下関市の人口減少数は全国に1724ある自治体のなかでも、ワースト4位に位置するほどひどい。「首相お膝元」などと持て囃され、支持者が桜を見る会に大量に招かれたり、なんだか地元は贔屓(ひいき)されているような印象もあるかもしれないが、選挙区の代議士が出世しようが出世するまいが関係なく、この数十年来、街は寂れる一方である。この街で暮らしていけないから若者や現役世代の多くは都市部に出て行き、そのもとで深刻な少子高齢化に見舞われている現実がある。
唐戸魚市やあるかぽーと界隈は、週末や連休になると他県からの観光客で賑わう。関門海峡を眺めながら名物の寿司を味わい、「潮風を感じられて、素敵な街ね」と感じる方もおられるかもしれない。馬関の時代からの街の経済の中心地であり、今も駅周辺から唐戸にいたる地域が中心市街地であることには変わりないのだが、たとえば下関駅に降り立って、「この校区の王江小学校の今年の1年生は14人です」と聞かされてどう感じるだろうか。あるいは唐戸界隈のあるかぽーとや市場に来られた方も、「この校区の名池小学校の今年の1年生は28人です」と聞かされて、どう思うだろうか。両校合わせても30年近く前の1クラス分程度の人数であり、当然1学年1クラス状態。それなりに切磋琢磨はできても「友だち100人できるかな♪」など叶わないのである。一見華やかそうに見える観光都市の暮らしを一枚ひんめくってみると、寂しい週末都市の一端が浮かび上がってくる。地元民としても、それは切ないものがある。
そうした少子化の影響もあって、子どもたちにとっては運動の機会も減っている。以前なら小学校の男の子なら町内の子ども会のソフトボールやスポーツ少年団のサッカー、女の子ならポートボールやバスケットボールのチームがあり、ほとんどの子どもたちが地域の友だちと日頃から練習に励み、春と夏の大会は校区内の町内対抗戦のような様相を呈していた。ところが現在はソフトボールチームは町内代表チームどころか1校1チームすら人数が足らず、周辺3校(名池、王江、生野)でようやく1チームを構成している有り様だ。
さらに中学校といえば、親世代の時代には陸上部、バスケ部、野球部、ソフトテニス部、柔道部、剣道部、バレーボール部、ソフトボール部、美術部、吹奏楽部などそれなりにあったが、現在は男子が野球とソフトテニス、女子はバトミントン、それに吹奏楽部と美術部のみとなり、他のスポーツをしたくても選択肢はおのずと限定される。どうしても他のスポーツがしたければ、クラブチームに在籍するか、越境入学させるしかないというのが親たちのなかでは常識みたく語られる状態だ。そうしてマイナー競技になると、市レベルで一試合勝てば県大会に進めるとか、ずいぶんとハードルも下がっているのだという。競合チームが他にないため、一試合、あるいは二試合勝ってしまえば「優勝」なんてこともありえて、これまた切なくなるような話なのである。
東京五輪に沸き、スポーツに光りが当たる一方で、下関のような地方では少子化によって子どもたちがスポーツと触れあう機会や環境、選択肢が乏しくなっているようにも思う。深刻なる人口減少がもたらす変化の一側面であろう。 武蔵坊五郎