安保法制について「国民の理解は得ていない」といいながら強行採決し、今後「丁寧に説明」していくのだと、順序がひっくり返ったことを安倍政府がいっている。ところが自信がないものだから街頭演説は見送り、自民党国会議員には「勝手にテレビに出るな」と口封じまでしている。「丁寧な説明」はいつどこで、誰がやるのだろうか。政治家たるものは正々堂々と主張をのべるべきなのに、公衆の面前で語るべき言葉がなく、自信がないのである。
安保法制について理解は進んでいないか? 否、むしろ進んでいる。安倍晋三の口八丁を誰も理解しないだけで、もっとも理解している憲法学者が「違憲」と断じたことも知っている。学者如きがうるさいといって政府が暴走したのも知っている。それで「リスクはない」とか「邦人の生命を守る」等等、説得力もなくくり返すから、みながますます戦争法案の本質に問題意識を強め逆に危険性を理解していった。国会包囲デモは日に日に膨れあがり、下駄を履かせているはずの支持率まで急降下して、安倍政府が青ざめる結果となった。
ここで支持率回復を狙って出したのが、新国立競技場の建て替え白紙撤回だった。開き直って推進を豪語していたのが、突然てのひらを返して「首相の英断」をアピールした。相当に追い込まれ、国民世論を恐れているのである。
競技場については、2本の柱だけで1000億円もかかるとか、事前に身体を調整するサブグラウンドすらないいい加減さとか、芝生が生えないようなドームの仕組みであるとか、あれほどカネを使うのにスポーツの殿堂にする気がないこと、そこでスポーツできるような考慮がなく、もっぱら森喜朗や五輪に群がる連中が税金のつかみ取り大会をくり広げている異様さが問題にされてきた。これまで何大会かの五輪スタジアムと比較して3~10倍もかかる工事単価もまた異常なものだ。
国民生活がどっちを向こうとお構いなく、大企業や独占資本が恥も外聞もなく利潤を荒稼ぎしていく。新国立競技場は象徴的な出来事の一つにすぎない。TPP、東北復興、原発再稼働、辺野古しかり。聞く耳なく暴走をくり返し、国民の生命や安全がいつもないがしろにされる。そして高齢者人口は増え続け、労働政策の残酷さもあって子どもすら産めない生産性の奪われた社会になった。終いにはその貴重な若者や子どもたちまで米軍及び海外進出企業の覇権を守る鉄砲玉にするのが安保法制で、国家の私物化とアメリカへの売り飛ばし、主権在民の転倒が甚だしい社会になってしまった。
しかし為政者は国民の反撃を恐れている。国立競技場もさることながら、さらに怒濤の勢いで国会包囲や全国の行動を盛り上げるなら、安保法案を叩きつぶすことも可能である。安倍晋三や自民党国会議員どもは引きこもっていないで、まず街頭に出てきて正々堂々「丁寧な説明」をすべきである。国民世論と切り結ぶのを恐がって何が政治家といえるだろうか。 武蔵坊五郎