近所の公園に1匹のメス猫が住み着いている。ベンチに人間が座っていると、およそ7~8㌔㌘はありそうな豊満な身体をゆっさゆっさと揺らしながら木木のなかから姿をあらわし、こちらの様子をうかがいながら絶妙な距離感でゴロンと寝そべっている。「おいで」と声をかけるとのっそのっそと寄ってきて、やはりゴロンッと寝っ転がって腹を出す。まるで「さすれ」といわんばかりだ。野良猫なのに人慣れしすぎだろうに。
公園のそばに住んでおられる高齢のご婦人曰く、名前は「みーちゃん」というらしい。飼い猫ではないが毎日エサを与え、ブラッシングもしているのだという。どうりで毛並みも艶艶だ。飼い猫ではないが、保健所に連れて行かれないようにと首輪だってつけている。そうして半分飼い猫、半分野良猫という自由きままなポジションで、誰にも飼い慣らされることなく(逆にみんなに飼い慣らされてる?)公園で暮らしているようなのだ。
そんなみーちゃんにたいして、別の日に公園で出くわした近所のお爺さんは、「おい、トラっ!」と声をかけていた。恐らくキジトラの柄だから「トラ」と名付けたのだろう。お爺さんは「こいつが食いっぱぐれたらいけないから」といいながら、みーちゃんことトラを撫でながらせっせと煮干しを与えている。一日に何食食べているのかわからないが、そうしてエサを与えてくれる人たちの無償の愛に甘えながら、あの豊満なボディは仕上がっていったのだろう。
別の日にも、そしてまた別の日にも、ベンチに腰掛けたサラリーマンやOL、道路工事のお昼休憩で弁当を食べているお兄さんたちなど、幾人もの人にお裾分けをもらって腹をさすらせている姿を見かけた。誰の飼い猫でもないが、みんなが飼っている猫。既に小さな公園の主みたいに存在感を放っている。わんぱくな子どもたちが追いかけようものなら、前述のご婦人が家から出てきて「みーちゃんをいじめないでね。優しい子になってね」と子どもたちを優しく諭している。「優しい子になってね」のお願いは、まるでトイレによく貼ってある「いつも綺麗に使っていただき、ありがとうございます」と似た先制効果をもたらすようで、子どもたちも「みーちゃんを追いかけない優しい僕たち」になるから不思議なものだ。
こうして猫一匹をみんなして慈しんでいたりする光景が、師走の忙(せわ)しさの中で、なんだかほほえましいように思えた。 吉田充春
いいお話でした。うれしいにゃ!