえないために「自宅療養」という名の実質的な棄民状態に置かれ、死者まで出ているのが現実だ。
棄民といえば、東日本大震災からもうじき10年を迎える三陸の被災地がまさにそうだったし、熊本地震に見舞われた被災地、集中豪雨に見舞われた広島や岡山、愛媛、最近では球磨川沿いをはじめとした被災地など、どこも困った住民たちが中央政府から置き去りにされ、忘れられ、何万人という国民が仮設暮らしや避難生活をよぎなくされている現実が象徴的である。そこからの「復興」をダシにした五輪狂想曲もいまや変調を来し、バチが当たったかのように中止に追い込まれようとしているのが現実だ。なお諦めきれずに「東京五輪が--」と報道しているのを目にする度に「いつまで寝言をいってるんだ」と思い、さっさと切り替えて疫病対策に専念し、自宅療養させるくらいなら五輪選手村を患者収容施設として開放したら良いではないかと思うのである。
コロナ禍において、国民の生命と安全についてまともに向き合わない者が、その他を棄民しつつ自分たちだけは助かってやろうというのだから、総バッシングを食らうのは当然である。このような輩にこそ、刑事罰を与えるべきだろう。 武蔵坊五郎