週刊文春に賭けマージャンをスクープされた黒川弘務東京高検検事長が、事実関係を認めて辞意を表明した。次期検事総長ポストを巡って、安倍政府が「余人をもってかえがたい」と見なし、法律をねじ曲げてまで定年延長を閣議決定した渦中の人物だったが、SNSで抗議のTwitterデモが盛り上がった挙げ句に週刊誌でも叩かれ、あっけなく退場となった。しかも最後は賭けマージャンの常習者すなわち賭博が大好きだったことが暴露され、「余人をもってかえがたい」はずが資質としても定年延長どころではない爆弾を抱えていたことから、大慌てで改正案の今国会採決を見送り、辞職となった。「社会正義」の建前を標榜する検察組織としては面汚しも甚だしい事態であろう。そして、安倍政府としても常識的には申し開きできない状態に置かれている。
検察は三権分立の建前としては「法の番人」などといわれてきた。その法律を司るトップが、本来なら賭博罪で逮捕されるべき行為に及んでいたというから下劣だ。そして、そのマージャンに同席していたのは、司法、立法、行政の三権に継ぐ「第四の権力」として、社会的には権力監視を委ねられている報道機関の人間(産経新聞記者、元朝日新聞記者)であった。記者宅に招いて夜中までマージャンを楽しませ、負けた賭け金をつかませたうえでタクシーを用意して帰らせる。いわゆる接待マージャンであり、ジャーナリストを名乗ってきた彼らにも軽蔑の眼差しが注がれることは疑いない。渦中の人物として話を聞き出すなり取材活動をしていたというのならまだしも、紙面にそれらが反映された形跡は乏しい。つまり権力とともに腐敗堕落して、ズブズブの関係を築いていることが暴かれているのである。新聞社が週刊誌にスクープされ、その実態を世間に晒されるというのも皮肉である。
「余人をもってかえがたい」――。安倍政府がどうしても黒川弘務を検事総長にしたかったのはなぜなのか? 閣議決定でこれまでの政府の法解釈までねじ曲げ、違法になるなら法律を変えてしまえと今国会に改正案まで提出し、強引に進めてきた理由はなんなのか? が問われている。コロナ禍でたいへんな折に相当に無理を押した訳で、余程のっぴきならない事情があったと見なすのが自然だ。「政権の用心棒」「守護神」という言葉が踊ること自体、三権分立もなにもあったものではないが、やはり単純に考えて権力に捜査が及ばないように子飼いとして手なずけるためだったようにしか思えないのである。
「黒川検事長辞職へ」のニュースが駆け巡った21日、全国の弁護士や学者662人が安倍首相と後援会幹部3人に対する告発状を東京地検に提出した。桜を見る会の前日に後援会が開いた夕食会において、一人5000円の会費ではまかなえず、首相側が差額を負担したという公選法違反と、その収支を後援会の政治資金収支報告書に記載しなかったという規正法違反を問題にしたものだ。一月から準備していたもので、あえて時期を見計らっていたわけでもないようだが、このタイミングでの告発状提出に東京地検はどう対応するのだろうか。広島では河井案里が100人以上に現金を配り回して選挙をやり、もはやあからさますぎて開いた口がふさがらない。それこそ検察が捜査中であり、原資となった1億5000万円の出所にもメスを入れるべきであろう。森友問題や加計学園問題だって、そもそも権力の腐敗によって引き起こされた疑惑であり、終わった話ではないのだ。
賭博好きの「守護神」が失脚した検察は、誰が検事総長になろうが検事長になろうが権力者の「守護神」なのかどうか、世間は笑って眺めている。なぜなら、もともとが黒川に限らずみんなして権力の守護神をしてきたようにしか思えないからだ。社会の信頼は黒川騒ぎだけで失われているのではないし、黒川一人の責任になすりつけて正義が担保されたなどと装うのもどうかと思う。検察庁が広報ビデオで流しているように「検察の役割――社会正義の実現のために」とやらを一度でいいから実社会で見てみたいものである。天網恢々疎にして漏らさずの教えは、この社会で現実のものとなるのか--。 吉田充春