アメリカ大統領選はこれまでになく揉め、いつまで経っても集計が終わらなかったばかりか、劣勢が伝えられるトランプが敗北を認めずに不正を叫びはじめたり、法廷闘争すら辞さない考えを示すなど、散り際まで「これぞトランプの真骨頂」と思わせるような大立ち回りをやっている。いまや世界覇権の座から追われつつあり、新自由主義の総本山として分断と崩壊が進むアメリカの、政治的、社会的な混迷の深まりや、それこそトランプ誕生の土壌ともなったエスタブリッシュメント(支配階級)の凋落やもがきなど、すべての要素が凝縮された顛末なのだろう。「混乱を極めるアメリカ」の姿がそこにはある。
ライフル銃で武装して敵陣営の支持者を威嚇するなど、日本ではとても考えられないような事が、海の向こうでは真顔でやられている。それだけ本気でトランプを支持している人間もいれば、同時にこの4年間のトランプ政治を否定し、エスタブリッシュメントの残渣にも見えるバイデンに投票した人間がそれ以上にいる。民主党予備選でサンダースが敗北した後にはバイデンしか選択肢がない状況でもあった。その勝因や敗因は決して単純ではないのだろうし、変貌を遂げるアメリカ社会の構造のなかに複雑に絡み合いながら存在しているのだろう。
ところで、バイデン(民主党)が勝とうが、トランプ(共和党)が勝とうが、日本社会に暮らす一個人から見ると「よその国」の出来事であり、対岸の火事に過ぎない。ところが、この国の政官財のトップたちときたら心得たもので、属国なものだから宗主国の権力をどちらが握るかに一喜一憂し、いつ会いに行くか等等のタイミングを推し量ったり、忠犬として可愛がってもらうために飼い主様への立ち居振る舞いには随分と気を揉んでいるようである。なかなか決まらないものだから、どっちの飼い主様に顔を向けて良いのかもわからず、もどかしい時間を過ごしているのだろう。メディアもしかり。朝から晩までこれほど米大統領選の顛末について大騒ぎしてニュースを垂れ流している国が、よそにどれだけあるのだろうかと思うほど熱心だ。しかし、嘲笑してもおれない。飼い主が誰になるのか、例えば私たちが犬の身になって考えれば分かるように、犬にとってそれはたいへんな重大事なのである。ポチだろうが、太郎だろうが、純一郎や晋三、義偉だろうが気の遣い方が半端ないのは、対米従属の鎖につながれた飼い犬であることを自覚しているからにほかならない。「日米同盟」などといって対等を装っているけれど、それは名ばかりで、戦後からこの方一度も対等だった訳などないのである。
日本国内で与野党界隈、あるいは知識人界隈の反応を見ていて不思議なのは、自称保守とかネトウヨなどと呼称される側がトランプ信者のような反応を見せ、逆に進歩的と見られたりリベラルといわれる人たちの界隈ではトランプ落選を願い、民主党の勝利を渇望しているような反応が見られることだ。
共和党にせよ、民主党にせよ、クリントンもブッシュもオバマもヒラリーも、そしてトランプも例外なく米国の支配階級の意を汲んで政治を司り、金融資本や軍産複合体の利益を代弁してきたわけで、党派に限らずやってきたことは一貫したものだ。そうしてグローバル化と新自由主義政策を推し進めた結果、米国国内の貧困や格差はかつてないほど広がり、近年は一%vs九九%の矛盾に気付いた人々による下からの反抗が強まり、それはBLM運動や、銃規制に立ち上がる高校生たちの運動、教師たちのストライキなどにも通底して、困難な状況に置かれた米国民一人一人が横につながりながら、どうしようもない米国社会をまともな社会にするべく行動する状況をつくり出した。その突き上げによってエスタブリッシュメントが震撼し、トランプでは保たないところまできて、かつがつオバマ時期の副大統領だった老兵バイデンにつないだ--というだけであろう。
日本国内にありがちな、民主党ならよくて共和党はダメであるとか、その逆なら良いとかの判断基準の根底には何があるのだろうか? と思う。あの原爆投下を決断したトルーマンもなんなら民主党で、「核兵器廃絶」を叫んでいたオバマに至っては、ブッシュ以上に中東諸国に爆弾の雨を浴びせていた張本人であり、肌の色が違うというだけで引き続き支配層の代理人として働き、その欺瞞が通用しなかったからこそトランプ誕生となったのである。この選挙を突き動かした原動力、トランプを4年で引きずり下ろした力は何なのか、なかなか日本国内には真実が伝わってこないものの、米国社会を巡る階級矛盾の激化の反映として捉えたい。 武蔵坊五郎